定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第四十八回〉
サムネイル写真、飽きたのでちゃんとデザインしたものに変更した!
格好良い!これまでの分も全部変更した。
思い返せば訳のわからない写真を使い続けていた。前回までのサムネイルは、論文執筆時の写真。
論文でよみといた李箱による《破帖》というテキストについて考えたこと、感じたこと、つながったこと、繋げられることなどを網羅的に書いた模造紙四枚の写真。A4用紙に書くより自分の身体より大きな空間に描けば思考も自由になると思った。その判断は的中した。自己分析、自己研究の鬼であり天才なので的中すると思っていた!わはは〜
二〇二四年五月二五日
季節を四捨五入してもう六月。六月ということはあと三ヶ月と少しで帰国できる。何回も指折り数えてみたけれど、やはりあと三ヶ月で帰れる!本当は四ヶ月は滞在可能だが、一年前と同じ季節の匂いを嗅いでしまうと嫌なことばかり思い出して気がおかしくなるだろうから、一ヶ月早めに帰るんだ。それまで生きていられたらいいのになと祈るように毎日生きている。
同時に、三ヶ月しかないとも言える(全然思わないけど)。
なので今一度、資料の収集状況を整理することにした。
資料整理に使うファイルは全部で3冊。
まずはvol.1の状況確認をしてみた。
「紙資料あり・デジタル資料あり・書誌情報あり」
この三つの項目をすべてクリアしているのが好ましく、最低でも「紙資料とデジタル資料のどちらかを所持・書誌情報あり」の二項目を達成していることが条件。渡韓してから死に物狂いで資料収集した結果、何もない!という資料はvol.1ファイルには存在しなさそうだ。胸を撫で下ろす。ただ、金先生も私も収集できなかった資料はすでに一つ存在するので、とても満足はできない。
ただ心配になったのは、ソウル大学の新聞資料室で印刷した李箱の代表的テキスト《烏瞰図》についてだ。「紙資料あり・デジタル資料あり・書誌情報あり」で収集状況は申し分ないのだが、新聞資料室に所蔵されていたのは縮刷版だった。まあ、デジタルデータも縮刷版も影印版も、原本からサイズ変更されているか否かわからないことが多いので(あーまたこのパターンね)と思っていたのだが、そのサイズがどうしようもなく小さい。
このように字潰れがひどく、トレースも難しい。
デジタル版を確認してみる。めっちゃ画質良い!凄い仕事だありがとう!
しかし、この《烏瞰図》に限らずのことだが、原寸サイズを知ることができるか問題に次はぶち当たる。현담문고という団体に依頼しているのだが、その団体が所持していなければわからない。《烏瞰図》が掲載されていた「朝鮮中央日報」の所持状況についてまた質問してみることにしよう。
二〇二四年五月二六日
今日は10時半に起きて買い物。帰って少し寝てから作業をした。
《烏瞰図》の詩第十五号のデジタルデータがあるはずなのに、確認作業をしてみて、「ない、保存していない」と判明した。慌てて資料を探し出し、パソコンに保存。
そして현담문고に、「原本接触できたいくつかの本は作業しなくて良い」「作業進捗の催促」という旨のメールを送る。
映画を観る。ご飯を食べる。ここ最近は映画を一日2本くらい観る生活を送っている。調子良い(ある意味で悪い)ときは一日3本映画観ていて、自分でも怖くなるし嫌になるくらいだ。何故こんなことになっているのか。それはおそらく、人とのコミュニケーションが少ないからだろう。人と話すことで考えていた脳のフォルダがすっぽり空いてるうえに、その分の物語を補完しようと、映画を観て、脳の空いた場所に物語を補充することになる。3本観ても、ただテキトーに消費している感じはあまりない (大してカメラワークが良くない映画は作業しながらみることもあるが)のはそういうことか。人と話す時間が少なくなって空いた容量と寂しさを、映画の本数によって一生懸命埋めようとしているらしい。今年はそれでいいかもね、もうこのまま年間170本観るスピードでいこうと思っている。
作業さえ進めていれば怒られることはない。
映画が終わり、作業再開。キム先生の注釈批判作業中。
途中から友達の悩んでいるような連絡が来て、たのしい会話がはじまったので、あまり進まず。明日は五日ぶりの仕事。きっと疲れているだろうから、明日もあまり進まないだろう。
