定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第二十三回〉
少し前のことだが、今回は12月2日について記録していこう。
前の日は原因不明の凄まじい疲労で、昼の11時半まで眠りこけた。それから一週間の作り置きだけ料理して、慌てて雑な化粧をし、部屋を飛び出した。今日は李箱文学会の研究発表会に参席する。いつもは化粧しないけどたまに雑化粧をして出かける。
開催場所は李箱が幼少期に過ごしたという生家。14時から開催で、13時50分に到着した。以前行ったあの場所だ。
会場に着くと、李箱の家に観光に来た人は入る隙間がないくらいの人が集まっていた。と言っても20人くらいだが、狭い李箱の生家に20人も入っているのだから大盛況だ。
突然20000ウォンの参加費出費があり痛手を負ったが、謎の甘そうな餅とみかんと水をもらった。貧乏人には結局、食べ物が一番嬉しい。前日まで漠然と馬鹿みたいに緊張していたが、遅刻ギリギリで景福宮の街を息せき切って駆け回ったので緊張は流れていった。
何だか教授らしき人ばかりいるのがわかる。名札をみても誰一人ピンとこず、自分の不勉強を再認して苦しい。ひしめきあうように並ぶ椅子の間をいき、端の席に座る。論文の冊子も貰えた。韓国語が聞き取れなくても家でゆっくり読めるから安心だ。韓国では、図書館でもこういった研究の場でも「선생님(先生)」と呼ぶので、私はいよいよ最後まで誰が学生で誰が先生かわかることはなかった。
発表は全部で三組。それぞれ発表時間と質疑応答時間を含めて1時間与えられている。
一人目の発表者は、李箱のテキストにおける詩とリズムの関係性について考察した論文。今回は特に、「反復される語」に着目し、研究を進めている。
私にとっては、一番興味関心が強い分野だ。李箱のテキストでは韻を重要視している箇所もあり、反復が執拗に選択されている箇所もあり、わざと日本語で書き、韓国語と明らかに使い分けている箇所もあるので、この先生の問題意識は私も聞いてみたいと思っていた。
しかしほとんどと言って良いほど聞き取れなかった。私の韓国語能力が低いのはもちろんあるが、人が多いと本当に何も集中できない。誰かが私をみているんじゃないかとか、足の位置ここで良いのかな?とか、服が擦れてしまった音すごい大きくなかった?などと頭の中で絶えず心配事が現れて、もう聞き取りどころではなく大変だった。
二人目、三人目の発表者の時もこの先生の原稿を読まないと次に進めない時間があった。申し訳ないが、もうどうしようもない。でも読むことも集中できず、視線が文字の上をひたすら滑るだけだった。
緊張している中、勇気を振り絞って質問する気でここまで来たが、内容が満足に聞き取れていない以上それはできなかった。その代わり、全ての発表が終わったら質問しに行き、そのついでに名刺を渡し、自分が何者か説明する計画を立てていた。その計画が頭に浮かんだだけでも、また集中できない要素になってしまう。
ああ、何もできてない、何もできないまま終わっていく〜〜と思っていた。すると一人目の発表者の時、私の真後ろから面白そうな質問が投げかけられた。
質問の内容はうろ覚えだが、「声に出して文章を読み上げる時のリズム、黙読する時のリズム、これらは違うものだと思いますがその違いについてはどう考えておられますか?」というような内容だったと思う。話し方も、発表者の関心を受け止めてから自分の疑問をそっと一言ずつ置いていくような物腰の柔らかい感じがした。
その人の質問が面白かったので、名刺だなんだと考えるのはやめて、正確に理解できているか確かめようと思ってまずその人に話しかけてみることにした。
発表が全て終わる。「会食に行かれる方〜」という声が聞こえて、皆身支度を始めたり、椅子を片付け始めたりしている。私は緊張と興奮で頭真っ白の状態。休憩が2回あったけど、そのタイミングでは話しかけることができなかった。でも逃したら帰り道に自己嫌悪で自分の気持ちがとんでもなく暴れるのはわかっていたので、天から足裏で自分を踏み潰して勇気をむにゅっと絞り出してみる。
「すみません。さっき質問されていた先生ですよね?ちょっと、私外国人でちゃんと理解できたかわからなくて、内容をもう一度‥」
と言い始めたあたりで全てを理解してくださったらしく、説明がはじまった。それにより、上記のような質問を理解することができた。その先生は国民大学で教鞭をとる先生らしく、この学会でも少し有名な方らしい。私は存じ上げなかったが、学科に所属する方からは広く慕われているような印象を受けた。外国人で、初めて学会に参席した私にも親切にしてくださった。質問した流れで、少し雑談をすると会食に誘われた。会食は流石にストレスを受けすぎるかと思って、一回断ったが、断りが甘くて会食まで行くことになってしまった。もう発表会が終わったということで、発表者の方に質問するのは会食の席しかないらしい、行くしかなくなってしまった。
李箱の家のほぼ目の前にある中華料理屋さんで会食が始まった。お金がないのに、何やら高そうな店だ。私は人と向き合ってご飯を食べることがあまり得意ではないので、着席して、自分のことを聞かれている時も、人の話を聞いている時も、ずっとどのようにして居たらいいのかわからなくてモゾモゾ動いていた。
