IVS2024 KYOTOインターン生レポート③R.S:チャーチとしてのIVS
IVS2024KYOTOのインターン生レポートも、第3弾!
今回は、R.Sさんのレポートを紹介します!
R.Sさんは特に、トークセッションを通して、ご自身の考えを見つめ直す機会を得られました。
どのような振り返りができたか、ぜひご覧ください。
イントロ:IVSに参加してみて
私はスパークル株式会社という宮城県に拠点を持つベンチャーキャピタルのインターンとして、2024年7月頭に3日間に渡り京都で開催された、IVSサミットに参加してきた。
ここでは、私がサミットで見たこと、感じたことを簡単に紹介しつつ、個人的に特に楽しみにしていた2つのトークセッション「無職という立場だから見えてくるスタートアップエコシステムのこれから」「日本流Well-beingを模索する〜ココロ、カラダ、シゼン、キカイの調和〜」に参加することでみえてきた「IVSの一面」について書いてみようと思う。
これを書く意図として立派な何かがあるわけもないが、私が興味深いと感じた事を言葉にすることで、IVSを振り返る機会としたい。また、いるかもわからない読者がこの拙く偏見に満ち溢れているだろう文章に触れてみて、「IVSという謎サミット」を少しでも面白がってくれたり、「IVSってなんかマッチョな感じで恐怖なんですけど」という私が抱いていたようなIVSとの距離を少しでも縮められたり、IVSに参加した者が自身の経験を振り返るキッカケとしてもらえたら、少し嬉しい。
IVSって何?
さて、私が特別楽しみにしていたトークセッションの紹介をする前に、「IVSって何?」というそもそもの疑問に簡単に答えて、現地の空気感の振り返りを行ってみたい。
まずIVSとは「Infinity Ventures Summit」の頭文字をとった略称だ。「スタートアップエコシステムの活性化」を目標に据えるこのサミットでは、エコシステムを構成する様々な主体が集い、主体間の関係が更新され、主体と関係性そのものが新しく作り出されていく。
現地では開始時刻の朝10時を待たずに、会場と最寄りの駅を往復するシャトルバスから続々と参加者たちが降りてきては会場へ向かって歩いていく。その会場は3つのフロアで構成されていて、最も大きい最下層のフロアは大きめの校庭くらいの規模だ。そこにはピッチイベントやトークセッションが行われる空間が点在していて、いろいろなイベントが同時並行で開催される。その空間を埋めるように、企業や自治体がブースを構えていたり、お酒やソフトドリンクが無料で提供されているカウンターがあったり、そのカウンターを囲うように自由交流できる空間があったり、黙々とパソコンに向かって作業をする人が集まるシェアオフィスのような空間があったりする。会場の外には地元の飲食店が屋台をいくつも展開していた。夕方になりサミットが終了時刻を迎えると、参加者はまた続々とシャトルバスに乗り込んで、「サイドイベント」という、参加者同士が有志で自由なテーマとスタイルで開催することができる夜会に赴く。
このような場で、3日間、起業に関心を持つ者、起業家、ベンチャーキャピタリストをはじめとした「スタートアップエコシステム」を構成する面々が出会い関わりを深める。
現場で感じたこと、表面化した偏見
このような場に行ったわけであるが、当初はここまでの事前情報もなく、「IVS」が何の略称なのかもわからず、ただIVSが「スタートアップ関連のあらゆる人が集まる場」らしいことと「とてつもなく混雑する」という情報だけを携えて現地入りした。それだけの情報しかないから、当然妄想は膨らむわけで、現地には、星飛雄馬のように眼球から炎が吹き出すほどの熱情と能動性を秘める、マッチョな起業家および起業家のタマゴたちが待ち構えているのだという覚悟を少なからず決めて現地入りした。
そんな覚悟を決めてはいたものの、未知の世界では何が起きるかわからないので、怯えながら現地で受付を済ませ、インターンとしての仕事をこなし、トークセッションやサイドイベントに参加した。
しかし、そこで出会う人たち、特に私が出会った起業家の人たちは、そんなマッチョさは微塵も感じさせない、通勤列車でよく見かけそうな「普通の人間」という印象を抱く人がほとんどだった。私の覚悟は偏見に基づく杞憂であり、起業家の「超人像」は私が勝手に作り上げていたのかもしれないことを自省した。
