本当にあった怖い話
あらすじ
田村誠一は、友人たちと肝試しに長らく放置された村の墓地を訪れる。村人たちから恐れられたその墓地には、不吉な噂が絶えなかったが、誠一はその話を信じていなかった。霧が立ち込める中、墓地を歩く誠一たちは、次第に異様な雰囲気に包まれていく。突然、背後から足音が響き、誰もいないはずの場所に浮かぶ影を目撃。さらには地面から冷たい白い手が伸び、恐怖に駆られ逃げ出す。
数日後、誠一が墓地の近くを通ると、友人の名前が刻まれた見慣れない墓石を発見し、深い恐怖に囚われる。彼は二度と墓地に近づくことはなかったが、墓地の呪いは永遠に彼の心に刻まれることとなった。
「忘れられた墓地」
秋の夜、冷たい風が村を包み込み、田村誠一は仲間たちと一緒に肝試しをすることを決めた。長い間、放置されたままの墓地には、村人たちから恐れられた暗い歴史があった。誠一はそれをただの噂だと思っていたが、友人たちはどうしても怖がっていた。
「夜になったらもっと怖いんじゃないか?」と、友人の一人が言った。声が震えているのがわかる。
誠一は軽く肩をすくめ、笑って答えた。「大丈夫だよ、ただの古い墓地さ。みんな怖がりすぎだよ。」
彼は、墓地の周りを歩き回り、村の先祖たちが眠っているその場所にただの古い石碑しかないだろうと信じていた。しかし、誠一が聞いたことがある話では、その場所には死者の魂がまだ迷い、時には暴れたという。かつて、ある家族がその墓地の近くで不吉な出来事に見舞われ、その後その家の者たちはすべて姿を消してしまったという噂があった。村人たちはその場所を避け、墓地に近づこうとはしなかった。
「墓地に行ってみようぜ」と、誠一は先頭を切って歩き出した。友人たちは少し躊躇しながらも、何とか後に続く。
月明かりが雲に隠れ、墓地がひんやりとした霧の中に浮かび上がる。古びた墓石が並んでおり、そのほとんどが長年放置されていたように苔むしている。周囲は静寂に包まれ、時折、風が枝を揺らす音だけが響く。
「うわ、すごく暗いな…」友人の一人が言った。
誠一は少し無理をして明るく言った。「怖いか? こんなこと、子供じゃあるまいし。」
仲間たちがあまりにも怖がっている様子に、誠一は心の中で笑いながら墓地を歩き続けた。しかし、歩きながら、何かが変だと気づき始めた。足音が妙に響く。ひんやりとした空気が一層冷たくなり、何もかもが重く感じられる。何かが彼らを見ているような気がして、誠一は無意識に足を速めた。
突然、一人の友人が足を止めて言った。「なんだか、誰かに見られているような気がする…」その顔は青ざめ、息を呑むような表情だった。
誠一は振り返ると、何も見えない。だが、その瞬間、背後から足音が聞こえてきた。最初は風の音だと思ったが、足音は確実に誰かのものだ。恐怖に駆られて振り返ると、そこには誰もいないはずの空間に、淡い影がふわりと浮かんでいた。
「うわっ、何だ?」誠一は一歩後退り、手が震えるのを感じた。
影は静かに揺れるように動き、その場に立ち尽くす彼らを見つめているように思えた。友人たちは怖気づき、口をつぐんだ。
「やっぱり、ここ怖いよ…」震える声で、友人の一人が呟いた。もう誰も動こうとはしなかった。
だが、誠一はそれがただの錯覚だと信じようとした。しかし、足元に何か冷たい感触が触れた。彼は思わず顔をしかめ、視線を下げると、地面からゆっくりと白い手が伸びてきていた。それはまるで誰かが地面から這い出そうとしているかのように、手がこちらに向かって伸びてきている。
「うわ…っ!」誠一は叫び声をあげ、恐怖に駆られてその場を駆け出した。仲間たちも一斉にその場を離れ、墓地を駆け抜けて外に出た。
風が彼らの背後を追うように吹き、急いで村へと向かう。振り返ることなく、皆はただ逃げるように走った。しばらくして、ようやく村に戻ると、冷や汗が背中を流れ、心臓が激しく鼓動していた。
その晩、誠一は悪夢を見た。目を覚ますたびに、何度も墓地に戻され、あの手が伸びてくるのを感じた。毎晩、目を覚ますと胸が締め付けられるような恐怖に襲われ、昼間でもふとした瞬間に墓地の影が脳裏に浮かんだ。