ところで、なにやら日記が出てきた。noteに掲載済みのテキストだろうか。もうわからない。一回載せてみよう。
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風邪をひいていた。
作業しなければいけないとわかっているのに、喉には棘のある植物がずっと寄生して呼吸するたびにそよそよと動いている感覚があって気持ち悪い、下宿の廊下の匂い、自分の部屋の匂い、隣の部屋のご飯の匂いや服の匂いなども直接脳に届いて痛みにつながる、腰も反対方向に曲げたら折れそう、自分がパスタの、あの細い一本になった気分。そんなだから精神衛生状態も良くはない。
作業をしなければならないとわかっていたけど、とてもできない。できても集中できる状態ではない。なので、寝るか映画を観るかの日が続いた。一番酷い日は、喉の植物が気持ち悪くて呼吸が余計に早くなったり、胃液を吐くためにトイレに行ったり、冷や汗、悪寒が止まらなくて、症状に疲れて寝落ちした。次の日は、完治を目指して何もしないようにした。結局、映画を3本みた。そのうち、「牯嶺街少年殺人事件」を観ようと思ったけどどこでも配信されていなかった。7時間くらい映画をぶっ続けで観るくらいには、自分の内側から外へアウトプットするのが苦痛だった。
今は70%くらい治ったので、こうして日誌を書こうとしている。
そういえば、《異常ナ可逆反應》のテキストデータをまた編集していた。一段階目では、韓国国立中央図書館に所蔵されている、『朝鮮と建築』の影印版の計測データをもとにテキストを配置してきた。二段階目では、一段階目で使用していたフォントをやめて、テキストごとにフォントを自作することを決断したので、フォントの置き換え作業を行った。その置き換え作業により少しだけデータに寸法のズレが生じたのでまた微調整をした。そして今は三段階目。もっと簡単にできる方法を思いついた。韓国国立図書館所蔵のデジタルコレクションにて『朝鮮と建築』も確認できる。著作権が消滅した書籍や雑誌は家でも閲覧・保存が可能なのだ。そのデジタルデータを下地に置いて、上から薄く透けたデータを作成し、配置していくのだ。以下のように。
・キム先生にはスキャンすればいいじゃんという意見を頂いた
・だが、私は「特に詩に分類されるテキストにおいては、テキストデータ制作にある程度の苦労を要する義務がある」と感じる。
・この意地はなんだろう
・計測作業が一番つらかった気がする葡萄
二〇二四年五月二七日
今日はバイト。今日は掃除のおばちゃんと仲良くできました。
眠くて作業する気にならない。とりあえず、注釈批判点をざっと日本語で書き出しておいたやつ、韓国語に訳すまでが今日のミッション。今週は四日も働かないといけない。泣きそう無理帰りたい。金曜日はキム先生に会いに行くから帰国している場合ではないのだけど。
あー、京都日吉の近くにある山のパン屋さん、でっかい無印、大原をドライブ、行きたいなー。生きて帰れたらいいなあ。
二〇二四年五月二八日
最近のバイト中。左目に装着したコンタクトレンズだけをとることが多い。私のコンタクト事情は少し変で、右目はソフトレンズ、左目はハードレンズなのだ。このハードレンズはたまに「角膜を削り取っているんじゃないかという程のダメージ」を喰らうときがある。だいたい三日に一回ほど。ハードレンズに傷があるか、レンズ自体の寿命らしい。こうして右目の視力だけで半日働く時がある。
私がハードコンタクトをつけるようになったのは大学二年の冬頃から。とあるプロジェクトの本番直前のことだった。内容は企業が所有する絵画展にて小学生と話しながら絵を鑑賞するという美術教育プログラム。私たちはその進行を任されていた。プログラムが始まり、何日かたって気がついた。
「あれ?人の顔、表情、作品が全部二重に見える」
「特に、暗いところにいると皆のっぺらぼうだな」
会場内は比較的暗い照明が配置されており、明るい場所なんてほとんどない。それなのに作品も表情も見えない。作品はウロウロして近づけばいいけど、小学生は40人くらいいて、わざわざ近づける状況じゃない。表情が見えないと、相手の非言語を拾って会話することができないため、かなり表層的なやり取りで終わってしまうことも考えられるし、何よりのっぺらぼうと話すのはまずい。とりあえず、明日は自分が進行役だからその前に眼科に行って、レンズを変えてもらって臨もう。そう思った。レンズが合ってないからこうなっている。そうに違いない。
