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影の鬼ごっこ①
あらすじ
夏休み最後の週末、港町の夕陽が空を染める中、翔太と玲奈は人気のない波止場にある廃屋に足を踏み入れる。そこはかつて栄えた貿易商の邸宅で、今は朽ち果てた廃墟。二人は噂の「宝」を探しながらも、廃屋に隠された伝説に興味を抱いていた。埃を払いながら探索する翔太は、机の引き出しから古びた地図を発見する。それには「影を越えし者、道は開かれる」と記されていた。
地図に記された神秘的な言葉に心を奪われた二人は、さらなる探求を進めようと決意。しかし、廃屋の奥から聞こえる不気味な音に緊張感が高まる。互いに顔を見合わせながら、薄暗い廊下の奥へと進む二人。こうして、彼らの運命の冒険が幕を開けるのだった。
プロローグ
夏休み最後の週末。港町の夕陽が空を深紅に染め、海面が黄金色に輝く時間。人気の少ない波止場の先にひっそりと佇む廃屋は、ひと際異質な存在感を放っていた。壁のペンキは剥がれ落ち、窓ガラスは割れたまま放置され、風が吹くたびに木枠がきしむ音が響く。その家は、かつて栄華を誇った貿易商の邸宅だったと地元で語り継がれている。
翔太と玲奈は、その寂れた廃屋の中にいた。
「ほんとに宝なんてあるのかな?」
翔太が床に積もった埃を払いながら、朽ちた机の引き出しを探っている。小さなため息をつきながら、薄暗い室内を見回した。古びた家具や散乱した紙くずが、その家が長い間放置されていたことを物語っている。
「期待しないほうがいいんじゃない?」玲奈が背後から声をかける。
「そもそもこの家の伝説、ちゃんと信じてる人なんていないし。ただの噂話かも。」
玲奈は窓際に立ち、揺れるカーテン越しに外を眺めた。潮風が割れた窓から入り込み、錆びた鉄の匂いと潮の香りを運んでくる。カーテンの隙間から見える夕陽は赤く燃え盛り、廃屋の中を神秘的な光で染め上げていた。
「でもさ、『境界の鬼ごっこ』って面白くない?」翔太は机を漁る手を止め、玲奈のほうを振り返る。「影から逃げ切れば願いが叶うなんて、ゲームみたいじゃん!」
玲奈は小さく肩をすくめた。翔太の冒険心に付き合うのは慣れていたが、今回は少し違う。彼の無邪気な笑顔を見ながらも、その話のどこか惹かれる部分が、自分の中にもあることを感じていた。
「もし願いが叶うなら、何をお願いする?」玲奈が窓越しに問いかけた。
「そりゃあ……世界一の冒険者になるってとこかな!」翔太が冗談めかして笑う。
玲奈は呆れたように溜息をついたが、その心の奥底で自分の願いを思い浮かべた。誰にも言えない、秘めた想い。それがもし本当に叶うのなら――。
不意に、翔太の声が高鳴った。
「おい、玲奈! これ見てみろよ!」
埃を被った引き出しの奥から、翔太が取り出したのは一枚の羊皮紙だった。古びた手触りに、ところどころ黒ずんだインクで描かれた地図が浮かび上がっている。
「これ……本物?」玲奈は近づいてその紙を覗き込む。海岸線と小さな島、そして廃屋のような建物が地図に記されていた。その横には、手書きの文字でこう書かれている。
「影を越えし者、道は開かれる」
室内に沈黙が訪れる。外では波が静かに打ち寄せる音が聞こえたが、二人の耳には何も届いていなかった。翔太は興奮気味に地図を眺めながら言った。
「やっぱり、ここには何かある。伝説、ほんとに本当かもしれない。」
玲奈も無意識に息を呑む。言葉にはしなかったが、彼女の心にも確信が芽生え始めていた。この地図が示す先には、きっと何かが待っている――。
その瞬間、廃屋の奥からかすかな音がした。まるで誰かが床板を踏む音のように響いた。
「今の、聞こえた?」玲奈が声を潜めて言う。
翔太は無言で頷き、地図を握りしめながら廃屋の奥へと視線を向けた。薄暗い廊下の奥から冷たい風が吹き込み、カーテンが大きく揺れる。
二人はお互いの顔を見合わせ、何も言わずに廊下の奥へ足を踏み出した。地図に刻まれた運命の冒険が、今まさに幕を開けようとしていた。
第1章: 鬼ごっこの始まり
廃屋の一室。夜の闇が濃く降り、窓の外には寄せては返す波の音だけが響いている。ランタンの淡い光が、古びた羊皮紙に描かれた地図を照らしていた。
