涙の魔人①
あらすじ
古の王国に名高い魔法使いオルヴィスは、孤独の中で唯一の支えである妹リリィを恐ろしい病で失う。彼女を蘇らせるため禁断の魔法に手を出すが、その結果生み出されたのは、かつての村人リュウエルを不死の魔人として再構築した存在だった。不死の力を持つリュウエルは戦士として無感情に戦い続けるが、やがて自身の存在意義を見失い、オルヴィスもまた彼を作り出した罪と後悔に苦しむ。
リュウエルの苦しみを終わらせるため、オルヴィスは再び禁呪を唱え彼を解放するが、その代償は二人に深い絶望をもたらす。最後に、オルヴィスは永遠の贖罪の中で孤独に生き続けることを決意する。
第1章: 孤独な魔法使い
かつて、古の王国に名高い魔法使いオルヴィスがいた。彼はその天才的な魔法の力で数々の奇跡を起こし、王国の人々に畏敬の念を抱かせる存在であった。だが、その力はあまりにも強大すぎて、誰も彼と肩を並べることができず、オルヴィスは長い間孤独な日々を送っていた。人々は彼を恐れ、理解することなく敬遠していった。魔法使いとしての名声と共に、孤立もまた彼の運命となった。
だが、そんな彼に唯一心の支えがあった。それが妹のリリィだった。リリィはオルヴィスの妹として、彼の人生における唯一の光であり、親友でもあった。幼少期から彼女はオルヴィスの傍で過ごし、彼がどれほど孤独であっても、リリィだけはその孤独を理解し、支えてくれた。オルヴィスにとって、リリィの存在は単なる家族の枠を超えたものであり、彼女との絆は他のどんな関係よりも大切だった。リリィの温かい言葉と笑顔が、オルヴィスの心を慰め、魔法使いとしての厳しい現実を乗り越える力となった。
リリィは、オルヴィスにとってただの妹ではなく、心の拠り所だった。彼女の無邪気な笑顔と、優しさに溢れた言葉は、魔法という強大な力を持ちながらも心を閉ざしがちだったオルヴィスにとって、唯一の人間らしい温もりであり、彼が孤独に打ちひしがれそうになるたび、リリィがそっとその心に寄り添ってくれた。彼女と過ごす時間は、オルヴィスにとって何よりも安らぎのひとときであり、日々の重圧を忘れさせてくれる唯一の瞬間だった。
しかし、その平穏は長くは続かなかった。王国に突如として現れた恐ろしい病が、あっという間に広がり、町々を襲い始めた。王国全体がその脅威に震え、治療法が見つからないまま、病は次々と命を奪っていった。医者や治療師たちが力を尽くしたものの、誰もが手のひらで砂を掴むように、状況は悪化の一途を辿るばかりだった。オルヴィスは魔法の力を使っても、この病に対しては何の効果も見られなかった。どれだけ尽力しても、リリィの病状は一向に改善することはなく、日に日にその容態は悪化していった。
妹リリィの命を救いたい一心で、オルヴィスは何度も何度も試行錯誤を繰り返した。彼は禁断の魔法や、古代の呪文を使い、あらゆる手段を講じたが、それでもリリィを救うことはできなかった。オルヴィスはその無力さに打ちひしがれ、何度も自分を責めた。妹を失いたくないという思いが、彼をさらに追い詰めていった。そして、最終的に彼の心に芽生えたのは、死を乗り越えるために禁じられた呪文に手を出すという決断だった。
オルヴィスの心の中で、もうリリィを失うわけにはいかないという思いが膨れ上がっていった。その思いが、彼に恐ろしい決断を下させたのであった。
第2章: 死を乗り越える呪文
妹リリィを失ったオルヴィスの心は、深い絶望に包まれた。王国を守るために幾度も戦い、無数の命を救い、強大な魔法の力を駆使してきた彼だったが、その力の前では最も大切な命である妹を救えなかった事実が、彼の心を完全に打ち砕いていった。自分の無力さを痛感し、日々を過ごすことがどれほど辛く感じられたことか。魔法使いとしての名声も、力も、すべてが空虚に感じられ、心にぽっかりと開いた深い穴を埋めることができなかった。
