涙の魔人②
第4章: 戦い続ける魔人
戦いが終わる度に、リュウエルの心に訪れるのは虚無感と無力感だった。彼には死ぬことがないため、戦いに終わりがなく、永遠に繰り返されるだけだということを次第に理解し始めていた。戦場での血は流れ、命は尽きる。しかし、そのすべてが何の意味も持たないことに、リュウエルは深い絶望を感じていた。勝利を収めても、傷を負っても、戦の終結を迎えても、どんなに外の世界が変わっても、彼の心には何も残らなかった。
一度も満たされることなく、リュウエルは次の戦いに向かう。彼が守るべきもの、愛すべきものが何もないことに気づいた時、その心の中には深い空虚さが広がった。かつては信じていた「人を守るため」「王国を守るため」といった使命感も、今では薄れていった。彼の中で、戦う理由が見当たらなかった。それでも、命令に従うことは変わらなかった。彼がやるべきことはただ一つ、オルヴィスの命令に従い、戦い、勝利を収めることだけだった。だが、戦いが終わる度にその繰り返しが虚しく思え、心がひたすら空洞化していった。
リュウエルはもはや、感情を感じることができなくなっていた。命令に従うだけの存在として、日々を過ごすことが習慣のようになった。かつて彼が感じた怒りや喜び、誇りや悲しみといった感情は、もはや遠い記憶の中に消え去った。彼の心の中で、感謝する気持ちも、怒りも、喜びも、すべてが無意味に感じられるようになった。それらはただの感情に過ぎず、戦いを終わらせ、次の命令を待つことには何の役にも立たないと、リュウエルは感じていた。
戦場で流れる血の匂い、戦士たちの叫び、倒れる者たちの姿。それらを見て感じることすらなくなった。彼が今、感じることができるのはただ「無」だった。自分が死ぬこともなく、年を取ることもないという不死の運命が、リュウエルにとってはむしろ呪いのように思えてきた。戦いが終わる度に彼が感じるのは、勝利の虚しさ、次の戦いが待っていることに対する嫌悪感、そして心の中に広がる深い空白だけだった。
オルヴィスは次第に、リュウエルの変化に気づくようになった。かつては、戦場での勝利を収める度にリュウエルの目に満ちていた輝きが、次第に失われていったのだ。初めの頃、リュウエルは彼の指示に従い、心から忠実に戦った。しかし、今ではその目は無表情で、命令に従うことが義務となり、その姿勢は冷徹で機械的に見えた。オルヴィスはその変化を目の当たりにし、心に深い痛みを感じ始める。
かつてリュウエルは、彼の命令を自らの使命として受け入れ、何度も戦場で命をかけて戦った。その姿は、オルヴィスにとって希望の象徴であり、彼の努力の成果そのものであった。しかし、今のリュウエルはもう以前のような熱意を持っていなかった。彼の目には、かつての温かさや希望、戦いの中で見せた勇気が完全に失われていた。それはまるで、彼の心の中に「人間らしさ」が消え去ったかのようだった。
その変化に気づいたオルヴィスは、次第に自分の行動を悔い始める。妹リリィを蘇らせるために選んだ呪文が、リュウエルにとってどれほど過酷で苦しいものであったか、今になって彼はようやく理解し始めていた。自分が求めたものを手に入れるために、リュウエルの命をもてあそび、彼を不死の存在にしてしまった。その代償が、どれほどリュウエルの心を壊していったのか、オルヴィスは深く感じていた。
オルヴィスはその後悔に苛まれる。もしあの時、別の方法を選んでいたら、リュウエルは今もあの優しい青年のままでいられたのではないか。もし自分が禁断の魔法に手を出していなければ、リュウエルは死ぬことなく、普通の人生を送ることができたのではないか。彼は何度も自問自答し、答えが出ることはなかった。リュウエルの無表情な目を見るたびに、その後悔の念は深くなり、オルヴィスの胸を締めつけた。