翔太と玲奈はその地図を囲み、息を潜めていた。紙の表面には、この港町と周囲の地形が描かれているようだったが、よく見ると、ところどころに奇妙な文字が記されている。
「これ……何語だろう?」玲奈が眉をひそめながら指先で文字をなぞった。その文字は見慣れない曲線と直線が複雑に絡み合い、不気味な魅力を放っていた。
「古代文字とか? それとも、単なる落書きじゃない?」翔太が軽く笑いながら肩をすくめた。しかし、その目は地図の細部を見逃すまいと真剣だった。
玲奈は翔太に軽く睨みをきかせた。「落書きでこんな凝ったもの作る?」
翔太は肩をすくめると、冗談半分に地図を指差しながら言った。「でも、これくらいなら読めそうだぞ。ほら、これなんか……」
地図の隅に、不気味な筆跡で刻まれた一文が目に留まった。ランタンの光に浮かび上がるその文字は、どこか呪文のような雰囲気を醸し出している。
「影よ、我らを追え。境界を越え、真実を示せ――って感じじゃないか?」翔太は笑いながら、ふざけてその文を声に出して読んだ。
その瞬間、室内の空気が変わった。
ランタンの火が一気に揺らぎ、外から吹き込む風が激しさを増す。割れた窓からは、ただの風とは思えない冷たい気配が入り込んできた。廃屋全体が軋むように揺れ、床板が微かに震える。
「ちょっと、翔太……今の何?」玲奈が不安そうに身を縮める。
「わ、わからない! 冗談のつもりだったんだって!」翔太も動揺を隠せず、地図を手に持ちながら立ち上がる。
次の瞬間、家全体が突然大きく揺れた。吹き荒れる風が二人を中心に渦を巻き、紙くずや埃が宙を舞う。風はまるで意思を持っているかのようにランタンの灯を消し、室内を闇で満たした。
「翔太、何か来る!」玲奈の声が震えた。
翔太はとっさに玲奈の手を掴み、身を寄せ合った。「落ち着け、大丈夫だ! 何とかするから!」
だが、その言葉とは裏腹に、暗闇の中で異質な感覚が広がる。風の音に混じって、どこか遠くから囁くような声が聞こえてきた。それは耳元で囁くようでもあり、遥か彼方から響いてくるようでもある。
「影……追え……真実……」
その言葉が聞こえた瞬間、闇が一気に濃くなり、二人を包み込むように広がった。翔太が玲奈を守るように抱き寄せたが、その感覚も薄れていく。
「翔太……!」玲奈が叫んだ。
彼女の声が闇の中で反響する。翔太も叫ぼうとしたが、その声は飲み込まれ、何も聞こえなくなった――。
二人が意識を取り戻したとき、そこはもう廃屋ではなかった。
周囲はぼんやりとした光に包まれ、地面も空もどこか曖昧で不確かな空間。全てが灰色の靄に覆われ、遠くには奇妙な影がいくつも蠢いている。
「ここ……どこ?」玲奈が恐る恐る尋ねた。
翔太は地図を握りしめたまま、言葉を失った。ただその地図が光を放ち始めたのを見て、何かが始まったことを直感的に理解した。
その時、背後から冷たい視線を感じた。振り向いた二人の目に映ったのは、巨大な影のような存在――それはまるで生きた闇そのものだった。
「走れ!」翔太が叫ぶ。
玲奈の手を引き、二人は靄の中を駆け出した。影は静かに、しかし確実に二人を追い始めた――鬼ごっこが始まったのだ。
第2章:見知らぬ街
玲奈が目を開けると、見慣れない景色が広がっていた。石畳の道がまるで迷路のように続き、両脇には中世風の建物が軒を連ねている。木製の扉や鉄製の窓格子が、どれも古びた雰囲気を漂わせ、どこか冷たさを感じさせた。
空には厚い灰色の雲が重く垂れ込め、昼間なのか夜なのか判断できないほどの薄暗さ。空気は湿っており、鼻腔をくすぐるのは錆びた鉄と湿った石の匂い。
「ここ……どこ?」玲奈が呆然と呟きながら周囲を見渡した。
「さっきまで、港町にいたよな?」翔太も混乱した表情で近くの壁に手を触れた。石壁はひんやりと冷たく、しっかりとした質感があった。「夢……ってわけじゃないよな。」
玲奈は石畳の隙間から覗く小さな草を見つけた。その感触を確かめるように指でつまむと、現実の感触が指先に伝わってきた。「夢じゃない。これ、本当に現実だよ……。」
不意に、遠くから「コツ、コツ」という足音が聞こえてきた。
玲奈と翔太は音の方向に目を向けたが、霧がかかった街並みの先には何も見えない。ただ、その足音は徐々に近づいてくる。
「なんだ、あれ……?」翔太が緊張した声で呟いた。
