vol.030 奈央ちゃん
高林奈央ちゃんは、焼き物屋の夫の一番最初のお弟子さんとして月に一度ぐらいの頻度でお手伝いに通ってきていた。約10年ほど前のこと。
石垣島から竹富島に日帰りで通ってきていたこともあったが、数日間泊まり込みでお手伝いにきていたこともあった。そんな時は、朝ごはんや晩ごはんを共にするのが嬉しくて、あれやこれやとテーブルに料理を並べては奈央ちゃんの嬉しそうな顔を見て楽しんでいた。
娘が生まれて1年目ぐらいに、子育ての疲れから免疫力が落ちてしまい肝臓周辺の炎症をおこしてしまった。1週間ほどの入院生活をおくっているときに、奈央ちゃんがお弁当の差し入れを病室に持ってきてくれた。それは小さな重箱に彩り美しく並べられたお惣菜で、疲れきっていた私の心にふわりと優しい風を吹き込んでくれた。
先日、撮影の仕事で奈央ちゃんの工房を訪れた。
その日はちょうど窯出しの日で、器と一緒に入れていた新しい釉薬のテストピースを見せてくれた。気に入った色合いのピースがあり、「このグレー良いね」なんて言いながら楽しそうに窯出しをしていた。
奈央ちゃんの器はシンプルで飾り気がない。あまり主張する器じゃないんだけど使い勝手がよく、いつの間にか日常の中で頻繁に使う器になっている。
工房の窓の向こうには、青い花を満開に咲かせているバタフライピーの蔦が絡む棚が見える。中庭には枝がしなるほどの実をつけたグアバの木が太陽を反射させて眩しく光っていた。彼女の工房を訪れたのは何年ぶりだろう? 以前は、もう少し頻繁に奈央ちゃんに会いにきていた。しばらくぼーっとしながらグアバの木を眺めていたら、久しぶりに訪れる親戚の家にいるような気分になった。
撮影も終わるころ、暑さから軽い熱中症をおこしてしまった。ろくろをひいていた奈央ちゃんが心配して、しばらくクーラーのきいた部屋で横になるように勧めてくれた。「あきさん、炭酸水のむ?」と言ってスッとグラスを差し出してくれた。軽いめまいがするなか、体を起こして冷えた炭酸水を一口飲んだ。シーカーサーの爽やかな香りがスーッと広がりスッキリとした味わいが心地よかった。「私は仕事に戻るけど、あきさんはゆっくり休んでおいてね」と言って奈央ちゃんは工房へと戻っていった。
密度の濃い時間を共に過ごすと、体の中にその人の記憶が染み込む。長い間離れていてもその時間は体のどこかに眠っている。奈央ちゃんが工房へと戻っていく後ろ姿を見送りながら、クラクラする頭でそんなことを考えた。そして前にも同じようなことがあったような、不思議な感覚のなか目をつぶった。深く息を吸うと、かすかにシーカーサーの香りがした。
高林奈央
https://www.instagram.com/naotakabayashi_ceramicworks/
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。