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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第二十回〉

 今は、日本にいる東京が東京文化財研究所という場所に出向き、複写、計測を行い、韓国にいる私が影印版で計測作業を行い、テキストデータをひたすら作り続けている。

 時間がないので毎日研究ばかりしていたいが、生きていけないからバイトもしている。人間社会で生きているので、働かないと生きていけない。

 国立中央図書館の開館時間は9時だが、私は9時頃か10時に起きてしまうのでいつも遅刻している。8時半にアラームを設定しているのに起きられていないので、下宿先で私の寝坊が1時間以上鳴り響いている。鳴るたびすぐ止めてまた寝る。今日は下宿先の玄関扉に「アラームがうるさいので消してください」と張り紙があった。ヒヤッとしたが、玄関扉を勢いよく開け放って氷点下8度の朝に飛び込む。

 私が閲覧したい資料は大体書庫にある。書庫から取り出して手元に届くまで30分かかるので、図書館で申請していてはタイムロス。なので、家の最寄駅に着いたらスマホから資料閲覧申請を送信する。こうしておくと、図書館についた時点ですでに資料は到着している。メールでも知らせてくれるので便利だ。日本の国立国会図書館に比べると、資料の保存状態や保存状態の申し送り、レファレンスの対応など劣る点はあるが、メールで知らせてくれるのはとても韓国らしいデジタルファインプレーで嬉しい。

 図書館についたら、図書館前にあるベンチに座って食パンを食べる。私の下宿先ではご飯と食パンとキムチが自由に食べられる。その食パンと横にある苺ジャムをタッパーに詰めて持ってきて、ここで食べる。パンは焼いたり焼かなかったり。栄養にもならない、ただの餌みたいな朝ごはんを食べて、昼ごはんは抜き。こんな不味いご飯ってあるだろうか。氷点下の空気の中で、ひんやりしたパンを口に放り込んで、水で流し込む。黙って、一人で2枚食べる。朝ごはんは白米がいいけど、パンをタッパーに詰める時間と、ご飯をタッパーに詰める時間とでは前者の方が早い。2枚食べるのは、図書館で体力を使う作業をするから。お腹が減っていて、パンが好きだからではない。何度もこのつまらない食事をしているのに毎度味を感じず食べているから、翌朝同じようにパンを口に入れた時にその不味さを一瞬思い出してはまた忘れる。目の前に聳立する建物に籠って、閉館時間18時まで作業に身を捧げる。寒空の下で食パンを食べる人は冷たい視線を浴びるが恥ずかしいと思わなくなった。数メートル先に日本ではあまりみない鳥がウロウロしていて可愛らしい。そうそう、私来世は鳥になりたいんだよなー。

国立中央図書館の相談室。職員さんが丁寧に対応してくれて、より一層きれいにみえた日〜。

 できるだけ陽のあたる席に座る。今日は、『朝鮮と建築』(1931年)掲載の《異常ナ可逆反応應》の計測最終日だ。『朝鮮と建築』の計測作業とテキストデータ作成の締め切りは11月25日の予定だったが、計測が29日までかかってしまった。これには訳がある。私が「ソウル大学建築学科資料室所蔵の『朝鮮と建築』影印版」から「国立中央図書館所蔵の『朝鮮と建築』影印版」に資料を変更し、計測のやり直しを決め、「国立中央図書館所蔵の『朝鮮と建築』影印版」の計測作業においても大幅な計測方法の変更を加えたからだ。ソウル大学での計測作業はトータル4、5日程通って計測し続けたが、その計測結果は全部消しゴムで消してやめた。一枚あたりの計測には1時間かかったのに、計測結果を消すのは1分だった。

今ここまでで影印版が二つ登場した。

・「ソウル大学建築学科資料室所蔵『朝鮮と建築』影印版」
・「国立中央図書館所蔵『朝鮮と建築』影印版」

これらの影印版は同じ影印版だ。ならば、計測のやり直しは必要ないでしょう?と思うだろう。私もそう思っていた。経緯を説明しよう。

 まず初めは「国立中央図書館所蔵の『朝鮮と建築』影印版」で計測した。しかし原典の誌面サイズがわからないので、一旦作業を中断してソウル大学に調査に向かった。 
 次に「ソウル大学建築学科資料室所蔵の『朝鮮と建築』影印版」で計測した。原典だと思ったので計測作業をかなり進めた。でも原典は日本で東京が見つけたので、私はどの影印版で計測しても良いことになった。