「人……じゃないよね?」玲奈も身を寄せ合うようにして後ずさる。足音は一定のリズムを刻みながら、確実に近づいてきている。しかし、音の正体が見えない。
「とにかく走れ!」翔太が玲奈の手を引いて駆け出した。
二人は石畳の路地を全速力で駆け抜けた。足元から響く石畳の硬い感触が不快なほどリアルで、何度も路地を曲がっても景色は変わらない。どの道も同じような建物が立ち並び、出口らしき場所は見当たらなかった。
「どこまで続くの、この街!」玲奈が息を切らせながら叫ぶ。
「知らない! とにかく止まったら終わりだ!」翔太も顔を赤らめ、全身の力を振り絞って走り続けた。
やがて、足音はピタリと止まった。
二人は振り返るが、誰もいない。ただ、不気味な静寂が周囲を包み込み、胸の鼓動がやけに大きく響く。
「なんだったんだ……?」翔太が眉をひそめる。
玲奈もようやく立ち止まり、肩で息をしながら辺りを見渡した。「もしかして、もう追ってこない?」
しかし、次の瞬間、二人の前に黒い霧がゆっくりと現れた。霧はもやもやと蠢き、やがて人の形を取り始める。
「な、何これ……」玲奈が恐怖に声を震わせながら後ずさる。
その影のような存在は、ぼんやりとした輪郭の中に暗闇を宿していた。目や口はなく、ただ存在そのものが圧迫感を放っている。
影が低い声で呟いた。
「逃げよ……次元を超える鍵を見つけるまで……」
その言葉が響くと同時に、影はゆっくりと動き始めた。まるで生きた闇が地面を滑るようにして二人に近づいてくる。
「また追ってくる! 翔太、どうするの?」玲奈が必死に翔太に問いかけた。
翔太は咄嗟に握りしめていた地図を広げ、目を凝らした。先ほどとは違い、地図には新たな道筋が浮かび上がっている。
「こっちだ! この道を進めば、何かある!」
玲奈は半信半疑のまま翔太の手を握り返し、再び走り出した。背後からは影が滑る音と、低く不気味な囁きが追ってくる。「逃げよ……逃げよ……」
二人の前にはまだ何も見えない。ただ、この異世界のような街を抜けるため、彼らは全力で駆け抜けるしかなかった。
第3章:鍵の試練
二人が石畳の道を抜けると、広場が視界に広がった。中央には巨大な時計塔がそびえ立ち、その針は進むでもなく停止したまま。空は相変わらず灰色に覆われているが、広場には薄い光が差し込み、不思議な静けさが漂っていた。
「ここ……広場だ。」玲奈が息を切らしながら周囲を見回した。
翔太も追いかけてきた影を気にしながら、地図を握りしめていた。「この場所、地図にあった……けど。」
広場の片隅に、一枚の古びた看板が立てられているのを見つけた。看板はところどころ剥がれたペンキで覆われ、文字は掠れていたが、辛うじて読むことができる。
「『真実の言葉を紡ぎし者、鍵を得る』……だって。」玲奈が声に出して読み上げた。
「真実の言葉ってなんだよ。」翔太が看板を睨みつけ、苛立ちを隠せずに拳を握った。「抽象的すぎるだろ!」
玲奈も焦りを隠せない。「どういう意味だろうね。紡ぐってことは……何か伝えなきゃいけないの?」
その時、どこからともなく人々の姿が広場に現れ始めた。彼らはどれも異国風の衣装をまとい、表情には疲れたような、あるいは無感情な影が宿っていた。
「街の住人……?」玲奈が呟く。
「かもしれない。でも……なんかおかしい。」翔太が眉をひそめた。
人々は二人を見ても何も言わず、ただゆっくりと歩き回っている。目はどこか虚ろで、言葉をかけようとしても反応が鈍い。
「すみません!」玲奈が近くの一人に声をかけたが、住人はただ首を傾げるだけだった。
「言葉が通じないのか?」翔太が試しに別の住人に手を振ったが、やはり反応は薄い。
「どうすればいいの? 真実の言葉って、誰に、どうやって紡げばいいの?」玲奈の声には焦りが滲んでいた。
すると、時計塔が低く不気味な音を立てた。その音が広場中に響き渡ると同時に、影がゆっくりと現れ始めた。
「また来た……!」玲奈が恐怖に目を見開く。
「玲奈、急ごう! 何か手がかりを探さないと!」翔太が玲奈の手を引き、広場を駆け回る。
影は広場を囲むようにじわじわと迫り、二人を追い詰めていく。そのとき、ある住人が翔太の視界に入った。
その人物は他の住人とは違い、どこか目に力が宿っていた。翔太はその目を見て、直感的に何かを感じ取った。
