実家が無くなる日 後篇
承前。漫画はざっと目算で1000冊以上、小説の類は500冊。ダンボール箱30箱相当。とにかく詰めるだけ詰める。PC周りもある程度梱包し、まず一旦新居の方へピストンする。本は奥さんの実家の方にとりあえず置いてもらい、選別した本だけを新居に持ってくる。残りは売り払う。新しい本棚を埋める。本棚はその人の人となりだ。改めて作り直すのであれば最初から綺麗にしておきたい。並べ直すと心が洗われるようだ。正直こんな事は今やる事ではなく、後でやればいいのだが、何かを捨てていくだけの作業は心にくるのだ。震災の時にテレビでずっと流れている壊れる町の映像を見て、心が壊れそうになったあの時を思い出す。あの時以来テレビはあまり見なくなった。壊すだけ捨てるだけではなく、なにかを作らないとダメなのだ人間は。新しい部屋はできる限り形にしておきたい。それでも私にはここがあると云う最終防衛ラインとしての安全基地が欲しい。あまりに古い本は廃棄にする。中学生の頃に読んでいたライトノベルは廃棄にした。古い本棚の整理は私の歴史を遡る作業だった。さようなら私の小学中学時代。本はやり終えた。さてこのまま終わりにしたいところだが1番の難関の模型関連が残っている。残り作業時間の割り振りを考えると、実はギリギリ間に合わない。しかしやるしかない。1階の進捗を見る。ここで先程の私のミスが発覚する。完全に手付かずの部屋がふたつある。いま来てもらっている業者さんに発注し忘れていたのだ。今から追加でこの業者さんに頼むのは無理がある。タスクが増えるだけで、最終日を過ぎてしまう。急遽即日対応出来る別の業者さんを探し、雑誌の廃棄と一緒に頼み忘れていた部屋の分を同時進行でやって頂く。兎に角、1階にある家族のものは全て捨てるのだ。感傷に浸る時間もない。浸るほどの感傷も無いのだが。休日がどんどん潰れていく。いくら閑散期とは云え仕事は仕事、それなりに疲れて帰ってくる。そこから作業をして眠り、朝のピストンを行い出勤。休日はフル稼働。疲れで頭の周りもどんどん悪くなる。元々そんなに良い頭でもないので尚のことである。このままではかなり厳しい状況のため、新しい家から通う予定を変えて、残り日程すべて取り壊し開始日の実質最終日までここに住んで仕事に通いながらギリギリまでやることにした。残りは数日しかない。2日後には電気が止まる。実家の風呂ももう使えない状態なので数日は銭湯生活だ。地元のスパに初めて行ったがこんなに良い施設だったのかと、思いがけない感動もあったりした。夜中の11時すぎに入る熱海の湯(再現湯)は、疲れた体と心にとても染みた。
朝一回ピストンで荷出し、そのまま仕事に行き、家に帰りこん包する日々。ダンボールは既に50を超えている。模型の山はまだ半分。ピストンは基本私の軽の車1つで行っている。新しい家までは片道30分の距離だ。1日にできる回数も限られるため、出来るだけ効率よく運びたい。作業部屋をある程度終え、最後の部屋である古い作業部屋を覗く。昔使っていた時の、そのままの状態だ。実は単身赴任から帰ってきた際、元々使用していた私のこの部屋は天井裏のネズミ被害のためか灯りがつかなくなっていた。そのためもうひとつの部屋を作業部屋として使用していた。そう、私には新旧の作業部屋があるのだ。新しい作業部屋には最近のものが、古い部屋にはそれ以前の昔のものがある。新しい部屋の方には新しめの模型やプラモデルがあるのでそれらは確保するとして、古い部屋にはもう10年以上まともに踏み入れていない状態だ。1階の方はほぼ完了している。業者さんにはまだ産廃が出る可能性が高い旨を伝え一旦下を終わらせてもらう。新模型部屋の方は何とかまとめて形なった。塗装ブースであるネロブースも持ち出した。兎に角塗料瓶が大変だった。今回学んだことの一つに、使った塗料瓶は捨てろ、がある。再利用なんて考えてはいけない。土嚢袋2袋分の謎の色の塗料瓶の清掃廃棄が、実は今現在この後残っている。必要なダンボールをピストンで新居の隠し部屋に持っていく。あまり家族に見られると困るので、これもこっそりもっていく。これだけはどうか理解して欲しい。どうしても必要なものだけ残しているのだ。残したものの倍以上は、廃棄している。新しい快適な家を背に電気の止まったクソ寒い家に戻り、毛布にくるまり朝を待つ。残りはあと2日。