これはトークセッション「無職という立場だから見えてくるスタートアップエコシステムのこれから」で元起業家で現無職の登壇者が話していたことだ。この言葉はこのトークセッションで最も印象に残っているもので、そこには「超人」ではない起業家のリアルがよく描き出されているように思えた。
起業家もサラリーマンも学生も、自分の中に何か不変の軸というか一貫したものを欲している。富・名声・力を究極的な目標に据えて、成功するまでピボットを繰り返す起業家(ちなみに登壇者いわく、成功している起業家にはこのタイプが多いらしい)。ビジョンの実現を軸に据えて事業を作り上げていく起業家。自身の感性や専門性という手段を軸に事業を作り上げていく起業家。このように軸を据えて初めて、「存在意義」を感じることができる。使命や役割が与えられたと感じられる。ここに描き出される起業家のリアルととてもよく似た風景が自分と自分の周りにも見て取れるように思う。
そんなことをトークセッションで聴いて考えていると、IVSという超人蔓延る修羅の国と思っていたサミットでも、肩の力を抜いて冷静に周囲を見て楽しむことができるようになった。
IVSの最初の2日間は食事があまり喉を通らなかったが、3日目の昼食には会場近くの人気ラーメン店を堪能し、夜にはサイドイベントで出会った人と話をしながらコーラと日本酒と寿司を楽しめるほどになった。
それでも緊張はしていたけれど。
推しのトークセッション:「日本流Well-beingを模索する〜ココロ、カラダ、シゼン、キカイの調和〜」
そのようにリラックスした、とても良いコンディションで、待ちに待った私がIVSで最も楽しみにしていたトークセッションに参加した。「特等席は誰にも譲らない!」と開始20分前には到着して待機するほどの気概だった。結局、先頭に並びすぎて最後列に座らなければならなくなってしまいトークセッションを聴くのに苦労することになってしまった。
空振りから始まったトークセッションではあったが、期待を大きく上回る話を聞くことができた濃厚な時間となった。人のウェルビーイング(和訳を調べると「健康」「安心」「充足」「幸福」というワードが出てくる。トークセッションで提唱された訳は「まごころ」)とは何か、その実現のために必要なことは何か、実現に際してスタートアップには何ができるか、といったテーマを起業家、哲学者、文化人類学者、禅僧(起業家でもあられる)が議論していくという内容だった。私にとって核心的に関心のあるテーマだったためとても興味深く聞くことができ、セッションの後には登壇者の方と一対一でゆっくりとお話をさせてもらうほどだった。
私には難解な思想だが、自己を「他者や自然からは断絶されて統合された存在」よりも「他者や自然との関係性で構築されたエコシステムの一部」として捉えようということが議論されていたと考える。この話はトークセッション「無職という立場だから...」で明らかにされた「存在意義を得るために軸を作り出す話」に深く通じる話でもありそうだ。この関連を今振り返って考えると、IVSが実現を試みていることの少なくとも一部分は「挑戦者」(IVSのいう”Challengers”の意)が抱える「存在意義を感じられない不安」に対する治療なんじゃないかという考えができることに気づく。
推しのトークセッションが明らかにした「IVSの一面」
3種類の挑戦者は、起業の成功例や業界・技術の動向に関する情報を収集するべく数多くのトークセッションに足を運ぶ。壁打ちを申し込んでプロフェッショナルからフィードバックをもらう。自身の起業熱・挑戦熱を共有して励まし合い、切磋琢磨する。形成してきた人脈を再確認しては愛でて、それをさらに成長させていこうとする。彼らも「無職という立場だから...」の登壇者と同じような不安を抱えて、自分の内に軸を認めようとしているのかもしれない。
ここで登壇者が議論していたことは大体このようなものだった。ウェルビーイングから外れた状態は、すなわち”WE”としての自己感から外れた状態だ。その解決には、身体的実感を通して自己・家族・他者・規範・自然・歴史などを含むエコシステムを構成するあらゆる主体が共同で今という瞬間を成立させていることを知ることが大切だ。地域の祭りで「神輿」を担ぐことの効能の一つはこの「共同的身体性」を実感する機会の提供だった。加えて大切なのは「畏怖」、すなわち自分が莫大で深淵な存在の一部であることを実感することだという。その実感のために大切なこととして議論されていたのは「和合」「童心」「センスオブワンダー」「自分を透明にしていくこと」という概念だった。
