(裏方)保育士徒然闘病日記2話目
最初のうちは前での園での悪い点とか指摘して直すよう指導してくれた先輩が苦手だった。でも、その人たちは悪い人じゃなかった。なんなら、1番の天敵は「この園の園長と上の人達」なのだからだ。言っても現在働いている園では園長が変わっている。まぁ言えば問題は前の園長の話なのだよ、その問題が発生したのは保育士2年目の時だ。3月、辞令が出たのだ、1発で見ればわかる。検便キットが自分の引き出しの中に入っていたのだ。
「園長、これなんですか?」
聞いてはいけない事だったのかもしれない、いや、これが地獄の始まりだとは思わなかった。
「春谷先生、来年から1年間0歳児の担当をお願いします。」
この一言だったのだ。
4月、自分は0歳児を見ることとなってしまった、今更言うのは酷い事かもしれないけど「この子達にはなんの罪も無い、1つ言えることは中身まで腐った洗脳をされた自分と関わってしまった。」ということだけなのだ。
それからは毎日のようにプレッシャーと、業務の多さに目が回るような記録のやり取りなど、かなり負担が大きかった。
それと同時に、職員室に入っては聞こえる他の職員への批判、クラス担当になった時には「担任の代理なんてやれるの?」なんて周囲の職員になんてコソコソ言われたよ、言いたいならはっきりい言えばいいものを裏でコソコソ言う方が卑怯だとは思わないかね、遂に溜まりに溜まったストレスが1度は壊れた自分を殺めた。崩壊したのはここからだった、園長から2週間の休みを貰い、少し療養することにした。また地獄を見ることとなってしまう。今度は生きていくのに必要な給料が思いっきり減ってきたのだ。ここから3ヶ月から5ヶ月くらいは仕事に行くことすら難しくなってきたのだ。今でも忘れられない7月、再度、病院で発達検査をすることにしたのだ。結果は前回よりも酷いものとなってしまった。
付いた診断名は
「自閉症スペクトラムに伴う知的障害」
問題はここからだ。
園長との話し合いで起きてしまったのだ。
その診断書を提出した時だった。