過去のものを掘り起こし、感慨に耽ける暇もなく選別し、棄てていく。所謂、断捨離である。断捨離は心を殺す作業だ。もし物を捨ててすっきり気持ちいいと云う心があるなら、私はそれは病だと思う。20年前に買ったプラモデルだって、捨てるつもりで買った訳では無い。しかし全ては持っていけない。売ることも考えたが手間も時間も今はもうない。もっと早めに売るなりなんなりで手放していれば、と疲れて弱った心がゴミ袋に詰め込まれるものに思いを馳せる。ものには誰かの思いがある。親のものは親の思いが多分ある。だが、それが私には何かは分からない。だから捨てられる。しかし、私が集めたものには私の思いが少なからずどれもにある。器物百年を経て怪異となすのが付喪神だが、物にはそれぞれその所有者の思いが呪いとして宿る。そしてその呪いは、その人本人にはとても効くのだ。心殺して、私はそれを袋に詰めていく。私の心を、私が少しづつ削っていく。断捨離とは、そういうものなのだ。持って行けるものだけ選別する。ああ、これも買っていたのかと思いながらゴミの袋に詰めていく。食べる時は幸せでも、痩せる時は辛いのと似ている(そうか?)。冬は日が暮れるのがとにかく早い。5時には真っ暗だ。この部屋は電気が死んでいるから時間との勝負である。しかし終わらない。あらゆる隙間に自分の思いが詰まったものがある。中身の入っていない化粧箱だけのもの。捨てる。ガンプラのやたら重い箱を開けるとガチャガチャのおもちゃがいっぱい詰まっている。それも捨てる。使えそうだなと思えるようなツールやマテリアルも、時間が無いのでそれでも捨てる。日が暮れて暗くなる。部屋の中のものはもう見えない。本日が最終日。ものはまだ半分以上ある。
翌日、会社を休んだ。恥を忍んで泣きの延長戦である。
昼頃に、取り壊し業者の人が視察と挨拶に来た。深深と頭を下げて「なんとか延長お願いします」と懇願する。業者さんはよくある話のようで、予備日もありますからと快諾してもらう。色々解体手順なども聞いてこの場所なら作業初日に使わないので荷出しで置いてもいいですよと許可を貰う。泣いても笑っても最終回だ。間に合わなければ、多額の追加料金を払い、残りのすべてが産廃に行くだけ。気持ちが奮い立つ。たらればを云ってもただ時が流れるだけ。何も進みはしない。そう、やらなかった過去は、もう過去なのだ。今、やるのか。やらないのか。トロッコはすでに走っている。1人死ぬのか5人死ぬのか。違う、やらなければ死ぬのは私なのだ。サンデルなんてクソ喰らえだ。今やる私だけが、間違いなく確実に正義なのだ。不思議な話で、この2週間2階の荷降ろしをしていた為か、頗る肉体は健康なのだ。まず夜の寝つきがとても良い。肉体的疲労がある仕事では無いので、これは少し驚いた。初日よりも明らかに動けるし、息切れもしなくなったし、膝の痛みもなくなった。心做しか、腹も少し凹んできた気がしている。今なら気持ちも前向きだしもう少し背が伸びて彼女が出来るかもしれない。そんな妄想が出来る位の余裕がある。これならあと1日2日はやれる。心が削られる一方、肉体の方は健康になって行く。皮肉な話である。しかしそれが引越しなのだ。やはり日が沈む夕方5時までが勝負。可燃ごみの袋も4回買って使い切っている。40袋は捨てているということ。とんだゴミ屋敷だ。40年積もり積もった呪いだ。そうだ、私が全て祓い落としてやる。2階で出た最後の産廃を昨日の業者さんに再度お願いして排出して業者さんのターンは終わり。謝礼は少し多めにお渡ししてグッドバイ。無茶も云ったろうしクソみたいな仕事を頼んだのだから当然だ。心底、本当に助かった。最後のゴミ袋を市のクリーンセンターに持っていき、車に残りの荷物を詰め込んで夕方の5時ジャスト。家の中は全てもぬけの殻になった。やりきった。足場を立てる工員さんももう居ない。間に合った。そして、私と家だけが残った。私が、家族が生きた証は全て吐き出した。そこにはただ広々とした空間だけが残った。まさに虚。こんなに広かったのかこの家は。そこでようやく、真っ暗な虚空の家を見て、混濁合わせた気持ちも、全て流れ落ちていった。私の40年が終わった。もしかして、もっと大事に使っていれば或いはもう少し……いや、止めておこう。この終わり方しか無かったのだから。
さようなら父と母、私の過去。ありがとう私の実家、私の家。
泣きの延長戦を貰い何とか足場を建てる前に終わったという非常に情けない、結果としては実質的に負け戦だった。しかもこれから私が廃棄しないといけないものもありまだまだ残務処理が残っている。しかし、一先ずこれで精算。新たに建てる弟家族に幸あれ。最後に、今回学んだ事は色々あったが、1番大事だなと思った事は、「立つ鳥跡を濁さず」の精神であった。何も残さずきれいに去りたい。それは詰まり、私が死ぬ前に、このうずたかく積まれたこの80箱近いダンボールをどうするのかと云う事にほかならない。それはまた別のお話。
了
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