数週間後、誠一が再びあの墓地の近くを通りかかると、何かが違うと感じた。墓地の一角に、見慣れない墓石が一つ増えていた。そこには、彼の友人の名前が刻まれていた。その瞬間、誠一の体に氷のような冷たい感覚が走った。
その晩、再び夢の中で友人に出会った。友人は悲しげに言った。「忘れられた墓地に足を踏み入れてはいけなかったんだ…」
目を覚ますと、誠一は心から恐怖を感じ、その後一度も墓地に近づこうとはしなかった。そして、村人たちが今もなおその場所を避ける理由を、深く理解することとなった。墓地の闇には、何かが息を潜めているような気配が感じられ、彼の中でその場所は永遠に不吉なものとして残り続けた。
「赤い部屋」
佐藤幸子は、ついに古びたアパートに引っ越してきたばかりだった。建物自体は古く、壁にひび割れがあり、廊下にはかすかな湿気が漂っていたが、家賃は安く、周囲の環境も比較的静かで、特に不安を感じることはなかった。幸子は新しい生活を始めることに胸を膨らませていたが、何か不安げなものが頭の片隅に引っかかっていた。
引っ越し初日の夜、家具を配置して一通り片付けた幸子は、荷物がまだ残っている部屋に足を踏み入れた。その瞬間、ふと以前、友人から聞いた話を思い出した。「赤い部屋」という都市伝説だ。友人は言っていた。赤い壁がある部屋に入った人は、必ず恐ろしい体験をする――音もなく人が消えたり、知らない人の影が部屋の中に現れたりするというのだ。
幸子はその話を笑い話だと受け流していたが、部屋の向かい側に赤い壁の部屋があったことを思い出し、ふと足が止まった。見れば、その部屋はドアがわずかに開いており、薄暗い廊下の先に見え隠れしていた。壁は赤く、まるで鮮血のように真っ赤に染まっていたが、幸子は「ただの照明のせいだろう」と思い込もうとした。
その夜、寝室に寝転んだ幸子は、ぐっすり眠りに落ちようとしていたが、突然、ドアの向こうから不気味な声が聞こえてきた。それは、低く、かすれた声で、「来てみなよ」と囁いているように聞こえた。耳を澄ませ、静寂を破るその声に、思わず体が硬直する。目を開け、あたりを見回すが、周囲には何もない。ただの夜の静けさだけが漂っていた。
幸子は迷ったが、その声に引き寄せられるようにして、ドアに近づいた。ドアノブに手をかけると、ガタリと音を立てて開いた。部屋は真っ暗で、ただ赤い壁が部屋の中に広がっていた。血のように赤い色が、部屋全体を染め上げている。それは、まるで生きているかのように鮮烈で、不気味だった。
部屋の隅には、年老いた女性が静かに座っていた。顔は陰になって見えなかったが、その存在感は異様だった。目を合わせることができないほどの圧力を感じた。女性はゆっくりと顔を上げ、幸子を見つめながら、低い声で言った。「あんたもここに来たのか?」
その瞬間、幸子は恐怖で全身が凍りついた。言葉が出ない。体は動かず、目の前の女性に何も言えずに立ち尽くす。しかし、何かに引き寄せられるように、無意識に一歩を踏み出していた。足元が重く、足音が異常に響いた。恐怖が全身を包み込む中、幸子は急いで部屋を後にした。
その晩から、奇怪な出来事が次々と起こり始めた。夜中に物音がする。家具が勝手に動く音が響き、鏡を覗き込むと、幸子の顔ではない別の顔が映ることがあった。最初は睡眠不足やストレスのせいだと自分に言い聞かせていたが、次第にその異常さが増していった。夜が深くなるにつれて、部屋にあるものが無意識に動き、床に座っていると、背後に視線を感じるようになった。
ある晩、幸子が寝室で目を覚ましたとき、隣の部屋から異様な気配を感じ取った。音もなく、ただその部屋が呼んでいるような、無意識に引き寄せられる感覚に襲われた。恐る恐るドアを開けると、部屋の中には誰もいなかったが、赤い壁だけがそこに広がっていた。そして、壁に刻まれた不明な文字のようなものが浮かび上がり、まるで血がしたたっているかのように見えた。