エビを甘く和えたものや、揚げ鶏を甘く和えたものなど色々出てきたけど、何の料理だったのか、どんな味だったのか、何も覚えていない。やたらと口周りが汚れる料理だったので口を拭いて汚れたナプキンを畳んで、新しく出してはまた畳んでずっと握りしめていた。会食では名刺を渡すことはできたものの、ガチ質問タイムという雰囲気ではなく、皆さん楽しくお話ししましょう〜!という感じの雰囲気だったので先生が私にメールを送るので、私はその返信メールで質問するといい、その話は一旦終了した。
2023年12月11日現在、まだ先生からメールは来ていない。つまりそういうことだったのだ。喜んでバカみたいだった。先生たちは論文だけでなく、授業や学生の相手もしなければいけなくて、お忙しいのだ。はあ、私は誰かに期待することを年々辞めていく努力をしているのに未だにこうして誰かから何かを与えられる瞬間を待つことがある。人にも、資料探しにも期待は禁物。わかってはいる。
会食は、人の話を聞いているだけで終わったのでそんなにストレスはなかった。その話も面白く、私が実家の四畳半ほどの自室で悶えながら李箱のテキストと一人きりで対峙している間にも、世の中にはこうして李箱のテキストを研究して、意見を交換し、さらに研究を前に進めようと奮闘している集団があったんだなあと思った。色んな視座からテキストを読んでもらえて、李箱は幸せ者だな、幸せだなと思うかな、それとも異常ですよあなたたちって思うのだろうか。
しかひ二次会が 発生。え、絶対帰るぞと思ったけど、「韓国語で二次会を断る時ってどうやって伝えたら失礼じゃないのかな」と考えている間に、タイミングを失い、信号が変わるのを待ち、二次会の店で着席していた。なんて意志薄弱。
そこで、さっきの国民大学の先生の前に座ることができた。これはラッキーだとおもって、私が「できるだけ原典のサイズを再現した全集を作ろうとしている」ことも話した。興味を持って聞いてくださったが、原典調査の難しさを話しているうちに「そりゃあそうだよ、難しい。韓国の教授でも難しいよ。…うん、難しい」と意見をくださった。まあ、そうだろうなと思った。韓国の教授に言われると流石に堪えるが、どうやら私の中では全集編纂を放棄する理由にはならないらしかった。教授が、私のことを誰かに紹介してくださるたびに、私が作りたい全集に関する話もしてくださる。皆、「へーすごいね」「ええ、難しそう」という感じの反応だった。「なんでそんなもの作りたいの?」「何でそんなものが必要なの?」というところまで質問してくれる人はいなかった。新参者のくせにこうして人を試したり、ふるいにかけたりする癖の悪さは抜けない。しかし同じチャンネルを持つ人を見つけるのは、学会でも難しいんだなと確認。大きな収穫。「難しいでしょ、できないよ」と言われるより、研究や全集に対して通りすがりの人から「へーすごいなあ」と言われる方が胸がズキズキする。二次会は思ったより早く終わった。先生が会計してくださったらしく、一食分助かった、本当にありがたい。
発表会に来て質問をした。名刺を渡した。全集のことも話した。私のことを知ってもらえた。ご飯も奢ってもらえた。李箱の研究者たちの話を聞けた。研究者がどんなことを考えているか少し聞けた。論文も読めた。脆いかもしれないが繋がりもできた。良い日だった。帰り道、私にキャラメルフラペチーノを奢ってくれた先生にも「今日は、李箱のテキスト研究をする先生と話せてとても勉強になりました。良い日でした」、そう言葉にもした。
けれど私の皮膚の裏っ側には、実家のあの四畳半ほどの部屋、寝ても覚めても李箱のテキストと読みといたことを書き留めた文字が部屋のあちこちに貼られたあの空間が、一枚の膜になって張り付いている気がする。こんなに良い日だったのに、思い出すのは一人きりでテキストに対峙して身も心もボロボロになっていった日々のことばかり。嘘でも楽しい日々だったとは言えない。自分よりも圧倒的に知識も研究経験も豊富な人たちを前にして、学ぶべきことはたくさんあるはずなのに、あの時、あの部屋にいた私なら今の私を見てどう思うだろう、あの時のテキストは今の私をどう見るだろう。私は、テキストとテキストのコピーとテキストについて考えたことが散りばめられて交錯した空間から一生出られない気がする。私が一番好きな漫画は松本大洋の『ピンポン』にこんな台詞がある。「あの頃に、戻りたいとは思わない。でも、今でも思い出すんだ。」私はずっとそんな感じだ。
結局は、テキストをどんな視座からどう読み解くかとか、全部どうでもよいのかもしれない。学会に所属する先生からすれば私は、学会に所属する資格もないかもしれない。テキストという物質が、文字が、行間が、空白が気になる。テキストに作家が介入しえなかった部分が気になる。テキストが、読者をどうみていていたのか気になる。
「テキストが、読者をどうみていていたのか気になる」なんて、は?と笑う人には、多分、私が書いていることは何も伝わらないと思う。何か引っかかってくれる人には何か伝わるかもしれない。テキストはただそこにあるだけだが、同時にみてもいる。私もこれ以上はなんていえば良いのかわからない。
別に輝かしい過去でも何でもない、ただテキストをじっと見つめていただけの日々が、ここまで自分の中に棲みついて私を覗いてくる存在になるとは思わなかった。真剣なら、そりゃ痛いか。
二〇二三年、一二月、一一日執筆、更新。