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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第五十六回〉

二〇二四年七月二八日


バイト先でまだおばちゃんと口論。
私たちは、自分の仕事のほかに、余裕があれば相手の仕事を手伝う感じでやっている。今日は、おばちゃんは私が近くにいて、もうすぐおばちゃんのペースに追いつき私自身の仕事をするだろうと予想したのか、おばちゃんは自分の仕事だけをしていた。あーまたか〜と思ったが、別に怒ったりはしなかった。
しかし、私がおばちゃんに同じことをしたらブチ切れた。厳密にいえば「同じことをした」というよりも、まず自分の仕事をやり切ってからおばちゃんの分を〜と思って動いていた。もうめんどくせえなこのババアは…と思ったが、(あんたもやってたでしょ、同じこと!)というと口論が長引きそうだったので、「こっちにはこっちの順序ってものがあるんですよ!」とキレ返した。すると「順序がない人なんていないんだよ!」とキレられた。それは何ですか?反論ですか?よくわからなかったが、おばちゃんの凄いところは30分過ぎると何事もなかったかのように喋りかけてくることだ。見習いたい。
退勤時間にはニコニコお喋りして帰る。人間って、こうでなくっちゃ。
忘却する力は、人と仲良くやっていくために使えたら一番安寧に過ごせるだろう。

帰りは直帰せずに、狎鴎亭近くにある映画グッズショップ「propaganda cinema store」に向かう。この店は、映画DVD、レコード、雑誌、パンフレット、写真集、ポスター、バッヂや映画に関する様々なグッズが販売されており、毎月最終土曜昼12時〜18時まで開店する。最近知って、すぐさま予約した。インスタで見る限り、エドワード・ヤン監督の映画グッズがあったのだ。行くしかないと思った。重ための精神をずるずると引きずって、15分ほど歩いて到着。

お金の不安を何とかしようと帰国までの3週間分に使用可能な予算を計算した。しかし「propaganda cinema store」での予算は分からなかったので計算にも含まれていなかった。入店すると線香の香りがする。バイト終わりの見窄らしい格好で汗だくの私を、爽やかな兄さんがお出迎え。はずかしくなったが胸をはって、予約名を伝えて入店。
店内には所狭しにポスターや雑誌が陳列されていた。台湾や韓国映画のものが多いかと思ったが、思いの外、日本映画のグッズもある。私は紙ポスターやポストカードなどが大好物なので、まずそこを物色。ポスターは3000ウォンだと分かったので、気にせず手に取ってみた。確か6枚ほど手にとった。その次に「牯嶺街少年殺人事件」のポストカードセットを見つけた。しかしいくらあたりを見渡しても値段が書かれていない。そこで何かのリミッターが外れる音がした。(5000円までは使っていいよ)という声が聞こえた。言い訳がない。予定になかった出費で5000円上限は厳しい。

  1. エドワード・ヤン出演『1905年の冬』A3ポスター

  2. エドワード・ヤン、タ・ドウツエン、コ・イーチョン監督『光陰的故事』A3ポスター

  3. ロブ・ライナー監督『スタンド・バイ・ミー』A3ポスター

  4. ガス・ヴァン・サント監督『マイ・プライベート・アイダホ』A3ポスター

  5. エドワード・ヤン監督『ヤンヤン 夏の思い出』A3ポスター

  6. エドワード・ヤン監督『恐怖分子』A3ポスター

  7. スティーブン・ダルドリー監督『リトル・ダンサー』ステッカー2枚

  8. エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』ポストカードセット

  9. スティーブン・ダルドリー監督『リトル・ダンサー』ポストカードセット

  10. エリア・カザン監督『エデンの東』ポストカード

  11.  アルフレッド・ヒッチコック監督『ダイヤルMを廻せ!』ポストカード


 全部で4000円ほどした。喉がひゅっと鳴ったが、さっさと支払いを済ませた。『花様年華』のポストカードと『PERFECT DAYS』のうちわをもらった。ありがとう。自分がこれほどまでにエドワード・ヤン作品を愛していたとは。値段も見ずに考えずに買い物する時間は幸福でもあり、たいへん不健康だった。しかし一つ一つ吟味しては手におさめていく動作を繰り返した。頭の中に想像されるのは、日本にある自室の壁にポスターを貼って、その前に私が跪き、涙ぐみながら手を合わせている姿だった。
二月から今まで、映画に支えられた韓国生活だった。
購入したグッズの中に、私のオールタイムベスト作品がいくつもある。
行けてよかった。それでも私の精神状態は何だか降りていってるようだ。帰宅して何とか風呂に入って、あとはずっとスマホを眺めて、スレッズに投稿し続けていた。降りる前はこうなる。さあこれから、どう転ぶだろう。