夜も眠れぬほどの苦しみが続き、オルヴィスは自らの力の限界を知った。彼は、もはや死者を蘇らせる方法がないのかと悩み続けた。そのとき、ふと彼の脳裏に、禁断の魔法の記憶が蘇った。それは、死をも超越する力を持ち、最も強力な呪文であると伝えられるものだった。しかし、その魔法には大きな代償があると言われていた。生と死の均衡を保つためには、必ず命を一つ奪わなければならない。それが何であれ、犠牲のない力など存在しないという、魔法の世界の冷徹な掟だった。
オルヴィスはその呪文に手を伸ばすことを決意した。妹リリィを蘇らせるためには、何を犠牲にしてでも構わないという思いが彼の中で渦巻いていた。彼は覚悟を決め、古代の書物からその呪文の詳細を探し出した。その呪文に込められた力は、まさに人間の理解を超えたものだった。死者を蘇らせるためには、命を一つ取り込まなければならない。だが、どんな命でも蘇らせることができるとされ、オルヴィスはそれに賭けるしかないと感じていた。
彼は呪文を唱える準備を整えた。夜が更け、静寂の中で、ただ一人、暗闇に包まれたオルヴィスの姿はまるで死神のように見えた。呪文の言葉を口にするたびに、彼の周囲の空気が震え、魔力がその場に満ちていった。命を蘇らせる力が、目の前に現れるのを感じながら、オルヴィスはついにその呪文を唱え始めた。
「死を越え、魂を呼び戻せ。」
その言葉が呪文の中核をなすものであり、彼の心を決して揺るがすことなく、無情に響き渡った。だが、呪文が発動すると同時に、彼の体には激しい衝撃が走り、まるで自分の命の一部が引き裂かれるような感覚を覚えた。彼はその痛みに耐えながらも、呪文を続けた。
「命を奪い、命を与えよ。」
呪文が終わり、魔法の力が漆黒の霧のように彼を包み込んだ。暗闇の中で何かが動く音が聞こえ、オルヴィスはその瞬間に気づいた。目の前に現れたのは、リリィではなかった。彼が作り出したのは、かつて彼の心の中にあった記憶の断片から形作られた、未知の存在だった。リリィではなく、全く異なる者が生まれたのだ。それが「魔人・リュウエル」だった。
リュウエルは、オルヴィスの過去の記憶の中に存在した普通の青年、村で穏やかに過ごしていた農夫だった。しかし、オルヴィスの魔法によってその魂は引き継がれ、肉体が与えられた。彼は不死の存在として蘇り、決して年を取ることも、死ぬこともない。しかし、その力には代償があった。リリィが蘇るはずだったその瞬間、リュウエルが生み出され、オルヴィスはついに自分が犯した選択の重大さを理解することとなった。
リュウエルは目を覚ますと、何もかもが不確かな世界に生きていることに気づいた。その体は、かつての自分ではない。無表情な顔と冷たい瞳を持つその存在は、かつての青年の姿をほとんど失い、ただ無機質な力を宿していた。そしてオルヴィスは、自分が望んだものが決して妹リリィではないことを痛感した。
その瞬間、オルヴィスは理解する。妹を取り戻すために行ったことが、いかに恐ろしい代償を伴う行為だったのか。彼は、その呪文によって作り出された不死の存在・リュウエルを前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
第3章: 魔人・リュウエル
リュウエルは、かつてオルヴィスが知っていた普通の青年だった。彼は、小さな村で農夫として穏やかな暮らしを送っていた。日々の仕事に励み、家族と共に温かな時間を過ごしながら、特別な力もなく、ただ平穏無事に生きていた。彼には大きな夢や野望はなく、むしろ日常の小さな幸せを大切にしていた。それこそが、彼にとっての人生そのものであり、満ち足りたものだった。
