定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第四十五回〉
二〇二四年五月七日 作業日誌
バイトがないので自宅作業。最近は、自宅でできる作業ばかりなので、図書館に行っていない。作業環境を変えたいので図書館には行きたいと思っているが、駅から10分歩かなければならないのと、図書館までの道のりで計測作業をしていた時の嫌な記憶が蘇ってつらいのでなかなかその気になれない。あと過眠が酷くてなかなか起きられない。
起きて、映画を見に行く。映画を見る前の3時間くらいをカフェでの作業時間にあてた。お金がかかっていると思うと背筋が伸びてスリリング。
今は、「定本 李箱文学全集」の註解者であるキム先生に頼まれたことをやっている。私の出版したい全集では「定本 李箱文学全集」の注釈批判をする過程がある。また、キム先生もまた改訂版を検討しているらしい。どちらの出版が早くなるかわからない。が、先生に「改訂版ではさらに”原文日本語テキスト”の精度をたかめたい。”原文日本語テキスト”の翻訳チェック、注釈批判をしてほしい」と頼まれた。幸い、私は先生から頼まれる前からこつこつ注釈批判作業をしていたため、2週間ほどで完成しそう。
今日も注釈批判作業。対象テキストは《異常ナ可逆反應》、《破片ノ景色》、《▽ノ景色——》、《ひげ——》、《B O I T E U X・B O I T E U S E》、《空腹——》の6つ。誤植脱字ではなく、ダーシの長さや括弧の半角全角チェックなどかたち的な部分、隅々までみて、原文資料と比較する。差異があればひたすら文章化する。
今週中にはこれをまた韓国語に翻訳して、先生に送信するつもり。
二〇二四年五月九日 作業日誌
作業日誌の更新が滞っていることをぼんやり考えていた。なぜ滞ってしまうのか。滞るということは(面倒)(いやだ)(なんか腰が重い)という感情を起こしてしまう作業になっていることを意味する。いや〜〜〜よくない。
何がそうさせているのか?
作業日誌を思い出すと、文字数が結構多かった気がする。5000字いく日もある。1000字近い日もあるけど、物足りない気も起こっていた。
なるほど。
文章量が多い日誌を目指していたわけではないが、結果的に文章量が多い作業になる→
時間がかかる→
時間がかかってカロリーもかかる作業なのでちょっとしんどい→
作業しても日誌をサボりがち
という経路になっていたらしい。”時間がかかってカロリーもかかる作業なのでちょっとしんどい”に関しては妄想に過ぎない。別にそうじゃない日もあったのに、時間がかかってしんどかった日の印象が肥大化して、面倒臭さに繋がっていたようだ。
作業日誌を面倒に思っていた原因を紐解いて、私の感じていた面倒臭さは何やら自分の勝手な妄想に由来していた。しかし根性論で片付けてはいけない。根性は日によって違うから安定しない。
どうしたものか。
問題と原因の結びつき方が紐解けた。すると残すは、対策を立てて実践するのみ。
「具体策しか自分を救ってくれない」というポリシーをもつ私。
さて、どうする?
今日も注釈批判作業をやった。《空腹——》までできた。ダーシの長さや括弧の具合まで原文資料と「定本 李箱文学全集」を比較するだけなのだが、三回目の見直しでも(えー…ここ見逃してるやん、目、節穴やん)ということが数件。ほんとうに、数件。6つのテキストのうち5件はいかないくらい。でもそれが私を不安にさせる。まだまだあるかもしれないけど、完成させることを優先してみよう。
寝かすと視界も変わる。完成させるという満足感を自分に与えることも必要だ。また、日をあけてやろう。
そういえば作業に集中できるか不安だったので、インスタライブで作業風景を中継しての作業スタート。注釈批判を韓国語に翻訳していく。二日で終わらせる。ただ作業する風景は友達にはつまらなかったらしく、皆数分で退室していた。俺のこと、もっとみてくれよ。
あ、作業日誌のこと、どうしようか。
いやもういいわ、就寝。
二〇二四年五月十日 作業日誌
閃いた。
あ、そうだ!!!村田さんの日記みたいにしたらいいんや!!
私はここしばらく、翻訳家でありエッセイストでもある村田理子さんの「ある翻訳家の取り憑かれた日常」の連載を眺めていた。
この文章たちのことを思い出した。
なんと一、二行で終わる日もある。村田さんとしてはただ面倒だった日、気乗りしない日だったのかもしれないが、私にとってはその一、二行がかなりのヒントになった。うん、そうだ、この軽やかさ、風通しの良さが足りなかったのかもしれない。武田百合子の「富士日記」よりもうちょっとスーっと風が通って、「書く気分」になれない日もそのまま表してしまおう。
この文章量でも自分を許したい。
書かない日とたくさん書いた日が混ざって微妙に楽しくない作業日誌より、
「なんもしてない、明日は作業やる」くらい雑でも毎日書こう。
数年後、自分がこの日誌の文章を読んで楽しい方を選ぼう。
ありがとー、村田理子さん。大きなヒントをもらいました。
やはり行き詰まったら目線は上げないといけないね。
明日から実践してみる。
ちょっと楽しみ。続くか見ものやね。
二〇二四年五月十一日 作業日誌
アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」がおもしろすぎて1日で完走。何してんのマジで…と自分を責める隙もないくらい良かった。アニメーション表現も多彩で、キャラクター設定もかなり上手くて全員愛おしい。原作は4コマ漫画らしいから、アニメ化にあたって考えられた演出が山ほどありそう。主人公ひとりちゃんのコミュ障ワールドをアニメーションに起こす際の、寄り添い方が凄まじいと思った。望まないことを押し付けられるときに、自分の体がバグを起こして砂嵐みたいになるのは、爆笑したけど共感で泣きそうだった。私は中学生から今に至るまでアジカンが大好きなので興奮材料があちこちにあった。ライブハウスに行って、自分の場所を確保しようとしていた十代が懐かしい。
でも、「定本 李箱文学全集」の注釈批判を韓国語に翻訳し終えるという偉業も成し遂げた。不意に観はじめてしまったアニメを完走しながらも、やるべきことをやり遂げた。褒める以外何をすればいいの?お疲れ様。
あ、でも英語の勉強も、「鳥瞰図」のテキストデータ作成もある…
ああ…褒め…きれはしない…ああ…ちょい褒めて…もう切り替えよう…
自分で自分をすぐさま叩き落としてしまった。
先生にメールを送信して終了。
そのあと、英単語を勉強。
大学院に行くか迷っているので、とりあえず英語を勉強している。念の為。
明日、というか日付変わって今日はバイトがあるため2時半に就寝。村田さんから得たヒントを携えて、日誌の改善策を実践してみた。まあ、悪くないかもね。
二〇二四年五月十一日、更新