 土日はソウル大学建築学科の資料室は空いていないので、とりあえず「国立中央図書館所蔵の『朝鮮と建築』影印版」で作業を始めてしまう。どうせ同じ影印版だから数値も同じだろうと思ってそうした。しかし測った数値を、「ソウル大学建築学科資料室所蔵の『朝鮮と建築』影印版」と比較すると微妙に違う。『朝鮮と建築』(1931年)掲載の《異常ナ可逆反応應》は二段組で以下のように波線が敷かれている。ソウル大所蔵の方では11.9cmだったのに対し、国立中央図書館所蔵の方ではこの波線は12cmだった。他にもテキスト冒頭にみられる「直線ハ圓ヲ殺害シタカ」という部分は、「ソウル大影印版→3.75cm/ 国立中央所蔵影印版→3.65cm」と1mmのズレもあれば、0.01mm,0.02,の些細なズレもあった。どっちが正しいんだろう?と考えかけて、どっちも正しくない。影印版にも印刷のズレがある可能性を考えると、「どっちが正しいか?」という問いかけは大量生産されたレプリカ同士を見て、どっちが本物だろうと首をかしげるのと同じだ。自分の手元が震えてズレた数値かもしれない。計測が下手だった頃と少し慣れた頃の数値の差かもしれない。色々原因はあげられるが、原因がわかったところで何?ソウル大建築学科資料室で大学生に混じって肩身の狭い思いをしながら計測した数値を無視することにした。

 私は、李箱に関するテキストのどれをも信じられないから、どの書物も信じられないからこの国にきてしまった。自分の目で見て、体感したこと以外信じられないのだ。けれどこの状況はもう、自分が見て、実践して、丁寧に絞り出した結果も信じられなくなっているではないか。じゃあ、

 私が見ていた、見ている、定規の目盛りは、この定規は正しいの?

 二つの影印版は版が違ったの?

 テキストって動くの?

 それとも私が生きているからテキストが動いてしまったのか?

 じゃあ、もし出版されたとして誰かが原典に定規を置いて答え合わせをしたら「ここ0.5mmズレてるね」って言われるのかな。そのとき私、どんな言葉で返すのかな?

再現?でもそんなものできないよね、やっぱりできないよね、でもやってるよね、やめないよね、もうやめられないよね、どうすんの版と手元の揺らぎによって変わるテキストたち、追いかけても追いつかないよ、どうすんの、いやいやでもでも追いかけるよ、今はまだよくわからんけどズレている、再現できないけど再現してみる、これが大事、原本を丸々トレースせずに人の手で捕まえようとする苦労が大事なんだそれ以外の手段で楽するルートは定本作業じゃない、そんな気がする、何も信じられないままやっていくしかないよ、はいはい手動かす、もうしんどいよできたとしてその全集?誰が見るの、見てるよ多分、誰がよ、テキストの神様がみてる、それだけで良くない?、んーいいかもー。


 ソウル大建築学科資料室に着くまで1時間半かかるが、国立中央図書館までは40分。開館日数も国立中央図書館の方が多い。タイムロスの桁がちがう。ハイハイやり直し。まあタイムロスと言っても、移動中はテキストの切り抜き作業をしたり、計画立てたり、作業日誌に書くことを準備したり、タイムロスなんかしたことないんですけど!と、無慈悲に決断した自分に半分怒りながら数えきれないくらいの計り直しに挑み、29日に割と納得いく形で計測を終えた。あとは東京が測ってくれた誌面原寸サイズにデータをあてはめるだけ。この作業もうまくいくか不安。もう全部不安。
 こうやって苦しむのも苦学生みたいでウケる!もっと苦しめ〜!!って日もあれば、飲食店に談笑しながら入店する若い女性たちをぼーっと眺め、俯いてしまう日もある。でもテキストと向き合っていると、自分の現在じゃなくて未来のある一点を凝視しているから自分の体を現在に忘れて楽。
やたらと死がぴっとり張り付いている感じもあり、その中で呼吸ができる気がする”テキスト”。
李箱もここにいたのかなぁ。


国立中央図書館からの帰り道。
皮膚が剥がれそうなほど寒い。

誤字脱字の再々チェック、使用フォントと原典のフォントに大きな違いはないかなど、まだやることはあるが、荒削りの段階は過ぎたような気がする。まだまだ気が抜けない日が続く。

次は、計測手順がどのように変わったか記録してみようかなあ。



二〇二三年、一一月、三〇日執筆、更新。



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