厳密にこの議論が取り上げていた概念を掴めたか自信はないが、言えるのはこれらの体験を「不安の治療」として提供することで、”WE”としての自己感を作り上げていくことができるということだった。そしてこれはIVSが挑戦者たちの不安に提供しているものでもあるのかもしれない。
「神輿」を担ぐ「共同的身体性」。これは自分が他者や自然と一緒にこの瞬間を作り上げているのだという身体的な感覚のことだが、IVSはまさにこの感覚を提供することを通して挑戦者の不安を治療しているように思える。なぜそう思うか。まず思いつくのは参加者が有志で自由にテーマやスタイルを設定して集客をするサイドイベントを行う機会だ。この機会を通して参加者は運営者とともに汗を拭いながらIVSを作り上げていく経験を得る。次に思いつくのは、運営に携わる若手の起業家やボランティアたちだ。彼らはIVSのロゴがプリントされたお揃いのシャツを着て、サミットが円滑に運営される様々な仕事に取り組む。その上に成り立つトークセッションなどのイベントに登場する話者も、起業家をはじめとした「スタートアップエコシステム」の面々だ。IVSを構成するあらゆる場は、起業家、起業家のタマゴ、ベンチャーキャピタリスト、一般企業をはじめとしたあらゆる主体が積極的に場づくりに参画することで成り立っている。
この「共同的身体性」こそが「スタートアップエコシステム」を構成するあらゆる主体間の関係性を強め、広がるキッカケの一つになっているのかもしれない。挑戦者の「存在意義を感じられない不安」を和らげ、次の挑戦者たちはエコシステムの一部としての役割を獲得して挑戦の連鎖が起きていく。
これはIVSがホームページで公式に説明しているサミットの意義だ。まさにIVSという場で挑戦者が自身の関係性を更新し拡大していくことで挑戦の連鎖が広がっていく風景を描いているように読める。ここで個人的に面白いと感じたのは「挑戦者が集うこと」を”congregation”という、宗教的なニュアンスを含んだ「集会」という語で表現している点だ。人々が救いを求めて集い、祈りをはじめとした活動を共有することでお互いの存在とつながりを確かめ合い、安心と希望を取り戻す。IVSはそのような挑戦者にとっての「チャーチ(教会)」のような場だとも言えるのかもしれない。
このように考えると、IVSに開催地域の飲食店が屋台を出すことには、挑戦者の食欲を満たすこと以上の意味がありそうだ。「スタートアップエコシステム」は他の様々なエコシステムと連関しているわけだし、挑戦者たちが挑戦を行うフィールドの多くは「スタートアップエコシステム」を乗り越えた広く多様なエコシステムにあるわけだから、ある土地の生活や文化との共同性を意識して「畏怖」を感じる機会としての「食」は大切だろう。サイドイベントが会場を飛び出して、開催都市の色々なスポットで開かれることにも同様の価値がありそうだ(中には他の都市で開催されているものまである)。
クロージング:チャーチ(教会)としてのIVS
2つのトークセッションを通して「3種類の起業家」「不安」「”WE”としての自己感」といった概念に触れることで、IVSにはチャーチ的な効能があるんじゃないかという観点が浮かび出た。その観点に立って考えると、IVSの味わい方には「軸を認めようとする」願い事を唱えるような味わい方に限らず、「共同的身体性」を通して「軸が表面化する」ただ手を合わせてみるような味わい方も見えてくる気がしなくもない。
以上が、起業家でもベンチャーキャピタリストでもない私が振り返ったIVSだ。おそらく私の偏見と誤解で溢れているだろうが、これはあくまでも私が個人体験を振り返ってなんとか言葉にしてみた解釈の一つにすぎない。言葉遊びも多分に含まれている気がする。だとしても、挑戦者のあなたが何かに悩んでいるのだとすれば、日曜日の朝に気軽に遊びに行く気概で、IVSに足を運んでみてはいかがだろうか。そこで救済が実現するかは神のみぞ知ることだが、そこは「超人蔓延る修羅の国」ではなかったし、あなたの推しトークセッションもきっと見つかる。