だが、オルヴィスの呪文によってその運命は根底から変わった。魔法の力によって、リュウエルの魂は過去の記憶を抱えたまま引き継がれ、肉体は新たに与えられた。目を覚ましたとき、リュウエルは自分の体が全く別物であることに気づいた。彼の体はもはや人間のものではなく、不死の力を宿す魔人のものになっていた。年を取ることなく、傷つくことも死ぬこともない、終わりのない存在となったことに彼は混乱し、恐怖を覚えた。しかし、オルヴィスから与えられた命令に従い、彼は戦士としての役目を果たし続けることとなった。
最初、リュウエルは与えられた力に感謝していた。無敵の存在となった自分に、すべての命令を忠実に果たすことが与えられた使命だと思い込んでいた。彼の力は次第に王国を守るための強力な武器となり、オルヴィスの指導のもと、数々の戦争を勝利に導いた。その名は王国中に知れ渡り、英雄として讃えられた。しかし、そんな勝利の連続も、次第にリュウエルの心には空虚なものしか残さなかった。
戦いが終わる度に、リュウエルは胸に広がる無力感を感じ始めた。勝利を収めても、次の戦いが待っているだけで、達成感や満足感は湧いてこなかった。人々は彼を英雄として迎えたが、その一方で、彼は誰にも理解されることなく、ただ無表情で次の命令に従う日々が続いていった。戦場で流れた血の匂い、倒れた者たちの呻き声は彼にとって何の感情も引き起こさなかった。ただ、目の前の戦いを終わらせることだけが意味を持つかのように、リュウエルは戦い続けた。
だが、その繰り返される戦いの中で、次第に彼の心から感情が薄れていくのを感じ始めた。怒りや悲しみ、喜びや恐怖、かつて彼が人間として抱いていた感情が、まるで霧のように消えていった。戦場ではただ機械のように動き、命令をこなすだけであり、戦いが終わる度に、リュウエルは自分が何をしているのか、なぜ戦い続けなければならないのかを見失っていた。
時折、リュウエルはふと過去の記憶に思いを馳せることがあった。あの静かな村で過ごしていた日々、家族や友人と笑い合っていた時間、そして何も知らずに普通の人間として生きていた頃の自分。その頃にはあった温かな感情が、今や完全に失われてしまったことに、彼は苦しみを覚えることがあった。だが、いくら思い出しても、彼の手に戻ってくることはなかった。その静かな暮らしも、家族との時間も、もはや手のひらの中の砂のように消えていくしかない。
戦いが終わった後、彼はその空虚な心をどうしていいのか分からずにただ一人で立ち尽くすことが多くなった。オルヴィスの命令に従うことが自分の存在意義であり、それが全てだと思っていた。しかし、やがてその思い込みにも限界が来る。リュウエルは次第に、オルヴィスに対する感情が変化していくのを感じた。最初は忠実に従い、感謝の念を抱いていたオルヴィスに対する思いも、次第に薄れていった。命令をこなすことがただの義務になり、彼が守るべきものが何かを見失っていった。
「守るべきものは、もうない。」
その言葉が、リュウエルの心に深く響くこととなる。それは、もはや彼がただ命令に従う存在でしかないことを意味していた。そして、オルヴィスの顔を見つめるたびに、その思いはますます強くなっていった。彼は、オルヴィスをただの魔法使いとしてではなく、呪文によって自分を作り出した存在として捉え始めた。それがリュウエルの心に大きな亀裂を生むことになった。
オルヴィスが与えた力、そしてその力に隠された代償がリュウエルの心を蝕み、彼をどんどん無感情な存在へと変えていった。彼はもはや「英雄」ではなく、ただの道具、使い捨ての兵器として存在していることに気づき始めたのだ。
――続く――