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「足らぬ」を知る

先日、Twitterのホロワーさんであるからぱたさんに写真のデジタル現像の触りを教えて頂きました。先般実に10年振りにデジタル一眼レフカメラを買い換えまして、昔よりも写真が綺麗に撮れるようになったのですが、なんかしっくりくる写真が取れない。実際シャッターを切った時の絵と、スマホで見た時の写真にギャップを感じるのですが、何が悪いのかがわからない。料理を作ってみたのだけれども、何だか思ってた味と違う。でも何が足りないのか(間違っているのか)かがわからない。分からないので治しようがない。でも取り敢えず食えるから食っておこうか。そんな感じでずっと撮っておりました。そんな中、Twitter上で「じゃあアプリのLightroomの現像の説明やりましょか」と云う提案を頂き、えいこらさっさとして頂く形になりました。何故パッキリした写真にならないのかが、分かりやすく丁寧な説明で腹落ちしました。この時に気がついたのは、「写真をどうしたいのか」です。これは模型をやっていてもそうなのですが「で、これをどうしたいの?」と云うある程度明確なビジョン、落とし所がなければ何も打つ手がないと云う事でした。そう、当たり前の話です。

 何がダメなのかが分からない時は大抵、勝利条件『こうなったら勝ち(成功)』と云うのが腹落ちしてないことが多いです。今回はこういうことをしたい、しようと思って始めてみて出来なくて色々手を替え品を替え試してみて勝利条件に近づけていく訳ですが、この「こうしたいなぁ」がそもそも無い状態だと、何をやってもどうともならないですし、ぼんやりとした満足もしくは不満感で終わってしまいがちです。今回の写真の撮り方を聞いてああ、この時はこうしたいのかとかこの時はこうすればこうなるのかとか色々な知見を頂いたのですが、知っている側からするとそもそも相手の悩みが分からないと助言も解決も出来ないものです。何がこの問題に足りていないのか、問題そのものがお互いに理解出来ていないといけないのだなぁとその点もまた勉強になりました。知らないことがひとつわかると知らない事が2つに増えるのが趣味の世界。写真の奥の深さも広さもまだまだ分からない事だらけです。

足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、とは云いますが先ずは「何が足らぬのか」をよく考えないと、工夫のしようもないのだなぁと思いました。問題はとくよりも見つける方が難しいものですね。

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