翌日、朝一番眼科に行って、午後一番のプログラムに間に合うようにした。しかし私はそれ以降、プログラムの進行をすることはなかった。
「すぐに精密検査を受けに行ってください」と、主治医に言われた。こいつ、いつも私が質問すると怪訝な顔をして、雑な説明を手短に済ませて、コンタクト長時間つけるなとキレてくるだけのくせに今日はやけに言葉が少ないし、冷静だ。精密検査なんかしてしまうと、プログラムに間に合わない。けれど、この医者はちょっと焦っている様子。今、もし視力を失うようなことがあったら困るし、このまま行っても半分視力を失っているようなものか〜と頭の後ろで手を組み、メンバーに謝罪と欠席の旨を連絡した。ビビってズル休みしたと思われても困るので、レンズ買うための軽い検査のつもりだったのに精密検査に行くことになってしまったことも伝えた。
精密検査の結果、円錐角膜という病気が見つかった。角膜が円錐状に尖り、乱視がひどくなるらしい。効果的な治療法や詳しい原因はまだわかっておらず、高級な手術をするか、ハードレンズで角膜を押さえ付けるという力任せの治療法しかない。貧乏なので当然、力任せ治療行きになった。精密検査の後、ハードレンズを作る検査に移行。ハードレンズが完成するまで1週間くらいかかるそうなので、その間のプログラムは、乱視で使い物にならない左目を完全に眼帯で覆って参加することになった。眼帯なんて大袈裟なのだが、(参加できないよ!私!)という雰囲気演出、そして左目を隠していた方が酔わずに1日過ごせるという理由からプログラム最終日まで眼帯をつけ続けた。ハードレンズをつけ始めたのが、2020年。もう4年このレンズを使っていることになるらしい。寿命が来たんだろう。
そして2024年5月。3日に一回はとらないと角膜が削られるようなレンズに成長。レンズをしても視力1.0はないから、一緒に掃除しているおばちゃんの方が視力が良い(手術済みらしい)。
私は、ここで働き始めてからなん度も「髪の毛がいっぱい落ちてた、気をつけて」と注意されている。社長やそのおばちゃんから。腹立たしいのは、2、3本落ちていただけでも「いっぱい」というのだ。一日中、カロリーも高く多い仕事量をやって、全部確認して、すべての場所に「髪の毛ゼロ」は難しい。髪の毛は掃除してもしても出てくるからだ。「かみのけ、よく確認して、掃除して」と言われているけど、私は膝ついて髪の毛を探すのを本掃除、確認作業にて2回行っている。それでも注意される。腹立つマジで腹立つ。そもそも私は、人から指示、注意されて自分のペースを乱されると苛立つという性格で、苛立って解消ならまだしも、その反動でかなりの精神的ダメージを受けるストレス耐性ゼロ人間だ。その注意の仕方が、理解しやすく、具体的かつ論理的なら一発で聞き入れるが、そうでない場合、「はい、わかりました」と言ったあと、誰もいない部屋でスリッパを床に叩きつけるというめちゃヤバい人間性なのだ。Twitterで「嫌な人間」の一項目に入っている人間性。腹立つ奴が少し離れるとこれ以上何やりゃいいんだよ、どこ見て歩きゃ褒めてくれんだよァ!と力強く呟いて、寝台にスリッパをパアン!とたたきつける人間性。
帰り道、最寄駅でボロボロ泣いてしまった。多分、この世の中の人間のほとんどは「髪の毛をきれいに取り除く」くらいのミッションはやってのけるだろう。私もそうだと思っていたけど、できなかった。見えない。見えないし、見えても不注意の多い人間だから無理かもしれない。清掃が天職だと思ったけど100点は出せない。だいたい社長もおばちゃんも、100点出せないくせに自分は確認者だから注意を受ける心配もない。ムカつくムカつくなんで私だけ100点を出さないといけないんだ。殺す!!!!!!!という気持ちと、(おまえは本当に何も出来ないな、働けないよな。こんな確認作業もできないなら全集なんてもってのほかじゃない?やめちまえば?見えねんだろ?じゃあ無理だろやめろよ死ねよバカカス勘違い野郎が)という声が耳元に聞こえてくる。そして、うううう〜としか言えない生物になる。かろうじて帰宅して、かろうじて”洗顔までして”ベッドに寝込んだ。