「玲奈、こっちだ!」翔太がその住人に駆け寄ると、必死に目を合わせ、身振り手振りで何かを伝えようとした。
住人はしばらく翔太をじっと見つめていたが、やがて手を伸ばし、古びた紙片を差し出した。
「これ……?」翔太がその紙片を受け取り、中身を確認する。そこには短い文章が書かれていた。
「真実を語るのは心の声……だって。」玲奈が翔太の隣で内容を読み上げた。
その瞬間、影が大きく動き出した。
「急げ、玲奈! 紙片を掲げて!」翔太が叫ぶ。
玲奈は紙片を胸の前に掲げた。すると、紙片が輝き始め、広場の中心に光の円が浮かび上がった。
その光の中から、古びた鍵が宙に現れた。鍵はゆっくりと回転しながら、二人を包むようにして強く輝いた。
影が怯むように広場の端へと後退する中、玲奈と翔太は輝きに飲み込まれるようにして消えていった。
次に目を開けたとき、二人は新たな世界の入り口に立っていた。
第4章:灼熱の砂漠
眩しい光が瞼の奥を刺し、砂のざらついた感触が肌にまとわりつく。玲奈がゆっくり目を開けると、視界には無限に続く砂漠が広がっていた。太陽は高く昇り、空は焼けるような青。まるで空気さえも揺らめくほどの熱さだった。
「ここ……どこ……?」玲奈が息も絶え絶えに呟く。
翔太も目を覚まし、砂まみれの顔を手で拭った。「マジでどこだよ……暑っ!」汗が額から滴り落ち、砂に吸い込まれる。
風が吹くたび、砂が舞い上がり、乾いた空気が喉を刺すようだ。玲奈は口元を押さえながら周囲を見渡した。すると、遠くの地平線に小さな光が揺らめくのが見えた。
「あれ……なんか光ってる。オアシスかもしれない!」玲奈が翔太の腕を引っ張る。
「オアシス? 本当にか?」翔太は疑わしげに眉をひそめたが、玲奈の真剣な表情を見て、肩をすくめた。「まあ、行くしかねぇか。」
二人は光を目指して歩き出した。だが、砂漠の暑さは容赦なく体力を奪っていく。靴底が熱で焼けるように感じられ、砂の上を歩くたびに足が沈み込む。
「暑すぎる……」玲奈が息を切らしながら立ち止まる。「このままじゃ……たどり着けない。」
「大丈夫だ、もう少しだ。」翔太も汗を拭いながら玲奈を励ますが、その声には焦りが滲んでいた。
やがて、遠くに見えた光が突然消えた。
「なんだよ、あれ……幻だったのか?」翔太が苛立ちを隠せず拳を握った。
玲奈もがっくりと膝をつく。「そんな……。」
すると、不意に砂が足元で蠢き始めた。
「なんだ……?」翔太が驚いて立ち上がる。
風が急に強まり、砂嵐が巻き起こった。乾いた砂が二人を包み込み、視界は真っ白になった。
「逃げろ!」翔太が叫び、玲奈の手を掴んで駆け出す。だが、砂嵐はどこまでも追いかけてきた。
砂嵐の中で息もできないほどの風圧に苦しむ二人だったが、やがて嵐が収まり、静寂が訪れた。目を開けると、目の前に古びた石碑が立っていた。
石碑は高さ2メートルほどで、表面には不思議な模様と文字が刻まれている。
玲奈が模様を指差しながら読み上げた。「『水の道を知る者、影を超えよ』……。」
「水の道?」翔太が首をかしげる。「水を見つけろってことか?」
翔太は言葉通り砂を掘り始めたが、すぐに息切れして手を止めた。「無理だ、砂ばっかりで何も出てこねぇ。」
玲奈は額の汗を拭いながら、石碑の周囲を慎重に観察した。風向きや太陽の位置、砂の模様……どれもこの砂漠の中での「違和感」を示しているように見えた。
「待って、翔太。あそこ……。」玲奈が指を差した先には、砂が不自然に曲がった模様が広がっていた。
「何かあるかもしれない。」翔太は玲奈の言葉を信じ、その場所を掘り始めた。砂をかき分けると、固いものに指先が触れた。
「これだ!」翔太が声を上げると、砂の中から古びた壺が現れた。壺は年代を感じさせる装飾が施され、底には少量の水が溜まっていた。そして、その中に小さな金属片が沈んでいた。
「これが……鍵か?」翔太が金属片を拾い上げた瞬間、壺から突如として水が溢れ出し、砂漠の表面を覆い尽くしていく。
二人の周囲は一瞬にして青い水面となり、波が二人を包み込むように押し寄せた。
「また……行くのかな。」玲奈が不安そうに呟いた。
翔太が金属片を握り締め、玲奈を見た。「大丈夫だ、次も一緒だ。」
水の渦が二人を飲み込み、次の試練へと運んでいった。
――続く――