二〇二四年七月二九日

母親に頼まれたお土産「レチノール成分配合 トナーパッド」が近くのオリーブヤングになかったので、明洞まで出向く。朝早めに出て、昼までに帰ったら汗が出ない。汗が出ないと風呂に入らなくていい。目的のものを全て買い揃え、お金がお金が〜〜〜と思いながら部屋に入る。立てかけてあるA3ポスターたち。お金がないときに出会い、買ったんだ。一生そばにいてくれないと困るよ、と思う。
昼寝。先生からメールが来ていた。でも、先生のところまで行ける精神状態ではない。もうzoomにしてもらおう。ダメダメな状態であっても勿体無い。消しゴムハンコのショップ関係のことをちょっとして、オリンピックの馬術を見た。この世の何でも再現できないような流線形を描き駆けていく馬たち。騎手達の身体も、馬の動きに合わせるためにある。だがその馬を操っているのは騎手。両者間にしか分からない方法で対話しているのだろう。広大な日本庭園を一人ぽつんと眺めているような気持ちになる。いいものをみた。バレーをみたかったが、みられなかったので馬術に辿り着いた。残念なことも悪くない。

そういえば昨日、バイトの行き帰りでテキスト作業をしていた。電車は揺れるし、人目もあるのでまともに作業できたもんじゃない。しかし半ページ分ほど進めた。たいしたものだ。


二〇二四年七月三〇日

 今日でバイトはお終い。2分ほど遅刻した。2分なら別に誰にも怒られることはない。いつも通り掃除を進めた。特に変わったこともなく進んだ。おばちゃんがいつもより少し口数が少ないというか、よそよそしい感じもした。私はいつもより独り言が多いというか、頭の中で広げている妄想に対する応答がいつも以上に口に出ていた。何ならいつもより手際よく終わった。
 いつもなら17時に終わるところ、15時に全て終わってしまった。何か仕事ないかな〜と探していると、社長の奥さんが登場して、初めて言われた仕事を(なんで今までやっていなかったの?)みたいな感じで指示された。知らねーよ。丁寧に、というより、時間をかけて床を塗り潰すイメージで掃除した。結果的に丁寧。床が小石でできているので、掃除機は小石でいっぱい。もうやめちまえよこの床…と毎週思う。
 掃除が全部終わって、とりあえず大きな声で挨拶挨拶ペコペコ。働かせてくれて、ご飯を与えてくれてありがとう。別れの本番はここから。
 おばちゃんである。
 おばちゃんは、私とペアで掃除する仲で、一応上司だった。自分に時間的、体力的余裕があっても私の担当部分を手伝ってくれないし、私が同じようにすると「なんでそんなことするの?気分悪いでしょ!」と怒る。
 私がミスすると「あ〜もう!どうすんのよ〜お嬢さん!」と小馬鹿にしてため息をつく。その態度に私が腹をたて、「あなたもそうしてるから、私もそれでいいのかな?と思って真似したんですけど??」と言い返したら、「今まで善意でやってあげてたこともあるけど、もう全部あんた一人でやりな」と拗ねた。善意でやっていた仕事はもう私がやるけど、とりあえず態度が気に入らなくて、「なんで怒っているんです?ちゃんとルールを決めましょう」と言えば、話は聞いてくれた。聞き分けはないが、悪い人ではない。 
 働き始めて二ヶ月経った頃にモップの存在を教えるし(それまでは跪いて床を雑巾掛けしていた)、私が「なんで今更そんなことを言うんですか?いきなり仕事が増えて困るんですけど。というかそんな大事なことを何で今まで忘れていたんですか?」と問い詰めたら、さらに怒った。
 正直、嫌いでもないし好きでもない。でも、私の知る限り韓国の職場において最も人間らしく、まっすぐぶつかってくれる人だった。こちらの話を聞いてくれない。自分の意見をストレートに言ったらお終い、わからないあんたが悪い、お互い諦めよう という態度の人にばかり出会ってきて、(私はもうこの民族とは合わないかも…)と思っていたところで現れた。最後だから手紙でも書こうかなと思ったけど、忘れた。忘れたということは必要ないということ。だからカレールゥをあげることにした。
バイトに行くまではそれぞれに到着するが、バイトから帰る時は忠武路駅まで二人で肩を並べて帰る。梧琴行きのホームで、おばちゃんは右。私は左に分かれて帰る。最寄駅の出口までの距離を考えれば、私も右にいきたかったのだが、初出勤の際おばちゃんが「じゃあね」と言って、右に進んでしまったので、後を着いていくこともできず私は左に進むようになった。帰り道は色んなことを話した。

暑いな〜。
梅雨まだ明けないんですか?
毎年この頃にはもう明けてるよ、でも今回は遅いかもね。
雨降っても野菜とりに行くんですか?
行かないよ、一日二日行かなくてもいい。
でも今日は帰っても畑行って野菜とって配達しないといけないんでしょ?
そうだよ、でも私は配達だけでいい。野菜は旦那がとるよ。
おばちゃんはお喋りなので、私のことはほとんど話していない。私が韓国まで来て、何をしていたのかよく知らないと思う。
 5月のある帰り道、おばちゃんがこんなことを話した。「この前、兄弟が日本に旅行に行ってカレールゥを買ってきてくれたんだけど、それがすごく美味しかったんだよ」と。どんなカレーが美味しかったのか知りたくて、包装の色を聞いたところ「ゴールデンカレー」だと推測できた。それを6月に渡韓する母親に持ってくるよう依頼しておいたのだった。バイト最終出勤日、おばちゃんに渡そうと思って。