そして、オルヴィスはついに気づく。リュウエルはもはや、彼の命令に従うことを義務とし、その義務を果たすことで自分の存在を感じようとしていることに。だが、義務を果たすことで生きることができても、それは本当に生きることと言えるのだろうか。リュウエルの目にかつてあった温かさ、希望、そして人間らしさは、もはや影も形もなく、ただ冷徹な戦士だけが残っている。それを見たオルヴィスは、深い罪の意識に囚われ、彼の胸の内で一層の絶望が広がった。
第5章: 後悔と絶望
ある晩、月明かりが薄く差し込む暗い室内で、オルヴィスはリュウエルの姿をじっと見つめていた。彼はもう、かつてのように感情に揺さぶられることはなかった。戦士として命令に従い続け、無表情に戦場を駆け抜けるその姿に、オルヴィスは言葉を失うことが多くなっていた。だが、この瞬間、彼は胸の中で渦巻く後悔と絶望に耐えきれなくなり、思わず口を開いた。
「お前を作ったのは間違いだった。」
その言葉は、オルヴィスにとって深い意味を持っていた。彼はその一言で、これまでの自分の行動すべてを否定するつもりだった。妹リリィを蘇らせるためにリュウエルを創り出し、彼の命を不死で縛り、永遠に戦い続けさせた。その代償はあまりにも大きく、あまりにも惨いものだった。リュウエルを作り出したその時から、彼はどんなに強力な魔法を使っても、決して元の優しさを取り戻すことはなかった。その事実に、オルヴィスはただただ深い痛みを感じ続けていた。
しかし、リュウエルはオルヴィスの言葉に何の反応も示さなかった。ただ静かに、無表情なまま立ち尽くし、まるでその言葉が空気のように通り過ぎていくのを見ているだけだった。彼の目に、かつての人間らしい感情はもう微塵も残っていない。オルヴィスの言葉が届いていないわけではない。だが、リュウエルにとっては、すべてが過去のことに過ぎず、今さら悔やんでもどうしようもないのだということを、彼はよく知っているのだろう。
「私の命は、もはやあなたのものだ。」
リュウエルのその言葉が、オルヴィスの胸をさらに締めつけた。リュウエルの命は、もはや彼の意志ではなく、完全にオルヴィスの支配の下にある。その事実が、オルヴィスにとっては一番の重荷であり、罪悪感の源であった。リュウエルが言う「私の命は、もはやあなたのものだ」という言葉は、ただの義務感から来るものであろうと、オルヴィスは理解していた。彼はリュウエルが、戦いの中で次第に失われていった感情を感じ取り、彼が抱える絶望を痛いほど感じていた。
オルヴィスはその言葉を聞いて、再び深い悲しみが胸に押し寄せてきた。妹リリィを蘇らせるためにリュウエルを作り出し、彼の命を奪った。その代償が、こんなにも大きく、リュウエルの命と心を奪ってしまったことを、オルヴィスは今やっと痛感した。リュウエルは、もはや生きることも死ぬこともできず、ただ永遠に戦い続ける運命に囚われていた。そのことを思うと、オルヴィスは胸が張り裂けるような苦しみに襲われた。
「何もかもが間違いだった。」オルヴィスは、心の中でそう繰り返しながら、目の前のリュウエルを見つめた。かつて、彼がかけがえのない存在であり、心の支えであったリリィと重ね合わせてしまう自分が、ますます苦しくなった。リュウエルの無表情な顔を見ていると、彼がどれほど苦しんでいるのか、どれほど孤独であるのかを感じずにはいられなかった。その背中を見ていると、リュウエルはもはや「人間」でなくなったことが、いっそう痛感される。彼はただの戦闘機械のように見え、以前の温かさや優しさは消え去り、無感情な存在となってしまった。
