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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第六十八回〉

二〇二五年二月一〇日

 一月前半に、「増補 改訂版 定本 李箱文学全集」に向けて李箱の日本語テキスト(詩作品)の校正作業を依頼された。その時は、雑誌『朝鮮と建築』以外に掲載されたテキストを校正してくれとのことだった。雑誌『朝鮮と建築』の校正は、日本語もできる大学院生または日本文学に精通する知り合いの教授に依頼することになっていた。
 しかし私が依頼された分の校正を終え、締切日にメールを送ったところ
「先生も大学院生も時間がなく、できないとのことでした。申し訳ないけれど、もしよければ雑誌『朝鮮と建築』掲載分のテキストもすべて校正してくれますか?」とのことだった。

先生が読むものなので指摘は簡単な韓国語で。


 先生はやはりちょっと抜けている。こんな大事な依頼は、もっと前もって大学院生や知り合いの教授に申し入れしておいて、断られた分を、校正作業可能な人でどう分担するか考えた方が良いし、失礼にもならないはずだ。多分、校正が必要になり締め切りが迫る中で依頼してしまったのだと思う。メール本文から聞こえてくる先生の声は慌てふためいていた。
 ただ私も働き、勉強し、課題も、自分の作業もある身だ。自分の作業に関しては一時停止して先生の依頼を優先している。
よって現在私が抱える先生からの校正作業依頼は以下の通りだ。

・《建築無限六面角体》(FIN)
・《三次角設計図》(FIN)
・《鳥瞰図》(NOW)
・《空腹——》
・《破片ノ景色——》
・《BOITEUX・BOITEUSE》
・《ひげ——》
・《▽ノ遊戯——》
・《異常ナ可逆反応》
※旧字体箇所も新字体で表記している
※(FIN)→作業完了、(NOW)→絶賛作業中


二〇二五年二月一三日

 김주현先生、金宙鉉先生、キムジュヒョン先生。私が韓国で繋いできた最も輝かしい縁の一つ。
 先生は2005年、2009年、2013年の3度にわたり全集を出版している。2009年、2013年は増補改訂版だ。そして今先生が取り掛かっているのがおそらく2025年版になる。私はそこに掲載される李箱の日本語テキスト(詩作品)を校正作業者として参加させていただいている。3度出版しても、日本語入力に誤字脱字、句読点の位置間違いなど複数の誤りが発見される。
 完璧なテキストはやはりないのだろうか。

 先生とzoomで話すとよくこんな話をしてくださる。
「全集作業とは地図のようなものでね、今日作業したテキストが明日も同じとは限らない。また別の誰かが、その未来で正しく校正してくれるかもしれない。土地や領地が変わっていき、その度に測量され、描き直されるのと同じことだ」と。
 そうだなあと思う。でも地図は読む側が100パーセント信頼をおくことなんてあまりない。けれど、文学におけるテキストは一部の人間を除き、あまりその正誤を疑われない。その差は大きいんじゃないの先生!と思いながらも、先生のポエティックな説明もいいな〜と思って聞いている。
 3度も全集作業に身を捧げるのはとんでもない苦労があっただろうけれど、それでも発生し続ける誤り。恐れる方が馬鹿らしいのかもしれないほど避けられない問題。



二〇二五年二月一九日

 今日は休みなので午前中に内科へ。
 かかりつけの内科の医療事務は入ってきた患者に対して挨拶もしないし最悪。医療事務の人で優しい人に出会ったことがない。一度もない。
 おそらく韓国で喘息を発症していたが、一年以上経ってようやく日本でまともに診断をうけ、現在も治療街道まっしぐら。しかし父親が家族に嘘をついて煙草を吸っていることが”またしても”判明し、家族内で大喧嘩勃発。喘息患者にとって煙草は天敵なのだ。私は幼少期にも喘息があったので、父親はそれを知っているはずだ。もちろん私の幼少期にも煙草はやめなかった。喧嘩は先日の話。腑が煮えてきた。呆れる人間なのでここで文字数を割くのも憚られる!

 映画館でポップコーンだけ買って帰る。帰宅後即、出汁をとった。うどんを二玉平げ、映画「エル・スール」(ビクトル・エリセ、1983年)をみた。ポップコーンを食べながら観た。TOHOシネマのポップコーンはどうしてこんなにも完璧なのか。
 「エル・スール」はずっと、ずっと観たかった作品だった。エリセ作品はこれでほとんど観たことになるかもしれない。終盤は疲れてうとうとしたが、観られてよかった。エリセの映画を観ると、いつも私の肉体が失くなる寸前と魂がまだこの世にある境目で生まれる時間を想う。私が私で失くなる前に、映画館で映画を観たい。その時はぜったいビクトル・エリセの「瞳をとじて」か「エル・スール」を観たい。エリセ作品を観ると、死ぬ時に自分の人生がまったく誇らしく思えず恥ずかしいものだったとしても、わずかに在った素晴らしい過去を一緒に抱きしめてくれる気がするのだ。だから、死ぬときにみる映画のいくつかに、エリセ作品は絶対必要なんだよな〜とほとんど毎日考える。私は昨日も今日も明日も、その日自分が死ぬ可能性を考える。だから映画館のこともおのずと毎日考える。

昆布だしうどんはんぺん爆盛

 夜はレポートを書き、あと9割という段階で一旦ストップ。

深夜2時ごろからは、先生から依頼されていた校正作業仕上げをはじめた。
《鳥瞰図》の最終部を校正した。
以前校正し終えた《三次角設計図》と、今日校正し終えた《鳥瞰図》を、PDFファイルにひとまとめにして、明日の朝、先生にメール送付する予定だ。

 先生は日本語ができないらしい。漢字は漢文を少しやっているから読めるけど、ひらがなやカタカナはさっぱりだそう。おそらく私のようにキーボードに韓国語入力機能の追加もしていないかもしれない。だからか2013年に出版された先生の全集には不思議なミスが散見される。
 そのうちの一つが句読点の違和感だ。
 写真上部が日本語文章における通常の句点。
 写真下部が先生編集の全集に散見された句点のミス。



 なぜこうなってしまうかはわからない。次話す時に尋ねてみようと思う。
私の予想としてはWord以外の互換性のないソフト(韓国語では互換性あり)で入力したからではないかと考えている。Wordで日本語入力機能を使用すればこうはならない。

 先生はどう判断されるかわからないが、旧字体と新字体の違いも多く発見した。それらは全て指摘したが、韓国語から日本語の旧字体を探し当てるのは何やら難しそうだ。
 そして半角・全角スペースの必要箇所が詰められているミスも多い。先生がこれをミスと捉えるかはわからないが、私の全集ルールではミスなのでこちらも全て指摘させていただいた。このミスが増えた原因はなんとなく推測ができる。
 韓国語は全角機能が使用されることはほとんどない。本屋や図書館にある検索機、パソコンの韓国語入力機能を使用してみるとわかるが、日本のように句読点はなく英語圏のように「,」「.」が使用される。数字も半角だ。
 したがって、李箱の日本語テキストに対する全角/半角文字への意識、全角/半角スペースへの意識を”作る”、”維持する”こと自体が難しいはずだ。よくこれを一人で入力したものだなあ、と思うけど、生きていればそう遠くない未来で自分も通過する作業だと思うと喉がギューッ!となる。


PDFファイルが完成したので、先生に送る準備はもうできている。
残すは
《空腹——》
・《破片ノ景色——》
・《BOITEUX・BOITEUSE》
・《ひげ——》
・《▽ノ遊戯——》
・《異常ナ可逆反応》

の校正作業である。がんばれー。


二〇二五年二月二〇日、更新



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