vol.009 何もないに満たされる
朝一番の光に包まれる大潮の満潮の海が好き。
全てが満たされている状態とは、こういうことだな。と一人海に向かって頷きたくなる。
子育てをしながら、小さい島の小さいコミュニティの中で暮らしていると、案外と忙しい。
今年は、新型コロナウイルスの影響で祭事や行事が中止になったり、集落での集まりなどが減っているので通常の時ほど忙しくはないが、それでも仕事の合間にこなす子供会やPTAの活動、部活動の当番や習い事の送り迎えなどで相変わらず忙しい。
大勢の人と会ったり、沢山の原稿やプリントに目を通すと、頭や体の中に言葉やイメージの破片が蓄積し、常に雑音の中にいるような気分になる。そんな時は、とにかく一人になりたいと切望する。 パソコンならば、いらないデータを一旦全部デリートして、再起動をかけたりすれば良いのだが、私は、一人で海へと向かう。
「何もない」に向き合うと心が落ち着く。「何もない」で心が満たされる。
竹富島のような小さな南の島で、何も無いのに忙しいなんて不思議に思うかもしてないけれど、人口約300人でも島の中には一つの世界があり、赤ちゃんからお年寄りまでがなくてはならない島の一員として暮らしている。お母さんやお父さん達は、自分たちの仕事や役職と折り合いをつけながら、自分の子も含め、島の子ども達が直面している問題や課題を一緒に悩み考えたり、子ども達の為に楽しい企画の提案をしたりしている。子供達の為にベストな環境を提案し作ってあげようと試行錯誤する時、自然と忙しくなってしまう。
私がもし都会に住んでいて、自分の子供が大人数制の学校に通っていたら、子供達全員を把握して一人一人を知ることは不可能かもしれないし、そのような事をする必要性も感じない。小さな島に暮らしていると、約50人ほどの子供達を良くも悪くもみんな自分の子供と同レベルで見守ってしまうのだ。子供達からしてみれば、顔をみれば話しかけてくる大人に、「ほっといてくれよ」と思うこともあるかもしれない。 私が思春期だったら多分そう思うと思う。
私は特に子供好きという訳ではないけれど、生まれたときから知っている子が一年生に入学してランドセルを背負って登校していく後ろ姿を見れば、可愛くて仕方なく感じるし、15歳の春を迎えて高校のない島から離れて行く姿を見れば、寂しくもなる。他のお母さんやお父さんたちも私と似たような心持ちで島の子供達を見守っているのではないかと思う。
小さな島に暮らすという実は忙しくて濃厚な時間を、私は「海」に助けられながら過ごしている。 大潮の満潮の朝の海が好きだ。私を空っぽにして「何もない」で満たしてくれるから。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。