vol.028 木漏れ日舞う中で
先月からお別れが続いている。
2人とも私が暮らす島のご近所さんたちで、20年前に移り住んだ頃から可愛がってくれていた年配の島人たちだ。MさんにもTさんにも娘を含め家族全員がお世話になっていた。
先日は、109歳と大往生のTさんの納骨式に参列してきた。木々に囲まれた空間にやふぁやふぁと南風が心地よく、木漏れ日がテントの幕や参列者の上で美しく舞っていた。
Tさんの納骨式も先月参列したMさんの納骨式も同じ場所で行われたのだけど、それは2人が眠る立派な亀甲墓が隣同士だからだ。Tさんの納骨式の間、Mさんの名前が記された朱色の旗がお隣の亀甲墓で終始風にはためいていた。まるで島の人々に再会したことを喜び、「私もここにいますよ」と言っているように見えた。
Tさんのご親族による式辞は飾らぬ言葉が温かく、心に染みいった。その方が子どもの頃、庭に咲く花に集まる蝶を一緒に眺めた話しや、家にたずねてくる人にいつも何かをあげようとする優しい人だったという話をされていて、小さなエプロンをしたTさんがオロナミンCや黒糖を土産に持たせてくれたことを思い出し懐かしさが押し寄せ心が揺れた。
沖縄に来てから不思議と素直に感じるのは、死がそんなに遠いものではないということ。私たちが生きているこの場所とあちら側は、案外繋がっていてそんなにかけ離れた場所ではないのではないかと思うようになった。それは、もしかしたら島の人がご先祖さまを大事にしていて、あたかもすぐそこにおられるかのようにお話しをすることが多いからかもしれない。
心地よい南風吹くTさんの納骨式では、寂しいとか悲しいとかそんな感情よりも、出会えて良かったな、どこまでも繋がっているな、という確信めいた感覚と安堵感を覚えた。
帰り際、車を停めた海へと繋がる道を歩きながら、式服に身を包んだ娘が何か小さく呟いた。蝉の合唱にさえぎられ言葉は私の耳には届かずにきえていった。
式が終わると島人たちはそれぞれ思い思いに家路につき、その場から日常へと散って行った。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。