定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第三十一回〉
今週はバイトが2日しかなかったので作業をがつがつ進めた。
1月8日(月) 図書館休みのため自宅作業
1月9日(火) 図書館作業
1月10日(水) バイト→自宅作業
1月11日(木) 図書館作業
1月12日(金)図書館作業
という今週のスケジュール。
先週まで頻発していた視界が歪んで文字が踊り出すような症状は、消滅こそしないものの落ち着いてきた。
落ち着いてきたといっても気がつけば治ったのではなく、何となくどう対応すればよいかわかってきた。人間は慣れていく生き物なので、どうすることもできず悶えながら作業をしていたのは4日間ほどで、それ以降は症状にも何となくの対応ができるようになった。発症と対峙を繰り返せば、いつかコントロールできるようになる、の、かもしれない。
今日11日は1931年『朝鮮と建築』掲載の「鳥瞰図」の計測作業とテキストデータ作成をした。大体3,4日で「鳥瞰図」のテキストデータ作成を終える目標を立てていたが、大幅な遅延もなく終えることができた。よって完成データは確認作業2回の行程へと移行する。
しかし1月9日の作業で想像以上に苦労した。
「鳥瞰図」は以下写真のように縦書きテキスト、三段組で構成される。
テキスト一文一文が分裂するタイプのつくりではないので、テキストボックスを作成し、テキストを一塊で編集できると考えた。予想通り、合計4頁あるうちの1頁目はそのやり方で問題なかった。しかし何故か2頁目以降から雲行きが怪しくなった。
2頁目は、まずテキストブロック(テキストの塊)やテキスト一文ごとの縦全長を測定し、行間を計測して配置した。もちろん一段目は難なくこなせたが、二段目からが大変。
二段目も同じようにテキストブロックやテキストの全長を揃えてから、行間を計測し、配置していったが、どうも視覚的に違和感をおぼえる。観察しつつ計測をもう一度やり直してみると、やはり何かがおかしい。しばらく目を凝らして判明したのは、「段ごとそれぞれにおいての全長や行間は及第点の再現ができているが、一段目と二段目の間においては段を跨いで上下一直線上に配置されなければならないテキストがズレている」ということだ。
図で解説すると以下のような状態。
これに気がついてしまった以上修正せざるを得ない。
でも図書館閉館時間まで残り1時間を切っていたため、何もできないと思い、9日は今日行った作業の資料整理と、10日バイトから帰っても自宅作業ができるように準備をしておくことに専念して図書館を出た。
こういった想定外のミスが発生した場合、私が重要視するのは"帰路をどう帰るか”ということだ。
計画していた最適であろう計測方法通りに計測した
1頁目は問題なくできた
しかし実際に計測してみたら全体的にみたときに原文データにはない視覚的歪みがある
2頁目は少しの調整ではどうにもならないほどズレ
ズレてしまったのでぱぱっと修正する
ではない、より具体的かつ根本的なテキストデータ作成の方法改善が必要
計測において、計測数値的な正しさと視覚的な正しさはどちらがより重い?
間違いなく後者
ってことは、後者を優位にした計測方法を考え直さないと
じゃあ
一段目はテキストの全長も行間も全て、一つ残らずすべて計測しよう
二段目からは計測するところは計測して、計測よりも視覚的調整を優先すべきところはそうしよう。でも計測数値を無視することはしない。
こういった方針で計測方法を組み直した。
図書館から駅までで脳が焼き切れるほど考えて、考えが整理されはじめたら声に出して何回も唱える。問題は新鮮なうちに調理した方がいいものと、寝かせた方が美味しく調理できる場合があるが、今回のは新鮮さが重要。
駅に着く頃には、次に実践する新たな計測方法がまとまっていた。図書館から駅までで一つ仕事が終わった。
今回のことはやってみないとわからなかった。頭でそうとわかっていても
「今日も作業進まなかった」
「手を動かすのが遅いんじゃないか」
「なんかうとうとしてた瞬間もあった」
「集中力も足りてないんじゃないか」
「いやそもそも今日計測した数値大丈夫?そんな集中力で取り組んだもの信用できるか?もう一回計り直した方がいいんじゃないの?」
「どうせ計測方法変えるならもっと早く気づけばよかったよな、いつも確認不足だな、甘いんだよ全部が、そんなだからミスも多いんだよな」
「ああ、お前じゃない誰かがこの作業をしたらもっとスムーズで正確なテキストデータになるんだろうな、ああ、定本作業は本当にお前でいいのか?でもそうは言っても誰もやってくれないし結局最後は独りぼっちだな、ああどうすんだよこれ」
などと人格否定を帯びた批判が聴こえてくる。逃げればその分増幅して浴びせられる。それが間違った行動だということは、もうこれまでの人生経験で判明しているのでしない。この場合、絶えることない批判に耳をふさいだり、肯定的な言葉で真っ向勝負するのではなく、批判の声をぜんぶ受けとめる方が滑らかに事が運ぶ傾向がある。ちなみに先週までの、視界を埋め尽くしながら踊る文字が私に与えたさまざまな症状も、結局はただただ独りでその症状をしゃぶり尽くすように、徹底的にその症状を引き受けつづけることで自然治癒にむかった。死ぬかと思ったけどなんとか生きてるラッキー。
駅までの道で、そうした批判の声を真正面から受けとめては落胆し、さらに肩を落とし、暗澹たる思考に陥りながら、疲労困憊した足取りで駅に向かった。そういった動きの隙間で計測方法の具体的な改善案を考える。
いざ書き出してみると、私が考えていた事が混沌とした網目を成していたのが伺えて気持ち悪い。網目と言えば聞こえはいいが、排水溝に絡まった髪の毛みたいに気持ち悪い。この髪の毛が立体的になって私の脳を高速回転させていたのか。脳が焼き切れるかと、本気で思った。
そして11日、1日バイトを挟んで迎えた作業日。
今日は新たに改善した作業方法を実践して、計測とテキストデータ作成作業を終える事ができた。結局、9日に考えた改善案は作業しながら変更が加えられて、どういうふうに再改善したか覚えていない。文字ごとにフォントを変えたり、太さを変える作業も同時並行で行うので、手順などあってないようなものだ。
7時間くらい図書館で作業したのに(あれ?もう17時?作業やったよな、やってたよな?…あ、まあ進んでるってことはやってたんだな)みたいな記憶の失くし方が頻発しているのがもう本当に怖くて仕方ない。定本作業はなぜこんなにも自分の存在や認識していたはずのもの、記憶や経験までもがぐらついてしまうのか。
11日もまた作業した記憶がぼんやりとしかないけど、作業はかなり進んで「鳥瞰図」のテキストデータ作成が終わっていたので褒美として、駅であんぱんを買うことにした。いよいよ脳が焼き切れたのか今日は頭痛が酷かったので、褒美を食してまた明日も頑張ってほしいと甘いパンに願いを込める。作業しながら食べようかと思ったけど、リュックサックから筆記具を出すのが面倒でやめた。国立中央図書館の最寄り駅である瑞草駅構内のパン屋さんはすごく美味しいわけではない。でも安くて、美味しそう。いつも憧れた目でみては通り過ぎて改札に向かう。このパン屋は私の精神を食の面から支える最後の砦であり、図書館から暗い夜道を歩き、明るい駅構内に入っても暗さを抜けられない日においては、あのしょぼくれたパン屋は冬の夜の海で溺れている私の頬を僅かに照らす灯台のような存在である。ありがとう。!!。
二〇二四年、一月、一一日執筆。
二〇二四年、一月、一二日更新。