鉄オタ 国境を越える ①泰緬鉄道(カンチャナブリー)
幼い頃、家に絵葉書のセットがあった。
鉄橋を渡る列車や、崖沿いを走る列車。
後にそれが泰緬(たいめん)鉄道あったことを知る。
泰緬鉄道とは、ビルマ戦線への補給を目的として、タイとビルマ(現在のミャンマー)の間に建設された総延長415kmに及ぶ鉄道を指す。建設には連合国軍の捕虜やアジア諸国の人々が動員されたが、工期の前倒しや雨季という気象条件が重なったことで多くの死者が出たことから、「Death Railway(死の鉄道)」とも称される。1957年公開の映画『戦場にかける橋(The Bridge on The River Kwai)』で描かれたことでも知られる。
今回、そんな泰緬鉄道をたどるべく、タイへ出掛けた。
トンブリー(Thonburi)駅を7時45分に出る列車でカンチャナブリー(Kanchanaburi)を目指す。
トンブリー駅はチャオプラヤー川の西に位置し、市場の裏手にひっそりとたたずむ。対岸にあるホワランポーン(Hua Lamphong)駅が表通りに面し、多くのホームを擁しているのと対照的だ。
窓口でカンチャナブリーまでの切符を購入。ナムトク(Nam Tok)までの区間は外国人であれば一律100B(約400円・1バーツ=約4円・旅行当時)らしい。日本を基準にすれば安く感じるが、ホアヒン(Hua Hin)から同じ三等車で帰ってくるのにわずか44Bであったことを考えれば、少し高いような気がする。
※ホアヒンまでは約210km、カンチャナブリまでは約120km
ほぼ定刻通りにトンブリー駅を発車する。駅を出ると、住居が所狭しと並び、木々が手足を伸ばすかのように迫る中をゆっくりと走る。
ただ、タリンチャン(Taling Chan)駅から本線に合流すると、列車は揺れも少なく、まっすぐに伸びる線路を快調に走り抜けていく。南線の複線工事の影響で遅れることも覚悟していたが、30分程度の遅れで走っているようだ。
列車はノーンプラドゥック(Nong Pla Duk)駅に到着する。ここから先はナムトク線、つまり泰緬鉄道の線路へと進んでいく。もともとはミャンマーのタンビュザヤ(Thanbyuzayat)まで続いていたが、戦後ナムトク(当時の呼称はターサオ)以遠は廃止された。ちなみにこのルートはビルマへの最短経路であり、タイとビルマの戦いでもこの経路が使われることが多かった。
現在、駅は南線の複線化工事の拠点駅となっており、JR北海道から譲渡されたDD51型機関車もここで活躍しているらしい。
泰緬鉄道建設から80年近く経つ中で、再び日本の機関車が活躍しているのは感慨深いものがある・・・などと考えていたら、既に同じようなことを朝日の記者が書いていたようだ(詳しくは以下の記事を参照)。
ディーゼル機関車DD51 泰緬鉄道の地でテツたちを結ぶ
:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)
ノーンプラドゥック駅を出発した列車はマレー半島を南下する南線と別れ、大きく北へとカーブを描く。南線と分かれてすぐにバンポーン・マイ(Ban Pong Mai)という泰緬鉄道の操車場が存在したそうだが、車内からはその痕跡を見つけられない。1日に最大で500両もの貨車が入換作業をしていたともされるが、もう少し調べてみる必要がある。
青空に白い砕石がまぶしい線路をひた走ること約1時間、目的地のカンチャナブリーに到着。乗ってきた列車はナムトク行きなので、ここでお別れ。この先、クウェー川鉄橋やアルヒル桟道橋を通る。終点まで乗り通してみたかったが、今回は時間も限られているので次回にお預け。
駅前に出ると、すぐに「Hello! 」と声がかかる。
