vol.027 ペンペンとレモン
ヒヨコより少し大きくなったぐらいのニワトリの雛を譲り受けたのが、今から1年半前のこと。
新鮮な卵で朝ごはんを作るのが夢だったのだが、育ててみたら雄鶏だった。
毎朝力強く「コケコッコ〜!」と雄たけびを轟かせる立派に育った2羽の雄鶏は、私が期待していた卵は産んでくれないけれど、愛嬌があり、とぼけた仕草や見栄を張る動作で、私を愉快な気分にしてくれる。
ニワトリは朝5時前に鳴き声をあげる。さすがに毎朝早くに起こされることに疲れ果てたご近所さんから苦情が来たことをきっかけに、娘が通う学校の校庭の片隅に引っ越しをすることになったのが、約1年ほど前。
黒くて艶のある羽を持つぺんぺんと、クリーム色と赤茶の羽を持つレモンのお世話は、毎朝、毎夕娘が行っている。学校でポスターを作り一緒に面倒をみてくれる仲間を募集してみたけれど人は集まらず、結局は1人ですることになった。雨の日も風の強い日も毎日1人でお世話に励んでいる。うっかり私が忘れている日も、「ちょっとニワトリのお世話に行ってくるね! 宿題は帰って来てからやるから!」と、さっそうと自転車にまたがりペンペンとレモンの元へと走っていく。
毎朝8時までに登校するのが通常の学校ルールだ。娘は毎朝ニワトリのお世話をする為に、7時に家を出発する。我が娘ながら偉いなと思いながら、毎朝「行ってらっしゃい! 楽しんで」と最近小さく見える赤いランドセルを背負った娘の後ろ姿を見送っている。
先週の月曜日、
「お母さん、今すぐ来て! ペンペンが倒れてるの」と娘が泣きながら電話をしてきた。かなり取り乱していて緊急事態だということだけが伝わった。すぐに向かうことができなかった私は、夫へ連絡をして至急学校へと向かうように伝えた。
後から駆けつけてみると、娘の担任の先生と夫に見守られながら、今にも泣き出しそうな顔をした娘が弱った2羽のニワトリを前に右往左往していた。半年ほど前にも餌の量が足りなかったことがきっかけで弱らせてしまったことがあり、どうやら今回も同じような状態だった。私はその場で友人の獣医さんへ連絡をしてアドバイスをもらった。新しい餌を豊富に与え、その日から毎朝6時半に家を出て小屋から2羽を放ち、いつもより長い時間自由に歩きまわれるようにした。地面をつついて虫をついばみ、小屋のまわりに茂る雑草をついばみ、天然のカルシウム、ビタミン、プロテインやミネラルの補給ができるようにしてる。時間が許す限り、私もお手伝いに行っている。
1週間が経ち、2羽とも元気を取り戻してきた。
弱り果てていた時は、レモン自慢のピンっと立った真っ赤なトサカは灰色まじりの濁ったうす茶色に変色して半分におれまがっていた。光があたると玉虫色の光沢を放つベルベットのように滑らかでツヤのあったペンペンの黒い羽は、バサバサで潤いがなく、見るからに生気を失っていた。3日ほどたった頃から2羽のトサカの色が真っ赤に染まりはじめた。4日目には、そのトサカはピンッと立ち、目や体、歩き方からも生気を感じられるようになった。7日目には、これで一安心だな、と思えるほど2羽は元気になった。そんな2羽をぼんやりと眺めながら、私と娘は他愛もない話をしながらゆったりとした時間を過ごした。
「コケ クイ コッコ〜!」と、かすれたような、まだぎこちない発音で鳴くレモンのそばで、忙しそうに地面をつついているペンペンをそっと腕の中に引きよせると、じんわりと温かい。お互いの体温が通い合い、安堵感を覚えた。
愛する人や生き物が自分の人生の中に増えると心配ごとも増える。
人や生き物のお世話は、やっかいで面倒なことが多い。お世話をおこたれば病気になったり、下手をしたら死んでしまう。どんな時でもその人や生き物のことは頭の隅においておかないといけない。全部をほうり出して自由になりたいと思う時もある。でも案外自分のコントロールがおよばない状況をいやおうなく仕掛けてくる存在のおかげで、心が満たされるような状況に出会える時がある。
ペンペンとレモンが日に日に元気を取り戻していく姿からは、希望を感じる。ほっとしたような表情で2羽を見守る思春期まっただ中の娘と2人、早朝の校庭で過ごすこの時間は、黄金色の朝の光に縁どられ、私の中に記憶として刻まれていく。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。