 建物から出てすぐ、植物が生い茂った壁面がある。
「そこに立ってください!写真を撮りたいんです!お願いします!」
「やだよ!なんでよ!そんな綺麗な格好もしていないのに!」
「いいってそんなの!一枚!一枚だけ!お願いします!」

 すがるようにお願いして、OLYMPUSの壊れかけのハーフカメラを取り出し、一回だけシャッターをきった。保険をかけて、スマホでも撮ろうかと思ったが、やめて、ありがとうございます、とだけ言った。
その流れで、カレールゥを渡した。

はい、これ
何?
カレーです!前、美味しいっておっしゃってたでしょう?これじゃないですか?
うん、そうだよこれ、まあ〜こんなものまで用意してくれて、ありがとう、いただくね
はい、別れの贈り物です
ああ、もう、はいはい、ありがとうね

 前のバイト先でも、前の前のバイト先でも、こんなに人間らしい人はいなかった。みんなあまり自分の声が聞こえていなくて、うまくいかないことがあると誰かのせいにすることに必死で、私はよくその標的にされた。日本にいた時もそうなりがちだった。反論するともっとエスカレートするからいつも私がその場を去ることばかりだった。でもこのおばちゃんがすごかったのは、ちゃんと言い合ってくれたことだった。良い喧嘩をいくつもした。最中はぶん殴ってやろうかと思うが、言い合いというのは、自分の主義主張を相手の主義主張にぶつけ、より良い結果をもとめ、お互いに交渉することだ。立派な関係構築の方法だ。でも私はおばちゃんの感情的な態度に苛立って、(もう口なんか聞かん!)と思ってしまうことが多かった。そんな私を抱えながら、おばちゃんと私の関係は、自ら自分たちの関係に傷をつけ、そこにカサブタを作り、より強固な皮膚を作ることができた。それはひとえに、おばちゃんが30分もすれば何事もなかったかのように話しかけてくれるからだった。おばちゃんが本当に30分前の出来事を忘れている可能性もある。しかしそうでない可能性もある。どちらかはわからないが、おばちゃんの見せるこの態度は私に(人間って可愛らしい生き物だな)と思わせた。
 
 ホームまで降りるエスカレーターに乗る時、「ゴールデンカレー」は韓国の市場でも帰ることが判明した。愕然とはしない。私がおばちゃんの美味しかった記憶を覚えて、渡したことに価値がある。なーんだ!そうなんだ!と言いながら笑っておいた。おばちゃんの電話番号は持っているが、私は韓国の電話番号をもうすぐ失効するので、手紙を書くことにした。住所を教えてもらい、私が手紙を送る。おばちゃんの口癖は「面倒臭い」だから、私は「返事が書いても書かなくてもいいですよ。私が書いて満足したいだけだから、読んで、(そうなんだー)と思ってそのまま置いておけばいいです」と伝えた。嬉しそうに笑っていた。読むだけなら負担ないはずだ。私はこのままぷっつりと関係が壊れてしまうこと、私の知らないところでおばちゃんが亡くなってしまうようなことがあれば嫌だなと思ったから、私が一方的に書くだけで本当に満足なのだ。
 駅のホームでハグして別れた。週一日しか休みがなく、その一日も家事をして過ごすほどの働き者だから、もう少し休んで、末長く元気に暮らしてほしい。帰国前に電話をして、日本からも手紙を書こう。

二〇二四年七月三一日

映画を観に行った。よく寝たはずなのに、映画館でも寝てしまった。
作業はしていない。

二〇二四年八月一日

 部屋の鍵をなくした。先週はカードをなくしたのに今週も紛失。鍵にはスーツケースの鍵も付いているのに。スーツケースはピッキングするとして、鍵の再製作は高そう。調べたら4000円以上するとか。マムズタッチを節約しても全部飲み込む金額。何でこんなに物をなくすのか。というか、スーツケースなんて滅多に使わないのに、部屋の鍵と一緒につけていたのか。バカにも程がある。何も手につかない。明日はキム先生とzoom会議があるのに。とりあえずその準備だけサッと終わらせて、この日の朝からの痕跡を辿る。スーパーに行った。会計の時、エコバッグを取り出した。そのエコバッグに鍵が挟まって、取り出したときに床に落ちたかもしれない。いやでも、誰かがそのまま持って行ったかもしれないし、そもそも道端で落としているかもしれない。鍵に鈴が付いているのになぜ気が付かなかったのか。
 ああそうだ。昨日はイヤホンをとる気分になれなくてイヤホンをつけたまま会計をしてしまった。いやでも、いやでも、ないかもしれない。とりあえず明日の朝、キム先生との会議前にスーパーに行こう。自分の注意力のなさに呆れる。帰国日が近づくにつれ、こういうことが増えている。命まで落としてしまうのではないか。毎日抱いているこの不安がより一層大きくなってしまった。とりあえず、鍵。


二〇二四年八月六日更新

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