字を読んで情報を頭に入れて、考えることがつらい。何もできない。何かしたらその「できなさ」に打ちのめされて余計屍になる。寝よう。寝込むしかない。体も動かない。でも映画は流しておこう。他人の物語が流れているだけでちょっと楽だ。私は研究しに韓国にきたのに、みんな出来るようなことが出来ずに、寝込んで、作業をすすめられてもいない。何しにきたんだ。目が見えない、不注意。私が出来る仕事ってあるのか、それが全集編纂作業だといいけど、そうじゃないかもしれない。いつか取り返しもつかないミスをして、誰からの信用も失って、テキストからも閉じられた存在になるかもしれない。テキストがそれ自身を読ませてくれなくなるかもしれない。そしたらわたしは、どこにいけばいいんだろう。これからの人生、それしか用意してなかった。どうしよう。今まで、どのようにして自分を奮い立たせていたか思い出せない。
二〇二四年五月二九日
とりあえずよく眠っておいた。午後からは「フュリオサ」を観に行かねばならない。この予定は動かせない。入場特典をゲットしなくてはならないからだ。全然立ち直ってないまま、しょぼくれたまま、眼鏡とボサボサの髪のまま、羽織ったシャツがずり落ちたまま、映画館の最寄り駅を一つ乗り過ごしてしまい、無駄に運動した。ベッドに横たわった自分から、動けそうな細胞を抽出して体をつくって外出した。だが、この日誌を読んでくれる物好きで有難い人たちへ。Witness me.
帰ってからはあまり記憶なし。だが、今週金曜日はキム先生に会いに、東大邱にいかねばならない。キム先生の著作「定本李箱文学全集」に掲載されている、日本語原文の韓国語訳テキストをチェック&批判せねば話すことがない。キム先生とは私がメールで超冷静に激昂してから初めて会う。だが緊張はない。どうでもいい。作業の話ができればいい。向こうから何か話があるまでは別に掘り返したりしない、ただの過去。それより土曜日からの四連勤が嫌だ。
日本語原文の韓国語訳テキストをチェックの内容は、韓国語におかしいところはないか、より良い翻訳ができないかを主にチェックするものだ。しかしそれよりも、ダーシがない、句読点が抜けているなどの脱字の割合の方が高いから、これでいいのか?もっとできることないかな?の気持ちで進めているのが正直な気持ちだ。
『朝鮮と建築』に掲載された《破片ノ景色——》に”すりつぱー”という語がある。だがキム先生の定本全集では”슬립퍼어(発音:すりっぽお)”となっている。音の際が問題ではない。”ー”、この長音記号が再現されていないのだ。確か韓国の近代小説を読んだ時に”ー”という概念は存在しており、「音を伸ばすのだ」ということは読者に過剰な説明なしに共有可能だと私は思っていた。しかし再現されていない。これはなぜか。現代では使用されないから消したのだろうか。では1931年の日本では、”すりつぱ”が常用されていたのか?それとも”すりつぱー”?でも現時点ではわからない。というか金曜日までに調べることはできない。ただ一つわかるのは、”すりつぱー”は英語の「slipper」を日本語表記しただけの性質が強く、その後が《破片ノ景色——》で描かれているということだ。面倒だな。1931年、「スリッパ」というモノがどう表記されていたのか調べる必要が出てきている。面倒極まりない。未来の自分に託そう。ごめん、がんばって。
二〇二四年五月三十日
翻訳家・村田理子さんの日記方式を参考にして、1週間の出来事を淡々と記録していくこのやり方。たのしいかもしれない。この方式にしてから、もう三回目?になるだろうか。7日×3週=21日。もう一ヶ月ほど継続できた。これは習慣化されたと言える。
今日は改めて、今後の作業を整理する日にしてみよう。
そして今後の予定計画表が以下の通り〜
予定通り進められるよう、自我をコントロールしながらやっていこう。
明日はキム先生に会う予定。何を話すのかまったく決めていないが、おそらく私が行った注釈批判の話になるだろうか。
今日はよく作業を進めたと思う。ただし、京都の自室に帰ればもっと作業が進むような気がする。帰ったら模様替えしたいな。帰りたい。去年10月から息をするように思い続けている。
二〇二四年、五月、三一日更新