新卒就活における〝意識高い〟の正体とはなんなのか
「あいつ、意識高いよね」
大学時代に早くからスタートアップで長期インターンしたり、国際交流的ななんかの取り組みしたり、サマーインターン行きまくったり。
こんな知り合いがまわりにいたら、それを傍からみて、ちょっと斜に構えた感じで「あいつ、意識高いよね」って言ってる大学生は少なくないだろう。
かく言う自分もまさにそんな斜に構え系学生の一人だった。大学時代のほとんどをテニサーと居酒屋と塾講師バイトで過ごしたパンピー学生だった自分としては、そういう意識高い系()と自分は違うと思ってたし、せっかくのモラトリアム期間にどうしてそんなストイックにやってるのか理解できなかった。もっとゆるくいこうよ、と。
その一方で、そうやって色々興味関心とかやりたいことがあって自発的に動いてる人を傍から見ていて、もしかしたらどこか少しうらやましかったというのもあるかもしれない。…話を元に戻そう。
学生の言う「意識高い」の正体とはなにか
早期にスタートアップでインターンしたり、留学したり、こういう学生は年々増えていると思うけど、はたして本当に彼らは意識が高いのだろうか。そして、実際社会に出て働くなかでも意識高く自発的に働けているのだろうか。
社会人6年目にして、事業サイド(コンサル)から組織サイド(人事)に社内転職し、新卒と中途両方の採用活動に関わるようになってみて、その答えが自分の中で腹落ちした。
それは、その当時の彼らは意識が高いというよりは、”自分の人生を意識するのが早かった”ということ。彼らは早くから将来のライフプランやキャリアを考えて、その実現に向けて成功確度を上げるために自発的に動いているんだな、と今になって自分のなかで納得がいった。
もしくは、最初はそんなプランは無くても、行動して色々挑戦して経験する中で、なんとなくこんなことやりたいな、こんな風になりたいなというのが出てくるのかもしれない。
いずれにしても、これから長いこと続く社会人生活で、いかに自分のやりたいことを実現するのか、なりたい姿に近づくのかを考え、早くから行動してるのだろう。
社会人として働いてみての実感
実際、社会人になり色んな人と関わってみて思うのは、いわゆる意識高い人は意外と限られているということ。
大学時代は色んな有名企業の内定ホルダーになってまわりの友人や後輩から崇め奉られ、ザ・大手企業に就職した人が、久々に会ってみると「仕事つまんない、はやくボーナスの時期こないかな、転職しよっかな」…そんなことを飲み会でボヤいてたりする。
かと言って本当に会社辞めてやりたいことやるのかで言うとそうでもなく、年次もいって、そこそこ給料も高くなって、新米がやる雑用や飲み会幹事やらなくてよくなり、居心地がよくなって(惰性で、とまでは言わないけれども)そのまま働いてる人も少なくない。
(念のため言っておくと、自分のまわりにはベンチャーでも大企業でもフリーランスでも、関係なく仕事楽しんでる人はたくさんいるので、ベンチャーはやりたいこと出来て、大企業はダメだとかそういうことを主張したいわけではない。大企業でもチャレンジしている人はいくらでもいる。)
たまに学生時代の人と会ったり、地元に帰って友人と話したりすると「めっちゃ意識高いよね」と言われる事が多い。自分の属するベンチャー周りのコミュニティだと「会社をどうしていきたい」とか「将来こんなことやりたい」みたいな話ばかりなので、なんでこれが意識高いんだろうと不思議に思ったりもした。
ただ、よくよく考えてみると、学生の時はなんとなく大手に入社して定年まで働くだろうなーとか適当に考えてテニサーでただ毎日をダラダラと過ごしていた奴が、今はいわゆるベンチャー企業ってところで、コンセンサスとかディスカッションとかアグリーとかの意識高そうな横文字使っていたり、こうやってSNSで情報発信したりしている…のは確かにそう見えるかもしれない笑
中途採用に携わってみて感じた「意識高い/低い」
これまでは新卒採用で学生と関わったり、新卒入社後数年のいわゆる若手層と関わることが多かったので、この意識高い/低い論争というのが比較的身近でわかりやすいものだった。
人事に異動して中途採用にも関わってみて改めて思うのは、いわゆる「意識高い人」も「意識低い人」も両方いるんだなということ。
例えば、”将来が未知で不安定なベンチャーへの転職”っていうと、傍から見るとかなり攻めてて、挑戦していて、意識高いって思われがちかもしれない。
ただ、最近では副業やリモートワークなどの多様な働き方や、パパママ社員や、福利厚生や、もちろん給与面についても普通に大手企業よりも充実している会社も増えている(もちろんまだそのフェーズではないスタートアップもたくさんある)。
