vol.024 ほこちゃん
梅雨入りした八重山は蒸し暑く、湿度を含んだ空気が体に絡みつき、じっとしているだけでもじんわりと汗が滲み出る。刺繍や民具づくりなどの手仕事が好きなほこちゃんは、もうじきやってくるリリちゃんのお誕生日プレゼント用に、リリちゃんが描いた絵を元に手さげ袋に刺繍をほどこしていた。
ほこちゃんは、竹富島に暮らすママ友の1人。私が島の子どもたち向けに開いている「英語で遊ぶ会」には、ほこちゃんの子どもたち2人、長女のゆらちゃんと次女のリリちゃんも通ってきている。
ほこちゃんは、「先天性感音難聴」という耳が聞こえづらくなる病気の持ち主で、会話をする時は、人の口の動きを読みながら話をしている。どれぐらい聞こえないのかというと、一対一でゆっくりとはっきり話せば聞こえるけれど、大人数でみんなと話すと会話についていけなくなる感じだ。生まれつきではなく、中学3年生の時の聴力検査で分かり、一番最初に行った病院では、「20歳で聞こえなくなるかも」と言われたそうだ。15歳の少女が受け止めるにはあまりにも衝撃的な言葉だったと当時のことを冗談を織り交ぜながら教えてくれた。
ほこちゃんが竹富島に移り住む前は、地元の京都で保育士として働いていた。耳が悪いことで、子どもたちを困らせてしまうかな? と悩んだ時もあったそうだが、「世の中にはいろんな人がいるんだよということを伝えたかった」と当時の想いを話してくれた。
先月のこと、ほこちゃんの子どもたちを「英語で遊ぶ会」の後に家へと送りに行ったとき、次女のリリちゃんがほこちゃんの正面にまわり、マスクをピッとあごまで下げて、お母さんの目を見ながら、「お・も・ち」と一言つたえていた。 その日の会で食べたおやつが、白玉粉で作ったきな粉餅だった。その風景を見たときに、ハッ!とした。リリちゃんとお母さんの間に当たり前のように存在するコミュニケーションの形は、例えば私の家族や友人家族たちのそれとは全く違う。そこには、言葉以上の何かが存在していた。それは、「思いやり」とか、「親切な行動」とか、そういう言葉で表すことではなくて、ごく当たり前の日常の暮らしから紡ぎ出された家族間にだけ存在する言語みたいなもの。
「次女のリリが生まれた時、長女のゆらは、まだ1歳8ヶ月でしゃべることはできなかったけど、リリが泣いてると身振り手振りで泣いていることを教えてくれました。セナが生まれた時も、ゆらとリリでセナが泣いてることを教えてくれたりして助かりました」(ほこちゃん)
リリちゃんの「お・も・ち」と伝える姿から見えたのは、湿度の混じった風が吹く暖色の光に満ちたような世界だった。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。