vol.016 振り袖姿でモーヤー
私が竹富島に移り住んだ頃、「オムツでハイハイ」していた子たちが、今年のお正月には、「振り袖でモーヤー」を舞っていた。モーヤーとは、竹富島の言葉で「自由舞い。乱舞。歓喜の舞い」のこと。祝いの場や、会の終わりにみんなで楽しく舞う踊りだ。
今年は、新型コロナウイルスの影響により、竹富島での成人式は中止となった。
それでも成人者へお祝いの気持ちを伝えたい島人たちが、公民館前の西塘御嶽を参拝した3名の成人者を囲み、ささやかながら心に染み入るような温かい集いが開かれた。
島生まれ、島育ちの3名の成人者による挨拶の言葉も素朴でしみじみと良いものだった。
よその家の子たちなのに、集まった島人たちは我が子の成人祝いのごとく涙を浮かべながら成人者たちを見守っていた。
竹富島には高校が無いため、中学校を卒業すると進学のために子どもたちは親元を離れ、島から旅立っていく。今回集まった3名の成人者たちも例外ではなかった。けれども、石垣島の高校へと 進学した彼女たちは、毎年執り行われる大きなお祭りの際には帰島し、奉納芸能の衣装に身を包み3名で楽しそうに過ごしていた。そんな姿を世持御嶽の近くで撮影したことがあった。
子どもの頃から親の都合で引っ越しをしたり、海外で暮らしたりしていた私には、故郷と呼べるような場所は無く、それを寂しいとか残念だとか思ったことは一度もない。そんな私が、確実に故郷と呼べる場所を持つ彼女たちが歩んできた人生に共感を持つことは、少し難しい。しかし彼女たちの歩みを見守ってきた島人たちへの共感は、どこか深いところで重なり合う部分があるのだと、挨拶を聞いて思わず涙を浮かべてしまった時に思った。
私が成人した時は、ニューヨークの美術大学に通っていた頃だった。場所の影響もあり自己主張の一環で髪の色をカラフルに変えていた。振袖を着る時は、母にいくら何でもその髪の色はなんとかしなさいと言われて、「ファイヤーエンジンレッド」という燃えるような赤い髪色をカラスのような青黒い髪色に染め直して花柄の振袖を着て写真撮影をした記憶がある。
そんな私も母になり、今年初めて自分の娘の振り袖姿を想像してみた。島生まれ、島育ちの娘は、やはり色のついた髪を黒く染めたりするのだろうか? そして振り袖姿でモーヤーを舞ったりするのだろうか?
成人おめでとう。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。