そんな中で「ここだったら成長させてくれそう」「この会社は安定してそうだから」といった理由で受けてくる人もいるし、「転職エージェントから紹介されたから」という理由で”とりあえず”受験しにくる人も少なくない。別にそれ自体を否定するわけではないが、はたしてこれを意識高い人というのだろうか(そうではないだろう)。
その一方で、就活で出会った時はそうでもないかなと思っていた学生が、とあるベンチャー企業に入ったのをきっかけに、数年後に会ってみると自発的に考え、行動していて、めちゃくちゃ魅力的な人になっていたりする(こういう人を人事としては是非採用したい笑)。
”人生を意識するタイミング”が早いか遅いか
結局のところ「意識高い/意識低い」というのは、価値観が異なる人に対して、自分のスタンスを押し付けているの過ぎないのではないだろうか。
「ベンチャーで死ぬほど働いて将来自分で事業を作れる人になれるよう成長する」っていうのも意識高いし、「家庭やプライベートを大事にしたいから仕事は仕事と割り切ってそこそこの給料をもらって、40年間かけてキャリアを築いていく、それ以外のことは高望みはしない」というのも、それはそれである種意識高い選択と言える。
つまるところ、別に意識が高かろうが低かろうが、他人にどう見えていようがぶっちゃけどうでもよくて、自分の選んだキャリアをいかに成功させるのか、描いている人生にいかに近づけようとしているのかを考え、行動に移せていれば良いと思う。
自分の人生にとって何がベストなのか、そのためにどんなキャリア選択をするべきか、それを意識し始めるタイミングが早いのか、遅いのかが人によって違うだけで、新卒就活における”意識高い学生”はそのタイミングが早いだけなのだろう。
幼少期に強い原体験があったり、学生時代に色んなコミュニティに所属しているとその分自分の中での価値観ができているので、早くから理想のキャリアを実現すべく動くのだろうし、そうでもなくて自分のようにただテニサーで4年間を過ごして特に人生について深く考えたりしないのであれば、社会人になって働くなかで経験から人生やキャリアについて意識し始めるだけでしかない。これに対する優劣も何も無い(と思う)。
世間の評価や他人の思考に惑わされず、自分を理解すべき
就活における大手行くべきか、ベンチャー行くべきか論
・「ベンチャーなんて将来どうなるかわからないから大手行くべき」
・「ベンチャーの方が裁量もあるし成長できる、大手なんてつまらない」
・「今は複業の時代。ひとつの企業で一生働き続けるなんでありえない」
それぞれの価値観のもと、ポジショントークをしているだけなので、自分にとってどれがしっくりくるかでしかない。自分が納得できているならどれでもいい(ちなみにポジショントークは大歓迎)。
自分は「ToDo型人材」「Being型人材」どちらなのか
北野 唯我氏の著書『転職の思考法』に出てくる言葉を借りると、自分が「ToDo型人材」「Being型人材」のどちらなのかを理解しておいた方が、周りに流されずに、然るべきタイミングで自分なりの考えや意思決定ができるようになるだろう。
・to do(コト)に重きをおく人間……何をするのか、で物事を考える。明確な夢や目標を持っている
・being(状態)に重きをおく人間……どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する
参考)「自分の寿命は伸びるのに、会社の寿命は縮んでいく」変化の時代のキャリア戦略【為末大×北野唯我】 | 転職の思考法 | ダイヤモンド・オンラインhttps://diamond.jp/articles/-/175579
”自分なりの意識の高さ”を身に着ければいい
繰り返しになるが、結局のところ”自分次第”ということなので、
・きたるべきタイミングで
・人生なりキャリアなりを意識するようになったときに
・適切な意思決定ができるように思考しておくこと
・実現に向けて行動できるだけの能力や環境をつくっておくこと
が大切だろう。いざやりたいことが出来ても、環境や能力の問題でそれを実現できないとなってしまっては悲惨なので、その準備をしておくのがいい。
”自分なりの意識の高さ”を持てるようになれば、周りがどうこう言おうが、そんなのは単なる雑音でしかなくなる。結局のところ、自分の好きなように生きればいいのだから。
(冒頭で”意識高いとかなくて意識するのが早いか遅いかだけだ”とか言っておきながら最後は”自分なりの意識高さ”を持とうとなってしまったけど、まあ良しとします。それでは。)
新卒就活生にも、社会人にもこの本おすすめ
上述したように自分の理想を人生やキャリアを考え始めたときに、それを実現する成功確度を高める努力はしておく必要がある。そんな時にキャリアの描き方としてこの本にかかれている考え方はとても参考になるので、新卒学生や社会人に関わらず読んでおくと良いと思う。