その瞬間、幸子はすべてを放り出してそのアパートを出る決意を固めた。しかし、誰に尋ねても、「赤い部屋」について語る者は一人もいなかった。村の住民たちはそのアパートに関して語りたがらず、ただの噂だと言ってはぐらかされた。幸子は、自分が何か大きな禁忌を犯してしまったのではないかという思いに駆られたが、それを証明する者は誰もいなかった。
結局、幸子はそのアパートを後にした。だが、それ以来、どこに行っても不安と恐怖が彼女を追い続けた。赤い部屋での出来事が、日常の中にひそかに忍び寄り、心の奥底に深く刻まれていった。そして、どこに行っても、ふとした瞬間に「あの赤い部屋」のことを思い出してしまうのだった…。
「電話の向こう」
中村健一は、毎晩遅くまで仕事に追われるサラリーマンだった。家に帰る頃には、心も体も疲れ切っていることが多く、家に帰るのが唯一の楽しみだった。だが、ある晩、いつものように仕事を終え、帰路につこうとした時、ふと携帯電話の画面に目を向けると、見知らぬ番号から着信が入っているのに気づいた。
「仕事関係か?」と思い、何気なく受話器を取る。普段なら仕事のことが多いため、少しも疑うことなくその電話に出た。だが、電話を取った瞬間、健一はすぐに何か違和感を覚えた。
「もしもし、健一さんですか?」と、電話の向こうから女性の声が聞こえてきた。声は非常に落ち着いていて、冷静で、少し陰りが感じられる。しかし、その声はどこか懐かしくもあり、同時に聞き覚えのあるものであるような気がした。
健一は、しばらく耳を傾けていたが、何となく言葉が出てこなかった。女性の声に浮かぶ懐かしさの正体を探ろうと、すぐに反応できなかった。
「はい、私は中村です。どちら様でしょうか?」健一がようやく応答すると、女性は一度沈黙し、何かを考えているような気配を感じさせた。そして、静かな声で言った。
「あなたは、まだ覚えていると思います。」
その言葉を聞いた瞬間、健一の心臓が一瞬で止まりそうなほど驚愕した。女性の声は、どうしても避けられないほど身近で、しかし何か恐ろしい予感を感じさせるものだった。彼の心は急速に冷たくなり、冷や汗が背中を伝った。何かおかしい――その直感に従い、健一は電話を耳から外し、少しの間、無意識に携帯を見つめた。
その声――懐かしいような、でも今は違う感じがする。誰だろうかと頭を巡らせるうちに、ふと思い当たった。
「まさか……」
その言葉を考える間もなく、電話は静かに切れていた。
その夜、健一は眠れなかった。布団に入っても、あの声が頭から離れなかった。まるで誰かに見張られているかのような感覚に襲われ、しばらく寝室の暗闇の中で目を開けたまま時間が過ぎていった。
突然、彼はふと思い出した。小学生の頃、母親と一緒に住んでいた時、何度も携帯電話を使っていた。しかし、母親はもう何年も前に事故で亡くなっていた。あの時から、携帯電話も家の中にあったままで、今も母親のものが机の引き出しに入ったままであった。
「まさか……」健一はもう一度その電話番号を確認するため、携帯を手に取った。画面には、確かにその見知らぬ番号が履歴として残っていた。
恐る恐る番号を調べようとしたが、目を疑った。画面に表示された番号は、彼の母親のものと一致していた。亡くなった母親の携帯番号――それが、今もなお生きているかのように表示されていたのだ。
震えが止まらないまま、健一はその番号を再度確認した。間違いなく母親の番号だ。それは、もう何年も使われていないはずの番号だった。健一は恐怖に駆られて、もう一度その番号に電話をかけようとしたが、手が震えて電話をかけることができなかった。
その後、健一は夜毎にその出来事を思い出し、電話の件を忘れようと努めた。しかし、次の日もその次の日も、無意識に携帯の履歴を見てしまい、あの番号が消えることはなかった。ついには、何かの気配を感じて家の中に帰るたびに、電話が鳴る気がしてならなかった。
数日後、とうとう健一は耐えきれなくなり、再度番号にかけてみることに決めた。電話をかけると、何度も何度も呼び出し音が響く。数回後に、ようやく電話が繋がった。だが、電話の向こうから聞こえた声は、あの女性の声ではなく、静寂に包まれた無音だけが続いていた。
