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白米クライシス 〜奪われた食卓と最後の一粒〜

あらすじ

2030年代、日本政府は**「糖ゼロ政策」を掲げ、白米や小麦を「肥満と病気の元凶」として全面禁止した。コンビニやスーパーからおにぎりやパンが消え、飲食業は崩壊。代わりに登場したのは「大豆粉パン」「昆布粉ご飯」「こんにゃくヌードル」**といった代替食品だったが、その味と食感は最悪で、国民の不満は爆発する。

政策を推し進めたのは、新健康団体「ピュア・ヘルス協会(PHA)」のカリスマ指導者・三条玲司。彼の理想は、「糖ゼロこそが人類の未来」。しかし、急激な糖質制限によって国民の健康は悪化し、疲労や集中力低下が社会問題となっていった。

そんな中、PHAの若き幹部・神谷涼介は、一人の女性と出会う。彼女の名は月島真白――代々続く米農家の娘で、「白米こそ日本の文化だ!」と政府に反旗を翻す活動家だった。最初は衝突する二人だったが、真白の情熱と、人々が苦しむ姿を目の当たりにし、涼介は次第に疑問を抱き始める。

やがて、涼介はPHAを裏切り、真白と共に**「白米解放運動」を開始。全国の米農家や飲食店と手を取り、「#白米を返せ」デモを主導する。秘密の田んぼで密かに稲を育てる「白米レジスタンス」**が結成され、政府の監視をかいくぐりながら炊飯パーティーを開催する人々が続出する。

ついに、国民の怒りは爆発。全国規模の暴動に発展し、支持率低下を恐れた政府はついに政策の見直しを決定する。

「日本の食文化と健康のバランスを考え、白米・小麦の再導入を決定する」

ニュース速報が流れると、全国のスーパーには白米を求める人々が殺到し、「米パニック」と呼ばれる買い占め騒動が発生。炊きたてのご飯を口にした人々は涙し、食卓には再び笑顔が戻った。

崩壊したPHA、姿を消す三条玲司。そして、炊飯器を前に向き合う涼介と真白。

「やっぱり、白米はうまいな」
「でしょ?」

こうして、奪われた食卓は取り戻された――。

しかし、この騒動は**「白米戦争」**として、後の歴史に深く刻まれることとなる。

第1章:新健康団体の誕生

1. ピュア・ヘルス協会(PHA)の旗揚げ
2028年春、日本の食と健康を巡る歴史が大きく動いた。

東京・青山のカンファレンスホールには、1000人以上の聴衆が詰めかけていた。壇上に立つのは、黒いスーツに身を包んだ男――三条玲司(さんじょう れいじ)。40代半ばにして彫りの深い端正な顔立ちを持つ彼は、静かにマイクを握った。

「皆さん、今、日本人の健康は危機的な状況にあります」

その第一声に、会場は静まり返った。

「糖尿病患者は増え続け、メタボリックシンドロームはもはや国民病。あなたの隣にいる人も、もしかすると糖の毒に冒されているかもしれません」

スクリーンに映し出されたのは、年々増加する生活習慣病のグラフだった。肥満に悩む中年男性、動脈硬化で倒れた高齢者――それらの映像が次々と映し出される。

「我々はこの現実を変えなければなりません。そのためには**“根本原因”**を断つ必要があるのです」

三条は一拍置いて、鋭い目を聴衆に向けた。

「その原因とは――糖です」

ざわめきが広がる。

「糖は毒です。特に、日本人が毎日食べている白米と小麦こそが、最大の問題なのです!」

会場の空気が変わった。

「長年、政府や企業はこの事実を隠し、我々に『ご飯は健康に良い』『パンは活力の源』と信じ込ませてきた。しかし、それは大きな間違いだ! 真実はこうです――糖をゼロにすれば、人類は理想の健康体を手に入れられる!」

演説が終わると、ホールは拍手と歓声に包まれた。その瞬間、新たな健康運動が日本を席巻し始めたのだった。

「ピュア・ヘルス協会(PHA)」の誕生である。

2. 過激な糖排除運動
PHAは、設立からわずか半年で驚異的な勢いを見せた。

SNSでは「#糖ゼロ革命」「#脱白米宣言」といったハッシュタグがトレンド入りし、若者を中心に「糖を摂らないことこそがクールだ」という価値観が広がり始める。

テレビでは「白米を食べると脳が老化する」「パンは砂糖の塊」という刺激的なフレーズが繰り返し流され、健康志向の企業も次々とPHAに賛同した。

コンビニからはおにぎりや菓子パンが姿を消し、代わりに「糖質ゼロ食品」が並び始める。
カフェでは「ノーシュガー・ノーライフ」ならぬ「ノーシュガー・イズ・ライフ」というスローガンが掲げられ、砂糖入りの飲み物は次第に「罪の飲み物」として忌避されるようになった。

しかし、PHAの活動はそれだけでは終わらなかった。

三条玲司の指導のもと、彼らは政府や企業に強く働きかけ、「脱・糖社会」の実現を目指した。

3. 政府を動かした一手
PHAの活動が転機を迎えたのは、2031年。

彼らは大手食品メーカーとの会合を設け、「糖を含む商品は健康被害を引き起こす」とする独自の研究データを提示した。そのデータには、糖を摂取し続けた場合の体脂肪の増加率や、脳機能の低下、内臓への負担の大きさが細かく記されていた。

「このまま白米や小麦の消費を続ければ、2050年には日本の医療費は破綻するでしょう」

PHAの主張は一部の政治家にも受け入れられ、政府内でも「糖を制限するべきではないか」という議論が本格化する。

決定的だったのは、三条玲司が内閣の「健康推進委員会」の特別顧問に就任したことだった。

彼は「糖ゼロこそが国民の健康を守る道」として法案の提出を推進し、ついに2032年、「白米・小麦撤廃法」が可決される。

その内容は衝撃的だった。

1, 白米・小麦を含む食品の販売を2025年までに段階的に禁止

2, 学校給食や社員食堂での糖質提供の廃止

3, 糖の摂取を監視するための「ヘルスID制度」の導入

政府の決定を受け、全国のスーパーや飲食店から白米と小麦粉が消えていった。

かつて日本の象徴だった「炊きたての白米」や「焼きたてのパン」は、もはや違法食品となったのである。

4. 変わりゆく日本、そして反発の兆し

「糖ゼロ社会」の到来により、日本は大きく変貌した。

食事はすべて「糖質ゼロ食品」に置き換えられ、コンビニでは「大豆粉パン」や「昆布粉ご飯」が主流となる。政府は国民の健康指数を「糖質摂取量」として管理し、個々の食生活にまで監視の目が光るようになった。

しかし、国民の間では深い亀裂が生じ始めていた。

「健康のために必要な改革だ」と歓迎する者もいれば、「こんなのは食の自由を奪う暴挙だ」と憤る者もいた。

中でも、白米農家やパン職人たちは職を失い、地方経済は大打撃を受けた。

そして――その流れに抗うように、ある一人の少女が立ち上がる。

「おにぎりもダメなんて、そんなの絶対おかしい!」

そう叫んだのは、月島真白(つきしま ましろ)。

彼女は失われた白米の復権をかけて、ある男と対立することになる。

その男の名は――神谷涼介。

新たな戦いが、今始まろうとしていた。

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