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もし子供を授からなかったとしたら


もし不妊だったらどうしよう、と思っている



絶望という意味での【どうしよう】ではなくて

「さて、どんな人生にしようか」という

選択肢としての【どうしよう】


とりあえず旦那に聞いてみた

彼はあまりたらればの話が好きではないようで、

「そうなってみないと分からないよ」と言う。


それには私も賛成

わりと意見がコロコロ変わり、
最終的には直感で即決という厄介な性格


事実その時になってみないと分からない。



だけど、この間、過去の自分が書いた記事

ずっと前

まさか自分が仕事を辞めるだなんて考えてもいなかったころ、

たらればで書いていた記事をふと読み返した。


少し、救われたんです。

ずっとずっと、専業主婦という自分を認められず苦しかった。


いざ仕事から離れてみると

働いていた頃の良い面ばかりを思い出していた。


働きたい働きたいと言っていたけれど

そういえば自分もちゃんと仕事嫌だなって思ってたんだな。


こんな記事を書きたくなってしまう日々があったこと

すっかり忘れていた。


何か特別、直接的な愚痴が書いてあるわけではない

でも、文章って不思議ですね

これを書いていた時の自分の気持ちーーー


決定的な何かがある訳ではないけど、なんとなく今日だるいな行きたくないなっていう感覚


ものすごくちょっとした雑用がとてつもなく面倒に感じてしまう瞬間


自分の時間を犠牲することへの煩わしさ


仕事がない世界を想像してみたら思いのほかワクワクしている自分


金曜日の体の重さ


毎日のように朝から訓示を垂れる上司への苛立ち


雨で髪型が決まらない日の憂鬱


エレベーターで微妙な距離の先輩と2人になった時の気まずさ


そういう感情がありありと思い出されてきてーーー






私たちはないものねだり

自分の持っていない世界を想像以上に美化してしまう。

私の性格的にも、もし子供を授からなかったら

子供を授かっている世界線を想像以上に美化してしまう気がする。




そうならないためにも
今のこの冷静で情緒の安定した状態で、フラットな気持ちを残しておきたいと思います。

未来の自分にあてた手紙


たとえ同じことだとしても、他者から言われるのと過去の自分からのメッセージとして告げられるのとでは、刺さり具合がだいぶん違う

きっと、負けてられない、しっかりしなきゃ、という気持ちになれるはず。





結婚して2年

そろそろ妊活を始めたいと思っているのですが、授からない可能性は大いにあるわけで



もしそうなったとして、私は、潔く諦めたい。


幸いまだ子供を産むには猶予のある年齢

1年(2年)くらい治療をするのはいいなと思っているけれど

ずるずると続けるのはいや。

期限を決めて始めたい。(なんだか結婚前の同棲みたい)



不妊治療を続けると、なんとなく

人間の根幹、人としての自信がなくなっていってしまいそうで


女性として生まれてきたのに、という思いに潰されてしまいそうで

授かり婚とかいう言葉に反応して醜い心になってしまいそうで


順調に授かっている周りと比べてしまいそうで


人間はないものねだりの生き物だから。



でも、そんな自分、見たくない。

自分にはどうしようもないことだし、誰かが悪いわけでもないんだから

周りからの視線なんて、気にすることないんだから


そこを嘆くよりは、すっぱりと受け入れて現実を楽しく生きていく工夫をしよう。





もちろん子供が欲しいという思いはあるけれど

私と旦那だったら

子供がいない人生もそれはそれとして十分楽しめる自信がある。


バリバリ仕事をしてみるという選択肢も出てくる

この歳で新たな業界に挑戦してみることもできる

本に携わる仕事もよし

憧れのカフェや定食屋さんの仕事もよし


夫婦2人ならそこまでお金を稼ぐ必要がないのだから

仕事はほどほどにして趣味を楽しむのもいいよね。


ふたりとも自然が好きだし浪費する方でもない

早期退職をして新たな人生を歩んでみるという選択肢もありかもしれない


個人的には山登りをたくさんしたい

キャンプもしたい




結局のところ、人生の正解なんてものは誰にも分からないんだから。


大切なのは、何を選ぶかよりも


自分の選んだ道を受け入れる柔軟さと、選んだ道を正解にしていく覚悟


金銭的に、子供を産むことすら贅沢という時代らしい。


もしも、子供を授かることができたとしたら

このパラレルワールドの私の分までしっかり愛情を注いでいきましょう。




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