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雪山の獣①
あらすじ
都会の喧騒から逃れ、雪山での静寂を求めて一人登山に挑んだ亮太。しかし、突然の吹雪に見舞われ、視界を失い道に迷ってしまう。さらに、雪山で遭遇したのは恐ろしい怪物のような存在。激しい吹雪と恐怖に駆られ、亮太は必死に逃げるが、巨大な影は執拗に彼を追い詰める。
小さな避難小屋を見つけるも、怪物の足音は止まらず、亮太は冷たい斧を握りしめて決死の覚悟で怪物に立ち向かう。命がけの最終決戦で怪物を退け、小屋に逃げ込むことに成功するものの、亮太の心には恐怖が深く刻まれる。雪山の静寂が、もう二度と彼に安らぎを与えることはなかった。
第1章:迷い込んだ雪山
亮太は、都市の喧騒から逃れるために計画したこの登山を、無邪気な楽しみとしか考えていなかった。都会の無限に続くビル群や人々の雑踏に疲れ、静寂と自然に包まれた雪山でのひとときが、どれほど心を癒してくれるかと期待していた。雪山の静けさ、白銀の世界に心を奪われ、無理をしてでも一人でその絶景に浸りたかったのだ。心の中で一度も体験したことがない静寂を感じることで、日常のストレスを忘れ、すべてがリセットされるような感覚を抱いていた。しかし、その思いは、思いがけず恐怖に変わることとなった。
最初は、雪が降りしきる中で、すべてが完璧な映画のワンシーンのように見えた。大きな木々が雪に覆われ、時折ひゅうひゅうと風の音が響く中、雪が静かに降り積もる様子に心が洗われるようだった。しかし、雪山は急にその顔を変えた。風が急に強くなり、空が一瞬で曇り、あっという間に吹雪が視界を奪った。最初はただの小雪だと思っていたが、まるで別の世界に引き込まれるかのように、風の音が次第に耳を塞ぎ、雪が激しく吹き荒れる中で、亮太の視界は一メートル先さえも見えないほどになった。
「こ、こんなはずじゃ…」
思わず声を漏らしたが、言葉にすることすら空しく感じた。手のひらをかざしても、雪がどんどん積もり、すぐに形を失って消えていく。足元も次第に雪に飲み込まれ、膝まで沈むことがしばしばで、冷たい風が体に刺さり、肌に触れる瞬間にその冷たさが骨まで染み込んでいくのを感じた。息を吸うたびに、肺が冷たい空気に圧倒され、まるで体温を奪われるかのような感覚が全身を走った。
「圏外…」
携帯の画面を覗くと、すでに電波は途切れ、完全に圏外になっていた。焦りが増し、手元の画面がにじんで見えるほど、亮太の手は震えていた。何度も何度も立ち止まり、深呼吸をして冷静を取り戻そうとするが、その度に雪と風が体を打ち、視界を奪っていく。周囲を見渡しても、どこを見ても同じように雪が降り積もっており、道しるべとなるものも目印も全てが白く消え失せていた。どこにいるのか、どこに向かうべきなのか分からない。無理に進むべきか、それとも戻るべきか?
その時、背後から不気味な音が響き渡った。
最初はただの風の音だと思った。しかし、雪の中に響くその音が、どこか違っていることに気づく。徐々にその音は、足音のように変わり、歩くたびに何かが踏みしめるような重たい音が響き始めた。それはまるで、大きな足で雪を踏みしめる音のようだった。亮太の心臓が激しく打ち始め、頭が真っ白になった。冷たい汗が一気に背中を伝い、体中が震えだす。必死にその音の正体を探そうと振り返るが、目の前の吹雪と雪の壁がそれを許さなかった。
その音は、確実に近づいてきていた。
まるで自分の背後に何かが迫ってきているようで、亮太は息を殺し、立ちすくんだ。視界が濃い雪で遮られ、足元は不安定で、何をしても進むことができない。だが、音は止まることなく、近づき続けていた。その重たい足音が、ますます大きく、確実に近づいていることを感じ、亮太の心臓はさらに速くなる。息を飲んだ瞬間、彼の目の前に、ぼんやりとした影が動いたような気がした。
背後から迫るその音が、今、何かが近づいてくることを告げていた。恐怖に支配されながらも、亮太は必死に自分に言い聞かせる。「大丈夫だ、何か見つけないと…」
だが、言葉は恐怖をかき消すことができなかった。
第2章:怪物との出会い
恐怖に駆られ、亮太はついに走り出す。背中で響く足音がますます迫ってくるのを感じ、胸の中で何かが叫んでいた。「逃げろ、逃げろ!」けれども、雪山の過酷な条件が彼を足止めし、前進を困難にさせる。深く沈む雪に足を取られ、何度も転びそうになる。そのたびに必死で体勢を立て直し、息を荒げながら一歩一歩進む。しかし、足元が重く、進むごとに雪が彼を引き戻す。雪は無情に体力を奪い、風はさらに強まり、雪が顔に突き刺さるように降り注ぐ。
その瞬間、背後から迫る足音が一層音速で近づいてくる。雪がきしむ音と、踏みしめる音が一体となり、亮太は確信した。あれは、もはや風の音ではない。何かが、彼を追い詰めている。