その瞬間、健一は悟った。母親は死んだはずなのに、その後ろには何かがひそかに忍び寄っているのではないか――。
その後、健一は「電話の向こう」から響く声に、どんどん囚われていった。恐怖とともに、彼の中で次第に何かが変わり始め、もう二度と母親の顔を思い出すことはなくなった。しかし、あの女性の声だけが、今でも時折携帯電話の画面にひっそりと現れるのだった。
「影の中」
大学生の高橋翔太は、大学の友人たちに勧められて、山中の温泉宿で一泊することに決めた。普段は都会の喧騒に囲まれている彼にとって、自然の中でゆっくり過ごすのは新鮮で、少し楽しみにしていた。しかし、宿に到着した夜、予想外の大雨が降り始め、宿周辺はすっかり静まり返っていた。山の中で、近くに他の宿泊客もほとんどおらず、翔太はなんとなく孤立したような感覚を覚えた。
宿の玄関をくぐると、薄暗いロビーと、温かい木の匂いが漂ってきた。部屋に案内されると、やや古びた感じの内装にほっとしたものの、どこか不安を感じる空気が漂っていた。部屋に入ると、翔太は荷物を置き、ひと息ついた。だが、その瞬間、部屋の隅に目を向けた翔太は、思わず息を呑んだ。
部屋の隅には、大きな鏡が掛けられていた。それ自体は特別なものではないが、なぜかその鏡に違和感を覚えた。鏡には、何も映っていないはずなのに、薄暗い中で影がゆらゆらと揺れているのが見えた。最初はただの錯覚だろうと思って、翔太は目を背けようとしたが、何かに引き寄せられるように再び鏡に目を向けた。
影はだんだんと激しく動き始め、まるで鏡の中で何かがうごめいているようだった。その影は、誰かが鏡の中で翔太を見ているようにも感じられ、彼は胸が締めつけられる思いをした。彼は視線を鏡から外し、少しでも気を紛らわせようと部屋を歩き回ったが、どうしてもその影のことが気になって仕方がなかった。
そして、翔太が寝ようとベッドに横になると、その時だった。突然、鏡の中からかすかな声が聞こえてきた。
「ここに来てはいけなかったんだ…」
その言葉は低く、震えたような響きで、翔太は一瞬、息を呑んだ。背筋が凍り、まるで部屋全体が凍りついたように感じた。翔太は恐る恐る振り向いたが、部屋には誰もいない。心臓がドクドクと鳴り、部屋の中の空気が圧迫感を与えてくるように思えた。しかし、再び鏡を見てみると、今度は鏡の中で、あの影が翔太をじっと見つめていた。
その影はもはやただの形ではなく、誰かがそこにいるように感じられ、翔太はその視線から逃れられない気がした。手足が震え、冷や汗が背中を伝った。その瞬間、翔太はすぐに目をそらし、布団をかぶって目を閉じた。しかし、目を閉じても、あの視線が頭から離れなかった。
その晩、翔太は一睡もできなかった。何度も目を覚まし、鏡の中の影を恐れて、目を開けることさえできなくなっていた。やがて朝が訪れ、翔太は疲れ果てた状態でベッドから起き上がると、すぐに荷物をまとめ、宿を去ることを決意した。外の雨はまだ止んでおらず、暗い雲が山々を覆っていた。
だが、宿を出てからも、翔太の不安は消えることがなかった。どこへ行っても、何かしらの不安定な気配を感じるようになり、鏡を見るたびに、その影が自分を見つめているような気がしてならなかった。街中に戻り、自宅の鏡を見ても、そこに映る自分の姿が歪んで見えることが増えていった。まるで、どこか別の世界に引き寄せられるような感覚に襲われることもあった。
次第に翔太は、どんな鏡でも、その中に映るものが異様に歪んで見えるようになった。表面の反射が乱れ、色が濃く、形が崩れていく。何かが彼を監視しているような、そんな不安に囚われていた。自分を見つめるたびに、あの影の存在を強く感じるようになり、日常生活の中でその恐怖が日に日に強くなっていった。
そしてある日、翔太はとうとう鏡の前に立つことができなくなった。外出先でも、自分の姿を映すことすら怖くなり、次第に彼は心の中であの影の存在を恐れるようになった。それはもはや、ただの悪夢ではなく、現実そのものであるかのように感じられた。
