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メアリー・ポピンズの思い出

子供の頃、いろいろな本を読んだが、自分がとくに愛読していたのは岩波少年文庫だった。
なかでも、何度も読み返したのはメアリー・ポピンズのシリーズの四冊である。

このシリーズの、どういったところが魅力だったのか?

ひとつは、まず、メアリー・ポピンズのキャラクター。
彼女はいわゆる、世間一般の基準にあてはまるような、わかりやすいキャラクターではない。
まず、外見からして個性的だ。やせていて手足が大きくて木のオランダ人形みたい。そして不愛想で、居丈高な物言いをし、雇い主であるバンクス夫妻にも子供たちにも、それから買い物先の店員に対しても、笑顔を安売りしたり、媚びるということがない。
(自分の「仲間」に対しては、礼儀正しいようだが・・・)

それから、メアリー・ポピンズの引き起こすさまざまな神秘的な出来事。彼女と一緒にいると、突然、不思議なことが起こる。
さっきまで現実世界にいたはずなのに、ひょい、と非現実的な世界に入り込んでしまっているのだ。
しかも、これらの出来事について、彼女はジェインやマイケルたちに一切、説明しない。不思議な世界を見せられた側はただただ驚くばかりだが、子供たちは、メアリー・ポピンズの存在とともに、これらの出来事を受け容れていく。
メアリー・ポピンズは普通じゃない。でも、彼女と一緒にいると、なんだかよくわからないけどおもしろい、と。

それから、やはり舞台はイギリスという外国。
子供からしてみると、あちこちに登場してくる食べ物や習慣、風俗などに興味をそそられたし、よくわからなくても、それらのことすべてが、読んでいるうちに物語の一部として魅力的に感じられてくるのだ。
ジンジャーパンって、なんだろう?どんな味がするの?
メアリー・ポピンズがマイケルやジェインに、「お茶の時間ですよ!」としょっちゅう言うけど、お茶の時間ってそんなに大切なのかな?
靴下をはきなさい、ってジェインが注意されてるけど、このお話が書かれた頃は素足に靴を履くのはお行儀が悪かったの?
などなど・・・。

「公園のメアリー・ポピンズ」の中に、ハロウィーンの晩に人間たちの影が抜け出し、公園で踊る、という話が収録されている。それを大人になって読み返したとき、「この『影』というのは、その人の本来の姿の象徴なのでは」などと、「分析」している自分に気づいて、笑ってしまった。
子供の頃はもちろん、そんなよけいな「知識」もないので、ただただ、楽しんでいた。10歳の頃の私はメアリー・ポピンズを純粋に楽しみ、そして繰り返し読むことで、自分の内側に、うまく言えないが、「思い浮べるだけでほっとする、あたたかい場所」のようなものをつくることができた、と感じている。

それにしても、イギリスの児童文学というのはどうしてこうも名作ぞろいなのだろう。
たとえ「子供向け」であっても、子供を見下して書いたような幼稚さは皆無、そして、大人が読んでもじゅうぶんおもしろいのだ。
刊行される前から気になっていたというのにいまだに手に取っていない、「なぜ英国は児童文学王国なのか」(平凡社)でも読んで、じっくり考えてみることにしよう。

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イブスキ・キョウコ
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