振り返ると、視界の隅に巨大な黒い影がひっそりと動いているのが見えた。最初はただの雪の塊かと思ったが、それは明らかに動いていた。ゆっくりと、確実に、そして着実に近づいてくる。雪の中に溶け込むように、全身を隠しながらもその巨大な影は、確実に亮太の進行方向に向かってきている。
「な、なんだ…あれは?」
亮太の声は震えていた。恐怖が彼の喉を締め付け、何も声を出せないような感覚に囚われる。目の前に現れたそれは、ただの雪山の風景ではなかった。全身が黒い毛で覆われ、まるで荒れた山の中で生き続けてきたかのように、暗闇から這い出てきた存在だった。足元から伝わる振動、雪を引き裂く鋭い爪の音。身体全体から放たれる冷気が、ただの「物体」ではないことを強烈に物語っていた。
その巨体は、想像以上に大きかった。雪の中でその動きを見たとき、亮太はその存在が完全に自分の世界を圧倒していることに気づいた。まるで神話に出てくる怪物のようなその姿、目は真っ黒で、ただの瞳に見えるものではなかった。冷たく無表情でありながらも、どこか人間のようなものを感じさせる。足元の雪を踏みしめるたびに、その爪が深く食い込み、まるで世界を支配するかのように動く。
その目が、亮太を捉えた。最初はぼんやりとした視線が次第に鋭さを増し、ついに亮太をじっと見つめるその瞬間、彼の心臓が跳ね上がるのを感じた。その視線は、物理的に圧し掛かってくるような感覚を覚え、彼の体は瞬時に硬直した。足がすくんで動けなくなる。冷たい風が、まるでその目に支配されているかのように、背中を押すように感じた。心臓の鼓動は早鐘のように鳴り響き、全身に冷や汗が流れた。
その時、亮太は気づいた。もし、ここで止まれば死ぬ。目の前に広がる恐怖が、その動きを封じ込めようとしている。しかし、それに屈することはできない。冷静さを失ってはならない。
「走れ!」
亮太はその瞬間、自分を奮い立たせるように叫び、すぐさま足を踏み出した。雪の中を必死に駆け抜ける。冷たい空気が顔に叩きつけられ、雪が目に入り、視界を妨げるが、もう振り返ることはできない。背後から迫る怪物の足音が、ますます大きく響く。まるで追いつかれれば、すべてが終わるような感覚が背中を突き刺す。
ただひたすらに、前へと進むしかなかった。
第3章:雪の中を駆け抜ける
息は荒く、喉の奥が痛いほどに呼吸を繰り返していた。体力はすでに限界に近かった。足元はどんどん重くなり、雪に足を取られながら進んでも、膝まで埋まっていく感覚に苛まれた。毎回一歩踏み出すたびに、無駄に感じるほどに遅々として進まない自分に焦りを覚える。風がますます強く、冷気が体の隙間から入り込み、骨の奥まで凍らせるようだった。目の前に迫る怪物の足音が、ますます大きくなり、まるで時間を刻むかのように、その音が一歩一歩確実に近づいてくる。響く音に恐怖が駆り立てられ、心臓の鼓動が早鐘のように響く。
「小屋…小屋はどこだ?」
亮太は必死に周囲を見渡し、心の中で何度も小屋のことを呟いた。登山の途中で見た、小さな山小屋が唯一の希望だと信じた。それが、この雪山を生き延びるための唯一の避難所だった。しかし、雪山はあまりにも広大で、どこを見ても同じような景色が広がっているだけだ。木々の間に隠れるようにして道は続いているが、どこにも小屋は見当たらない。目の前の景色はただ白一色で、希望の光はどこにもないように感じられた。
視界が歪んでいく中、ふと感じた不安が胸を締めつける。振り返りたくはなかったが、無意識に後ろを振り返ってしまった。すると、そこにはあの黒い影がまだついてきていた。雪を踏みしめる音が、ますます大きくなり、近づいてくるその影は、恐怖を倍増させた。その影は、あまりにも巨大で、あたかも雪山そのものが動き出したかのように感じられた。まるで雪山の一部が意識を持ち、命を持っているかのように、ひとつになって迫ってくる。巨大な爪が雪を掻き分ける音が、振り返らなくても聞こえてきて、亮太の体は一層震えた。
無駄に立ち止まることはできない。ひたすらに前へ、前へと進むしかない。あの黒い影が、あまりにも大きく、もはや振り返ることさえ怖くなった。進むべき道が分からないまま、亮太はただひたすらに雪の中を駆け抜けた。足が雪に沈み込むたびに、その重さに抗いながら、全身を使って走り続ける。冷たい風が耳を切り裂き、鼻にしみる冷気が息を奪っていくが、それでも彼は足を止めることができなかった。進んでも進んでも、雪は彼を足元から引きずり込むようで、彼の体力を容赦なく削り取っていく。
雪の中を走り続ける中で、亮太は次第に感覚が麻痺していくのを感じた。足元がどれだけ雪に埋まっていようとも、手足が冷え切って動きが鈍くなろうとも、ただ前に進むことだけが彼の意識を繋ぎ止めていた。しかし、風の音、雪の音、そして背後から迫る怪物の足音が、まるで世界全体が彼を取り囲んでいるかのような錯覚を引き起こしていた。
それでも、亮太は走り続けた。どこまでも、どこまでも。逃げるために、そして生き延びるために。
――続く――