ピックアップトラックの荷台に座席をつけたソンテオだ。タイの地方部ではこれがタクシー代わりとなる。いつも通り、目的地を告げて値段交渉をし、鉄橋、カオプーン(Khaopoon)洞穴、鉄道博物館を回ってもらうことにする。
まずはクウェー川鉄橋へ。
日本製のC56型蒸気機関車が展示されている。小型で前進・後進がしやすいC56が日本から運ばれて活躍していた。現地での使用にあたっては連結器や軌間(車輪の間の幅)が改造されていたらしい。
鉄橋に近づくにつれてにぎやかな声が聞こえてくる。線路沿いには屋台が並び、Tシャツや帽子など様々なものが売られている。料理を提供している屋台もあり、香辛料の匂いが辺りに漂う。
橋の上では多くの観光客が笑顔で写真に納まっている。
正直、「死の鉄道」と称されているだけあって、沈痛な面持ちの人が多いかと考えていた。
が、クウェー川鉄橋は負の歴史を巡る“ダークツーリズム”の対象というよりも、線路の上を歩く写真が撮れる“インスタ映え”スポットとして人気を集めているようだ。想像していた戦跡としてのイメージが大きく変わる。
ちょうど昼時になったので、鉄橋近くの屋台へ向かう。
様々な料理があるが、ここでは“suki”を選ぶ。“suki”とは、日本語の“すき焼き”が語源となっているらしい。日本軍が食料として大量に牛を買い付け、野営地ですき焼きにしていたのが、現地人労働者を通じてタイ全土に広まったという説もある。初めて食べてみたが、タイ料理の中では珍しく、辛さは控え目で日本人にも馴染みやすい。
腹ごしらえが済んだところで、次の目的地であるカオプーン洞穴へと向かう。ここはWat Tham Khaopoonという寺院の敷地内にある洞穴で、戦中には日本軍が倉庫として利用していたらしい。
クウェー川鉄橋とはうって変わって観光客は一人もおらず、貸し切り状態。
入場券を買って、奥へと進んでいくと洞穴の入り口にたどり着く。垂直に切り立った岩の中に洞穴への入り口が開いている。
中は屈んで入らなければならないこともなく、立って歩き回ることができるくらいに広い。そして、なによりも赤、緑、青、ピンクと様々な色で照らされているのが強く印象に残る。
洞穴を出ると、寺院の奥にも道が続いている。「チョンカイの切通し」と呼ばれる場所へと続く道だ。泰緬鉄道の建設に当たっては工期の短さからトンネルが掘られず、こうした切り通しが多い。(ヘルファイア・パスが有名)
川岸まで下りてみる。何か家のようなものが川に浮いている。よく見ると、タグボートにけん引されたツアー船のようだ。
最後に鉄道博物館へと向かう。中に入ると、冷房が効いていて涼しい。欧米系のツアー客がガイドの案内に耳を傾けている。見たところ、アジア系の観光客は見当たらない。館内には実際の労働の様子を再現した人形や、捕虜収容所内の様子を再現した展示がある。また実際に捕虜が使っていた遺品も展示されている。今までとは異なり、賑やかな観光地という感じではない。
入場券にはコーヒー券も付いているので、喫茶室で一休み。壁面のステンドグラスには各国の言葉で"平和"と書かれている。窓の外には連合国軍兵士の墓。整然と並ぶ黒い墓石が日に映えている。
14時46分、カンチャナブリー駅を出る列車に乗る。
行きと同じ車両がナムトクから折り返してきたようだ。帰りの列車はほとんどのボックス席が埋まるくらいに混んでいる。
今から約80年前、多くの国の人々を巻き込んで建設された泰緬鉄道。
今回、行かなかったカンチャナブリーのJEATH博物館やナムトク、またミャンマー側もいつかはー
そんなことを考えながら、バンコクへと戻った。
※地名の日本語表記はアナウンスや会話等、実際に耳にした音を基に表記しているため、ガイドブックや他のサイト等とは異なる可能性があります。
「鉄オタ 国境を越える」は海外に行く機会があれば、今後も不定期で連載していきたいと思います。