定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第二十四回〉
その日は思ったより早く来た。
今日も今日とて国立中央図書館に向かう。昨日の夜中、東京から必要な資料データが送られてきたことにより、私は今日大幅に作業を進められる状態になった。頑張りどきだ。乗り換えの教大駅で、ヘッドホンをしている私の肩を叩いて「この電車、カンナムに行くやつでしょ?」と聞かれた。ヘッドホンをしている人に話しかけようと思うのって、なかなかの強心臓である。そして私が答えようとすると隣の列にいたおじさんが「逆だよ逆」と答えた。韓国の中高年のやりとりは面白い。瑞草駅に着いて決めた。
パンを、買う!!!
以前書いた、たった1000ウォンで買えるパンを売っているパン屋が瑞草駅にある。2000ウォンのパンも、5000ウォンのパンもあるが、高いので1000ウォンのパンを買おうと思った。私の下宿先では、家賃を払うと確か4000ウォンほどの洗濯費用がもらえる。私は全然洗濯が嫌いなので、あまり洗濯しない。長野県で一人暮らししていた時も週一回洗濯すれば偉い方、韓国の下宿先では洗濯するとおびただしい数の毛玉が生まれるのでもっと洗濯しなくなった。してもシャワーを浴びる時にしてしまう。そのため、4000ウォンの小袋が三つほど貯まっていた。今日は洗濯費用からパンを買ってみることにした。頑張らないといけない日だから、許されるかなーと思って改札を出て、小袋を握りしめてパンの匂いがする方へ歩み寄った。
1000ウォンのパンは甘いパンがほとんど。あんパンとかそういうのばかり。けれど、ウインナーパンがあったので迷わずそれを選んだ。お金を小袋から出すのに苦労していると「私がやりましょうか?」と店員さんが声をかけてくれる。バイトで悪口を言われたり、理不尽な怒られ方ばかりしていたから、こういう会話に涙が出そうになる。人間として接してくれる人をみると、ありがたいな〜と思うからか。
1000ウォンのパンは、受け取ってみるとペラペラで冷え切っていた。エスカレーターで地上へ向かいながらパンを見つめていた。このパンより温かくて、大きくて、腹も満たせて、目も幸せになるパンは多分このソウル市内に腐るほどあるんだろう。行ってみたいし、食べてみたい。けれど、今はこのウインナーパンがおいしそうだ。今日は頑張って作業を進める日だから、1000ウォン使っても大丈夫だよね。と思いながら、地上に着くと同時にパンを口にはこぶ。普通の味だ。ケチャップと油の味が混ざって、小さく、薄く切られたウインナーの味が咀嚼し終わる頃にふっと横切るだけ。ウインナーパンと聞いて思い浮かべる味の平均的な味。スーパーのパン屋さんで売られているあの味。しかもペラペラでボリュームがない。たまにコーンの味もするなあ。でも図書館まで歩きながらパンを頬張っているとき、今日も頑張ろうと思った。こんな薄いパンでエネルギーにはならないとわかっていたけど、このパンの美味しさは、貧乏人の束の間の贅沢や、店員さんが普通に話しかけてくれた嬉しさも、いつも横目に通り過ぎていた”あのパン”という憧憬も混じっているから、頑張らないわけにはいかない。にこにこしながらパンを食べた。私が笑っているとおばあちゃんもきっと嬉しいだろう。おばあちゃんのためにも、たまにはこういう日を作っておこう。
今日は李箱が雑誌『朝鮮と建築』に寄せた1932年6月、7月、8月、9月、10月分の巻頭言のテキストデータ作成が終わった。最終確認はまだできていないけど、作成までは終わらせることができた。
今日は5つもテキストデータを作成できた…!10月分の巻頭言に関しては、完全にゼロからの計測スタートだったが、テキストデータ作成を最後まで進めることができた。頑張った、と言っていいかもしれない。帰るときも、ちょっと笑顔で帰ることができた。そういえば、理不尽に怒られまくったバイトはやめた。賄いがおいしくて余ったら持ち帰れるのは長所だったが、賄いの美味しさは私の精神を救ってはくれなかった。社長はいつでも戻ってきていいよと言ってくれたし、私も馬鹿なのでその言葉に揺らいだが、甘い言葉は臭い言葉だ。知ってるぞ。2度と戻らない。
18時閉館の30分前に5つのテキストデータを仕上げて、いつものように本を返却しに向かう。しかし今日は、いつもより早く作業を終えたので相談室に行くことにした。ハングルは全部読めるし、書誌情報も全部意味理解はできるのに、どうしてもわからない箇所あった。そもそも読めないのだ。該当箇所が次の写真だ。
司書の方に聞けばすぐわかるっしょ、と思っていたら司書の方も回答に時間がかかり、スマホで撮影して拡大したり、他の司書さんに質問しに行ったり、なかなか回答に苦労があった。
一つ目の疑問は「영인지(影印地)」なのか「영인자(影印者)」なのか「영인차」なのか、という問題だ。一目見てもわかるとおり、フォントが少しわかりにくい形をしていて、文字の判別が難しい。私は「영인지(影印地)」だと思っており、司書さんもそうだと思うと意見してくださった。
二つ目は影印者の名前だ。これが少し大変だった。影印者とは多分、この本の印刷を担当した責任者か何かだと予想される。その人の名前が「김용회」なのか「김용화」なのか、影印者の名前が正確にわからなかった。司書さんはなぜここまで書誌情報を正確に知りたいのか不思議そうだった。デジタル資料を見ても、デジタル化されているのは『朝鮮と建築』の原典であって、影印版ではない。よって、私が気になっている情報が掲載されていない。ソウル大建築学科にあった同じ本にも、この情報はなぜか確認することができなかった。
相談室にいた司書さんが、他の司書さんに聞いたところ「김용화」だという。えーでも「ㅏ」に見えないなと思って、「もう少し正確に知るための他の情報はありますかね?」と質問してみた。失礼で図々しい奴だ。司書さんと「うーん」と言いながら書誌情報を見つめていた。すると司書さんがあることに気がついた。
「ここみてください。「전화」ってあるでしょ。これも本当は「ㅏ」だけど「l」みたいに見えるでしょう。だから多分、「김용화」ですよこれ」
と言われた。「ㅏ」だけど「l」みたいに見えるならどっちの可能性もあるやんと思ったが、一つ質問してみた。
「韓国では、「김용회」という名前はどんな感じですか?変な感じがします?」
「ええ、しますよ、変でしょうちょっと。なので、「김용화」だと思います」
なるほど。それなら一旦これで納得して持ち帰ってみよう。司書さんが書誌情報の写真を撮影させてくれて、後日また他に確実な情報を探し、同じ本で書誌情報が確認できるものがどこかにないか調べてメールしてみますと言ってくださった。ありがたい。
ところで、原典がどこにあるか、何がどう書かれているか、だけでなく影印版の書誌情報にさえ読解困難な部分があるのか?これから先も?本当に?
二〇二三年、一二月、一三日執筆、更新。