オルヴィスは彼の目を見つめ、涙をこらえきれなくなった。もし、あの時、自分が禁断の魔法に手を出さず、リリィを失うことを受け入れていたなら、リュウエルは今も幸せだったかもしれない。リュウエルにとって、死ぬことなく、永遠に戦い続けることがどれほどの苦しみであるか、オルヴィスには想像もできなかった。彼はリュウエルの代償を取ることで、妹を蘇らせることができると思った。しかし、その代償は、妹を取り戻すことなどできないほどの重さだった。
そして、オルヴィスはその後悔に押し潰されそうになりながらも、もう一度、リュウエルに語りかけた。「すまない、すべては私の過ちだった。」だが、その言葉さえも、リュウエルには届かないだろう。オルヴィスは無力感に包まれながら、リュウエルの冷たい視線を受け入れるしかなかった。
第6章: 破滅の選択
オルヴィスは深夜、ひとり静かな室内で悩み続けた。時間が過ぎるたびに、リュウエルが抱えている無限の苦しみが心に重くのしかかり、彼の決意はますます強くなっていった。リュウエルはもはや死ぬことも、命を享受することもできず、ただ永遠に戦い続ける存在となっていた。彼が選ばされた運命に、オルヴィスはひどく無力さを感じた。
妹リリィを蘇らせるために彼が犯した禁断の魔法。それが引き起こした破滅的な結果を、今、オルヴィスは否応なく背負い続けている。リュウエルの命を終わらせることで、彼を救いたい。少なくとも、苦しみから解放したい。そう思ったオルヴィスは、再びその禁呪を唱える決意を固めた。だが、今回の呪文には前回と違う意味が込められていた。彼は、リュウエルの魂を解放し、その苦しみを終わらせるために、命を絶つ覚悟を決めたのだ。
呪文の言葉が部屋に響くと同時に、オルヴィスの手から放たれた魔力が空間を震わせた。彼の目の前で、リュウエルの体がじわじわと崩れ始める。最初は小さなひび割れから始まり、次第にその肉体全体が崩壊していった。肉体が溶け、骨が粉々に砕け、リュウエルの存在がゆっくりと消え去っていくように見えた。オルヴィスは、無力感と恐怖に身を震わせながらも、その呪文を止めることはなかった。彼はリュウエルを解放するために、この道を選んだのだ。
だが、予想もしなかったことが起きた。リュウエルの崩れゆく肉体の中から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた。それは、永遠に感情を失ったかのような存在であったリュウエルにとって、初めての涙だった。オルヴィスはその涙を目の前で見つめ、胸が締め付けられるような思いに駆られた。その涙が意味するもの、それは悲しみと同時に、長い間閉じ込められていた解放の感情が表出した瞬間だったのだ。
リュウエルの崩壊が進む中で、彼の目がオルヴィスを捉え、その視線がふとやわらかくなる。まるで、無限の時間を経てようやくオルヴィスにその思いを伝えようとしているかのようだった。オルヴィスはその目に、自分が過去に見たことのある優しさや温かさがほんの一瞬だけ戻ったことに気づく。だが、その優しさもすぐに消え去り、リュウエルは微笑んだ。
その瞬間、リュウエルの口から出た言葉が、オルヴィスの胸に鋭く突き刺さった。
「ありがとう。」
その言葉は、オルヴィスにとって耐えがたい痛みとなり、深く胸に響いた。リュウエルが言ったその「ありがとう」が、オルヴィスにとっては決して安堵の言葉ではなく、過去の罪を反芻させるものだった。リュウエルは、自分が創り出した「不死の存在」であり、永遠に苦しみ続けることが運命づけられていた。それを解放するために自らの命を賭けたオルヴィスにとって、リュウエルの微笑みとその感謝の言葉は、あまりにも大きな重みを感じさせた。
