定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第二十九回〉
昨日涙が止まらない状態で家路について、寝込んでいたのに今日も図書館にいる!図書館に来ると頭が動いて、作業ができて涙も止まる。精神的におかしいのは分かってるけど、だからと言ってやめる方がおかしいので、ペースを考えながらやっていこう。健康が一番。
この定本作業日誌は基本的にどんよりした空気で、もうちょっと明るいことも書きたいなあとか、あまり正直にどんよりさを書き出しても自己憐憫に浸るなと叱られそうだなと思うが、本当にそうだったことをそう書いて何が悪いんだ?という結論に至った。
こうして私の内面はいつも誰かと誰かが喧嘩している。
今日は、昨日の定本作業日誌に書いた通り『朝鮮と建築』
の定本作業が終わった。
昨日二日は問題なく閲覧できていたのに、今日駅のホームで国立中央図書館のH Pから資料閲覧申請を行うと「製本中」の文字が出てきた。影印版22巻と18巻を借りようと思っていた。これでは1933年11月、12月巻頭言が完成しない。今日やってしまわないと、日数が経ってしまい、何をしていたか、どういうリズム感でやっていたか、何もかも忘れてしまい、挙げ句の果てに不安症状に駆られて再計測を決断してしまう。そうなってはいけないと思い、申請は「鳥瞰図」「三次角設計図」などが掲載されている製本作業をおえた18巻だけ閲覧申請して、1933年の分(22巻)は司書さんに懇願することにした。
図書館に到着して相談室に入る。「昨日までは閲覧できていて、でも今日「製本中」って表示されたんですよ。どうしてもその巻を使ってやらないといけないことがあるので、申し訳ないですが今日1日だけでも製本作業をせずに貸してもらえないでしょうか」とお願いした。席まで知らせに行くとのことで、相談室を出て待った。すると
「閲覧できます。携帯電話でまた申請してくだされば結構です。よろしくお願いします」
との返事があった。〈製本中は交渉可能〉ってことか、と学んだ。
『朝鮮と建築』自体は1930年代の古い資料だが、影印版が印刷されたのは1997年9月20日なのでそこまで年月は経っていない。しかし国立図書館にある影印版(図書出版民族文化より1997年9月30日出版)は巻によっては糊付けが甘いのか、頁をめくっただけで糊が剥がれるケースが何回かあった。しかしそれを申し出たら製本中になり、作業が遅れるので作業が終わったら申し出ようと思っていた。なので、返却の際は落ちそうな頁も綺麗に整えて返却していたのだが、これはどうも意味がない努力だったらしい。正直に「破損部分があるけど明日も使うからまだ製本にしないでほしい」と依頼する方がいいのかもしれない。勉強になった。やっぱりズルはいけないね。
完成するとこんな仕上がりになる。
データ管理もしているが、こうして書誌情報を手書きで書くことで計測作業を区切ることができるので大事にしている。
水色の大きい付箋に赤字で書いてあるメモは、現在の作業進捗だ。
「1933年『朝鮮と建築』の原本がまだ見つけられていないため。ひとまず影印版の比率をもとにデータ作成した」という旨が書かれている。資料整理も大事だという話は何処かでもしたが、申し送りも資料整理の一環でかなり重要だ。作業進捗を探るところから作業スタートするより、申し送りを書く手間を選択し、次回の作業へスムーズに導入する方が良い。1933年巻頭言にはこうした申し送りが全て書かれている。
1933年11月号にはフォント情報も明記しておいた。巻頭言も他のテキストも活版印刷で使われていた明朝体が基本となっているが、たまにこうしてゴシック体も印字されているのでその場合は申し送りを書く。以前、(あれ?このフォントはいつもと違う…)と手が止まり、イラレのデータを探し、フォントを確認したことがあった。その面倒な過程は2度としたくないので即刻改善。
今から「鳥瞰図」のテキストデータ作成をしなければならないが、眼も身体も疲れてしまって気が向かないので定本作業日誌を執筆している。逃げてもついてくるので、作業に戻ります。
二〇二四年一月三日、執筆、更新。