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尾丸ポルカの定点カメラ配信が革命的な理由

オタクの夢の一つに「壁になりたい」というものがある。
これは、作品を味わう上で自分を物語の主人公やヒロインに仮託して楽しむのではなく、ただの観測者として、決して物語には関わらず、ただ、その世界に浸ってキャラクター達のやり取りを眺めていたい、という願望だ。
ホロライブで日夜賑わうMinecraftの配信においても、ホロメン同士の交流を眺めながら多くのリスナーがこの「壁になりたい」と願っていたことと思う。
しかし、この願望を叶えるのは難しい。
一見、「配信を見ている」という状態は実際に彼女たちのやり取りを「神の視点」で観測しているように思うが、実際は「一人のホロメンの視点」で物語を楽しまなければならない。
もちろん、自分が最も好きなホロメンの配信をその人物の視点で楽しむ、いわば物語の登場人物として関わっていくという楽しみ方も素晴らしいが、我々の根底にはやはり「壁になりたい」がある。
この我々オタクの悲願を驚くべき手法で叶えてしまったのが、尾丸ポルカの定点ライブカメラ配信だった。
彼女は「ただMinecraftの世界にアバターを置き、動かず、喋らず、ただその世界の様子を映す」という配信者としては前代未聞の配信を行ったのだ。
通常、「自分を魅せる」ことを至上命題とした配信者において、このような発想はなかなか出てこない。尾丸ポルカ自身が、恐らくこの「壁になりたい」という願望を持ち合わせており、まず「尾丸ポルカ」というキャラクターの影を極力排除する、という逆転の発想からスタートしたこの企画を、個人的には歴史に残るほど革命的なものだと感じた。
同時に、この配信が革命的なのは「逆転の発想」によって生まれたから、という理由だけではない。

この配信の大部分の時間は、ただのマイクラ世界の風景が映り、作業用BGM的なゆったりした音楽が流れているだけだ。
そこに、たまーにプレイしているホロメンの声が入り、通り過ぎていく。かと思えば、動かず喋らずの尾丸ポルカを面白がってちょっかいをかけてきたり、自分がゲットしたアイテムをこっそり自慢したり、仲良く何人かでキャッキャッしながら嵐のように過ぎ去っていったり……
まるで、自分が通学路の脇でひっそり微笑む小さいお地蔵様になったかのように、「壁」としてホロメンと同じ世界に「自分もいる」と思えることができる。この、圧倒的な「没入感」をもたらしてくれるのがこの配信の革命的な部分だろう。
恥ずかしながら、定点ライブカメラ配信で私は泣きそうになってしまった。それは、初めて恋焦がれていた自分の理想郷に少しだけ自分の手が届いた、と錯覚出来たからに他ならない。「同じ世界にいる」とは言っても、私は彼女たちと関わりたいわけではない。ましてや、話したり、何かを一緒に成し遂げたいのでは決してない。ただ、彼女たちが存在している世界に一緒にいたい。それを眺めていたい。本当にそれだけだったのだ。
だから、「壁になりたい」という思想を持っている人であれば、きっとこの配信は刺さりに刺さりまくる。なぜなら、尾丸ポルカは動かず、喋らない。それは「壁」だ。そして、これは「壁の視点」だ。ならば、それは「俺の視点」ということになる。
この配信を外ならぬ「自分の目で見ている」と強く思うことが出来るのだ。これが、とりもなおさず圧倒的な「没入感」を生んでいる要因だろう。

そして、もう一つ全く別の観点において革命的なのが、この配信の裏で「尾丸ポルカが別の作業をしている」という事実にある。
日々案件やレッスン等で忙しくなるホロメンの配信スケジュールの確保は、ホロライブが成長する限り付きまとう問題になってくるが、その一つの解答となるのが夏色まつりの「クリスマスリアル凸待ち」やアキロゼの「太巻きづくり」等、スタジオから個人の配信を行う形だった。

スタジオでやることによって、レッスンの合間やこれから収録のあるホロメンが参加しやすく、まさに「忙しい仕事の合間」を有効活用して少しでも配信時間の確保を実現する妙案だったと感じる。
一方で、尾丸ポルカはこの「配信時間の確保」問題においても「裏の作業時間をメイン」にしてしまうという逆転の発想で対応している。
そしてさらに言えば、「尾丸ポルカが裏で作業をしている」という事実は、同時に彼女のファンである「座員」へのフォローにもなっているのが特に素晴らしい。
彼女のファンであれば動かず、喋らずのポルカより、当然「活動しているポルカが見てえ!」となるところを、「裏で作業をしている」という事実を提示することによって、自然とフラストレーションがたまりにくい構図を作り出している。
ホロメンが気にするであろう「多忙による配信頻度の低下」について、鮮やかな手法で答えている点においても、彼女の配信は革命的だったと言えるだろう。

尾丸ポルカという人物を、私は「ホロメンへの理解度が高い」と評していたのだが、それは間違いで、「サブカルチャーを愛する人々への理解度が高い」が正しいのかもしれない。
そして、彼女のその独創的かつ合理的でおまけにワクワクしてしまうような「上質なエンターテイメント」という魔法で、晴れて壁になることが叶った我々は「そうそう、こういうのが見たかったんだよ」と呟きながら涙を流している。
訳の分からない幸せだ。

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