リュウエルの体が崩れ、肉体が消えていく中で、その魂はオルヴィスの魔力によって解放されていった。リュウエルの苦しみから解放される瞬間、オルヴィスは深く息を呑んだ。だが、その解放には代償があった。彼の目の前から、かつての戦士、かつての友が消え去るとともに、オルヴィスの胸にはどうしようもない虚無感が広がった。妹リリィを蘇らせることは叶わず、代わりにリュウエルを解放したその瞬間、自分の選んだ道が本当に正しかったのかを深く問い直さずにはいられなかった。
リュウエルの命が完全に終わりを迎えたその時、オルヴィスは立ち尽くし、涙を流した。彼はもはや何も言葉を発することはなかった。ただ、静かな闇の中で、過去のすべてを悔い、そしてその罪を背負う覚悟を決めたのであった。
第7章: 永遠の眠り
リュウエルの魂は、オルヴィスの魔法によって静かに解放され、その存在がゆっくりと消えていった。肉体は崩れ去り、灰と化して風に吹き飛ばされた。その姿が完全に無に帰すと、あたりに漂うのはただ無音の静寂だけだった。その空間にはもはやリュウエルの気配はなく、彼の存在は完全に消失した。
オルヴィスはその場にひざまずき、何も言わずただ静かに涙を流し続けた。無数の涙が彼の頬を伝い、地面に落ちるたびに、過去のすべての罪、後悔、絶望が溢れ出すようだった。妹リリィを蘇らせるために、彼はリュウエルを犠牲にした。しかし、その代償はあまりにも大きく、リュウエルの命は無意味に消え去っていった。オルヴィスは彼を救いたかったのだが、最終的に彼を救うことはできなかった。それが彼にとっての最大の痛みであり、深い悲しみの底に沈むような気持ちを引き起こしていた。
リュウエルの物語は、オルヴィスと彼以外の誰にも語られることなく、王国の歴史の中で次第に忘れ去られていった。その名はもはや人々の記憶の中に残ることなく、時とともに風化していった。リュウエルが戦った数々の戦争、彼が抱えた無限の苦しみ、そして彼が最後に見せた微笑みも、やがては無名の影となり、誰の心にも残らないものとなった。
オルヴィスにとって、その涙は単なる悲しみではなかった。それは彼が背負い続けなければならない罪と贖罪の証であり、永遠に消えることのない痛みの象徴だった。彼が犯した過ち、そしてそれによって奪われた命の重さは、彼がどれだけ努力しても決して軽くなることはなかった。妹を取り戻すために、彼は何度もその魔法を使い、犠牲を払い続けたが、最終的に得られたものは一つの魂の消失に過ぎなかった。
彼はその後も生き続けた。過去を背負い、無限の時間を生き抜くことを決意した。しかし、その悲劇的な過去が彼の心を深く傷つけ、彼を孤独と絶望の中に閉じ込めていった。王国が栄えていく中でも、オルヴィスだけはその栄光に関わることなく、過去の罪に縛られ続けた。
何年が過ぎても、その涙は決して乾くことはなく、オルヴィスは自らの贖罪を探し続けた。彼が抱える痛みは、まるで永遠に終わらない暗闇の中を歩み続けるようなものだった。彼の目にはもう、かつての希望や喜びの輝きは消え、ただ静かな絶望だけが広がっていた。
その後、オルヴィスは自分の罪を悔い、できる限り王国の民を守り、魔法を使って役立つことを選んだ。しかし、どんなに名を上げても、どんなに多くを与えても、その手に残るのは空虚な感覚だけだった。リュウエルのことを思うたびに、彼の目の前にはその無限に続く孤独が立ちはだかり、かつて彼が持っていた温かな感情はすでに色褪せ、ただ影だけが彼を覆っていた。
そして、オルヴィスはその終わりなき苦悩を背負いながら、静かに生き続ける運命を受け入れることになった。彼の人生の中で、最も大切なものを失ったその瞬間から、彼は本当に「永遠の眠り」に入ったのだった。それは肉体の死ではなく、心の死。過去を引きずりながら、生きながら死んでいくような、終わりのない悲しみの中での永遠の眠りだった。
――完――