思考の整理 自分の弱さを認める怖さ(2019/07/19)
ただ思考をアウトプットして整理するために・・・
自分自身を正当に評価できているとは思わないが、自分の評価についての話。
自分自身の強さと弱さを自覚することが怖い。人の目にさらされ、評価されるのも嫌だと感じる。昔から、ものさしで測られるのが嫌いだった。
単純に、力が無いことを認めたくない可能性が一番大きいと思う。自信がないんだ。
何かに挑戦することがいつからか怖くなっている。失敗すること。失敗した後の事。失敗してもいい環境を作るのが苦手。
理由は色々並べられると思う。失敗出来るリソース(心・金・環境)が少ない等。なんとでも言えるだろう。リソースは失敗や成功を体験しないと強くならない事は理解している。
感情が動くことが得意ではない。なぜなら感情が動くと疲れるから。疲れることが嫌だと感じる。疲れることが嫌だと思う様になったのは、いつからなのか分からない。
ただの現代病である、失敗恐怖症みたいなものかもしれない。失敗することが恥だと思う段階は過ぎた。失敗した後のリスク・面倒な事が嫌だ。疲れるから。
自分の感情の起伏があまり激しくないから、他人の大きい感情には疲れてしまう。大きい感情が苦手だ。
人の感情を察する力はある方だと思う。他人に対して興味があればとことん考えるが、興味がないものは観察すら怠り、目の前のものが見えなくなる。見えなければ無いと同じだから疲れない。だが、感情は興味が有る無し関係なくこちら側へ入り込んでくる。
人の機微には疎い。感情は自分に影響があるので気付く事は多いが言動や行動の細かいことには興味が無いので見ていない。自分以外の人間に興味が無いんだと思う。
自分最優先モンスターになってしまっている気がする。認めたくないが。
感情100の人間が苦手だから排斥してしまう事がある。排斥することにストレスを感じる。排斥せず、感情100がぶつけられた時の方がストレスが大きい。消去法で排斥を選ぶ。
感情30論理70くらいの人間が楽しい。論理100は遠くから見る分には好き。排斥対象ではあるが。
人の気持ちを思いやり、相手の望む答えだけを返す事を良いことだと認識していた時期があった。だが、自分にとっても相手にとっても良くない間違えた考えだと思うようになった。この行動は奉仕の精神(ADHD)の特徴と被る。
実際は、相手のためを思って行動しているのではなく、自分の為に相手を利用しているということに気づいた。相手の事は考えていなかった。
正確には、相手の感情を相手の望んでいる方向へ向け、大きい感情を持たせないようにする事で、自分が楽だという考えだった。
それはやめた。
自分の機嫌を取ることを優先するようになってから生きづらくなったし、生きやすくなった。
自分の機嫌を優先するようになってから、人生の幅は広がったと思う。
自分の意見を持つ辛さを乗り越えたあたりから、自分自身を認めることができるようになり始めた。
”自分自身の強さと弱さを自覚することが怖い” 事に対しての答えかもしれない。
自己肯定感が低いから、肯定するために弱さを認識してしまう場から遠ざかったのかもしれない。弱さを認識すると自己肯定感が低くなるから、何かに挑戦する事も怖い。
「自分は自分でいい。そのままの自分でいい。」言葉にすれば、それだけの事だが、これが結構難しい。
「自分は自分でいい。そのままの自分でいい。」
言い聞かせている。よく自分自身にこの言葉を言い聞かせている。
挫けてしまうから。自己肯定感が。