見出し画像

【思索メモ】アートにおける利他とは何か?

昨日noteに上げた記事で、石巻リボーンアートフェスのことについて少し触れたので、この芸術祭の詳細と、最近のテーマで少し気になったことについて、ちょっと書いておきます。


Reborn-Art Festivalについて

この芸術祭は、正式名称を「リボーンアート・フェスティバル」といいます。主に石巻市を中心として会場を展開していますが、過去には女川など周辺地域にも会場を設置したことがあります。
大体2~3年に1度の開催なので、位置付け的にはトリエンナーレなのだと思います。
初回は2017年ですが、そのときには開催を知らず、わたしは行かなかったのです(というか、たしか2017年当時は仕事が忙しく、東京以外の遠方に駆けつける余裕がなかった…2016年の瀬戸内芸術祭も、せっかく前売りの鑑賞券と乗船券を買ってあったのに、都合がつけられず反故にしちゃったんだった…苦い記憶です)。

毎回きれいなパンフレットがもらえるのが楽しみ。作品解説も結構充実の内容。

初参加は2019年。石巻に行ったのはその時がはじめてで、仙台のさらに向こう(福島から見て)にある寂れた海辺の町、くらいの認識しかありませんでした。震災で甚大な被害があったことも、その昔はクジラ漁を行っていたことも、有名なおいしいかまぼこ屋さんがあることも、地元で捕れる新鮮な金華さばを使ったおいしい缶詰を作る工場があることも、何も知らなかった。
上記のことはすべて、このリボーンアートフェスに参加して知ったことです。
なんでかんでで、2019年、2021年、2022年と、もう何度も足を運び、なんだかすっかり土地との縁が結ばれたように感じています。
(そういえば、東京の美術館にはそれ以上に何度も行っているのに、なぜか「縁が結ばれた」って感じがしないのです。作品がたまたまそこにあるから、見に行く、以上の場所になっていないからなのか、私の住む福島県と石巻は、同じ被災地という共通項で結ばれた間柄だから親近感を感じているだけなのか…なぜなんでしょうね)
当初から、東京からの参加者を見込んでいたようで、仙台駅発着や石巻駅発着の一日バスツアーを運行しており、2019年も2022年もそのツアーを利用して鑑賞しました。

(リボーンアートフェスに関しては、ほかにも色々思い入れがあるので、また改めてnoteにでもまとめようと思います、いまはさわりだけ述べるにとどめます)

利他について(1)芸術祭のテーマとしての利他

さて、「利他」。
このキーワードが、どうリボーンアートフェスと関連してくるかというと、2021-2022年開催時(コロナの関係で、会期が2年にまたがってしまいました)のテーマが、何を隠そう「利他と流動性」だったのです。

このテーマに寄せて、実行委員長の小林武史氏が、公式サイトのあいさつでこのように述べています。

「その都度振り出しに戻ったり、 弱者の視点に立ったりするなかで、 何に向かって何を感じて生きていくのか——人類が文明というものを生み出す大元に立ち返るような心の動きが流動性のなかに潜んでいるのではないか。コロナ禍の状況も踏まえてはっきりと輪郭を持ち始めた言葉がある。
それが 「利他」 。
「利他」 は今、 その定義が漢字の持つ意味合いよりも曖昧だが、 それがさらに広く捉えられ、 全体とのつながりをイメージしていくような言葉としても機能しているようだ。 敢えて言えば 「利他的なセンス」 なのか。持てる者が持てない者に物質的な施しを与えるというようなことには留まらない、 慈善活動のような思いには留まらない、 共に生きるという視点がそこにあると思う。 さらにそれは人間社会にも留まらない 「人間も自然の一部である」 という認識も含めて、 自己と他者の境界を流動性で捉えていくというイメージも起こさせる。
生き物というのは個より種を大切にするように進化して、 人間だけが生き物のなかで初めて種よりも個の自由を選ぶようになった。 これは、 進化の段階としてなのか、 資本主義の限界としてなのか、 個の自由がひいては 「利己」 を増幅するという結果を招いている。
個の自由は進化のためにも必要で、 人種やジェンダー、 障害の有無など様々な面で今はそれがより開かれてきている。 だからこそ、 わたしたちは 「利他的なセンス」 を取り入れる必要がある段階にきていると思う。」

https://www.reborn-art-fes.jp/message/

このあいさつ文から察するに、おそらくこの芸術祭で目されている「利他」とは、「自然や他者との共生」「自分を最優先にする思考の対極にある考え方」という意味で使っているのかな、と最初は思いました。

利他について(2)社会学?的観点からの利他

翻って、最近読んだ本をご紹介。

実は、去年9月にリボーンアートフェスティバルに行った時から、ずっとこの「利他」というワードがひっかかっていたのでした。
最初に聞いたときは、あまりよくわかってなくて(今もボヤっとしてるけど)「他者への思いやり」とか「親切心」とか、「自分よりも他人のことを考えること」とか、そういう意味かな?と思ったのだけど、どうも釈然としませんでした。フェスティバルの参加作品たちからも、前述のようなテーマをあまり強くは感じなかったからかもしれません。でも、実行委員会側も、あえてこのワードを厳密には運用せず、解釈の余地を残すかのように、フワッとさせているようにも感じました。

本書では、五人の論者が、それぞれの専門分野に照らして「利他とは何か」を論じているのですが、これがまたはっきりしません。
つまり五人が五人とも、同じような微妙に違うような結論を言っているように見えるのです。

それでもやや乱暴にまとめると、本書で示されている「利他」の定義は大きく2種類。
ひとつは、「他者のために何かを行うとき、その原動力が理屈や見返りを期待する心ではなく、何か分からない力に動かされるようにして自然にやってしまうことこそ利他的行為である」
もう一つは、「相手に何か行為をするとき、それによって自分が変容するかもしれないということを認め受け入れること」。論者の一人である伊藤亜紗氏は、「利他の本質は、他者をケア(=一定の距離と敬意を持って気づかう)することなのではないか」とも書いていました。

うーーーん、恥をしのんで言えば、まだ正直あんまり分からない。
でも、本書を読んでようやく、「利他」というワードが単なる「親切」や「思いやり」とは違う、もっと深く広い意味を持っているということが分かった。それと同時に、「利他と流動性」というテーマは、もう少し深く理解するために努力が必要なのではないかとも思えてきた。

まとめ

自分なりに少しまとめてみると、「利他とは、他者を他者として尊重しつつ、そのふるまいを見守ること、そこには見返りがあったりなかったりするが、それは特に重要じゃないこと、予想外の他者のふるまいを制御することはできず、時には自分が影響を受けて変容する可能性があること」… こんなふうに考えてみればいいのかしらん?

正直、もうひとつのテーマである「流動性」の意味もフワッとしてるし、今後もこの「利他」というキーワードは考え続けていきたいと思う。


おまけ

今回の記事は全然写真なかったので、去年石巻で見た作品を一部ご紹介。

川俣正さんの「石巻タワー」。工事現場で出る端材を利用しているらしい。
風間サチコさんの「ニュー松島」ほか。かつて工場や米蔵として使われていた石造りの倉庫の中での展示。
ここも被災し、津波直後は流されてきた車が数台詰まっていたとか。。
山内祥太さんの「我々は太陽の光を浴びるとどうしても近くにあるように感じてしまう。」。
駅前ででっかくお出迎えありがたいけど、ちょっとコワいので、こういうの苦手な人はこの道通りにくくなっちゃうんじゃないかな… と心配した。