「もう逃げられないのか…?」翔太は深い恐怖を感じながら、その問いに答えを見つけられずにいた。
「地下室の鍵」
加藤理恵は、都心から少し離れた静かな場所にある古い家に引っ越してきた。家自体は古びていたが、広々とした部屋と落ち着いた雰囲気が気に入り、すぐに居心地の良さを感じていた。部屋を一つ一つ探索しながら、理恵はこの家に何か隠された秘密があるのではないかと期待していた。
家を見回しているうちに、地下室があることに気づいた。前の住人は地下室に入ることを禁じていたらしいが、理恵の好奇心がそれを上回った。昔の家によくある、何かが隠されているような予感を感じていたのだ。
ある晩、家が静まり返った頃、理恵は地下室への扉を見つめていた。扉には古びた錠前がかかっており、鍵穴にぴったり合う鍵がどこかに隠されているのだろうと予想していた。家の中を歩き回り、ついにその鍵を見つけた。手に取った鍵は重く、古びた金属の匂いがした。
理恵は扉に鍵を差し込み、力を入れて回すと、古い錠が外れる音がした。鍵を抜いて、扉をゆっくり開けると、地下室から冷たい空気が流れ込んできた。その冷気は、まるで長い間閉じ込められていたものが解放されたかのように感じられた。地下室の扉を開けた瞬間、遠くから何か不気味な音が響いてきた。それは、低い轟音のようなもので、理恵の背筋をぞっとさせた。
地下室に足を踏み入れると、目の前には古い家具や箱が乱雑に積まれていた。数十年分のほこりと湿気が漂い、どこか陰気な雰囲気を漂わせていた。理恵は少し躊躇いながらも、好奇心が勝り、部屋の奥へ進んでいった。その途中、足元でカサリという音がした。振り返ると、特に何もなかったが、再び何かが動いたような気がして、心臓が高鳴った。
無数の箱の中には、何もないと思っていたが、一つだけ、異常に古びた箱が目に留まった。その箱は他のものと比べて明らかに古く、まるで時間の流れを封じ込めたかのような印象を与えた。理恵はその箱に近づき、手を伸ばすと、箱の表面にひび割れた跡が見えた。軽く押すと、箱は軋むような音を立てて開いた。
中には、白い布で包まれた物が入っていた。布の端がわずかに擦れて見え、理恵は無意識にその布を取り外してしまった。すると、布の下から現れたのは、手のひら大の人形だった。人形は不気味なほどリアルで、細部にまで作り込まれていた。だが、目が無く、真っ黒な穴のような空間がぽっかりと開いているだけだった。その目に見つめられているような気がして、理恵はぞっとした。
その瞬間、背後から冷たい気配を感じ、理恵は思わず振り返った。しかし、何も見当たらない。部屋の中は完全に静まり返っており、外から降りしきる雨の音だけが響いていた。しかし、理恵はその静寂の中で何かが動いているのを感じた。
その時、地下室の扉が突然、重く閉じる音が響いた。理恵は振り向くと、扉がゆっくりと閉じていくのが見えた。鍵の音が聞こえ、扉が完全に閉まると、理恵は胸騒ぎを感じて駆け寄ったが、どうにも扉は開かない。
「どうして…?」
理恵は息を呑み、扉を叩きながら叫んだが、反応はなかった。地下室の空間が不気味に冷たく、全てが静寂の中で凍りついているような気がした。その時、足元から何かが動く音がした。理恵は振り向くと、暗がりの中で、ぼんやりと人形の姿が動いているように見えた。
人形は、まるで生きているかのように、ゆっくりと理恵に向かって動き出した。その動きはぎこちなく、不自然でありながら、どこか生気を感じさせた。理恵は恐怖に駆られ、叫び声を上げようとしたが、喉が詰まったように声が出ない。
そして、暗闇の中でその人形の目が、無くてはならないもののように暗く輝き、理恵に向かってじっと見つめ続けた。
その後、誰も理恵を見つけることはなかった。地下室の扉はしっかりと閉じられ、鍵がかかっていた。しかし、家に訪れた者たちは、地下室の鍵を使っても、扉を開けることができなかったという。
そして、家は再び誰も住むことなく、長い間放置されることとなった。
――完――