アニメ「彼方のアストラ」感想(2020.5.26)

 三食食べること、運動すること、夜は早めに寝ること。
 以上をベースとし動かさない基本とした上で楽しみを楽しむためには、時間を効率よく使う必要がある。一番はツイッターを閉じる……というか閉じる前に開かないことだろう。開いて私は何を得たいと思ってるのかしら。友達と呼びたい人との会話、公式からの情報、知らない絵や面白い小説の投稿、それから?
 何か知りたい。
 今はまだ知らないわくわくすることを知りたい。

 「彼方のアストラ」という作品を知ったのはアニメ最終回の週。スケダンの作者さんによるSFモノと聞けば、まあ面白くないということはないんだろうと情報や感想を眺めていた。宇宙の閉鎖空間でサスペンス的要素ありか。上手い人だなあ。

 それを昨夜突然見始めて、今日、仕事の休みを利用し一気に最終回まで駆け抜けた。きっかけは「何となく」だったけど、うわあ、面白かった。途中からトイレ休憩さえ忘れていた。
 わくわくする。とってもわくわくする。冒険のわくわくは、主人公が常に求め手を伸ばし突き進んでいく先のものだ。視聴者も彼の船に乗っているのだ。
 ああ、土台のしっかりした面白い作品ってこういうことだ、と密度の詰まったケーキを丸ごと口の中に突っ込まれたような気分だ。
 この素晴らしい、完成された作品。
 キャラクターの言葉遣い、笑い所の入れ方、伏線を張るということ、その張り方、回収の仕方の鮮やかさ。その結実としてドの音で終わること。
 ドレミファのドの音で終わるということ。これは勿論比喩で、実際には曲の終わりの安定した音楽が何の音で終わることが多いのかは分からない。でも、この基本にして始まり、重量感と明るさを兼ね備えた、安定した音による終わり、という意味で「彼方のアストラ」はまさしくドの音で終わった作品だと思う。

 創作者として真似したくても真似できないものもある。あのアイデアとわくわく感は真似できない。
 同時に自分の作品は、自分が選んだ作り方で作られているのだと、それが己の創作の欲と共に選択された手法だとも気づく。
 私はアイデアの鋭さはない。アイデアの考証や発展、物語との絡み合いは私一人で行ったものはあまりモノにならない。キャラクターメイク。一次創作だとその弱さが露見する。ギャグは上手ではないですね。表裏一体の要素として突き詰めたシリアスにもなかなか辿り着けない。
 欠点っぽく書き連ねているけれど、ひとつ、意図的で、創作の欲により選び取ったものがある。
 ドの音で終わらない小説を書きたい。
 ドラマチックな起伏のピークが鋭くないことも、冴えある笑いがないのも、隣室のドアを開けたらそこにいるような人物像も、全部ここに繋がりそれを活かすために血液を送り込んでいる気がする。ドの音で終わらないラストシーン。

 全部、納得のいく大団円を目の当たりにし浸りきった後でうっすら考えられたことだ。創作者としての力量差なんか当然のことなんだけれども、顔面からウェディングケーキ級の重量と美味しさを持ったものに突っ込んで摂取する面白さに全身を委ねると面白かったハイ終了じゃなくて思いや考えが色々広がるんだなあって。

 最終回を観終えた直後にウルルカで検索してスマンとは思うけど、ウルルカで検索する時の色々な境界線を置き去りにした感覚、今までいた場所から浮いて、知らない地平を見るみたいな自由さがあった。境界線はいまだたくさんあるけれど、こうして「ひと」と「ひと」が愛し合うのだということが、この先、意識のひとつの当たり前になっていくといいな。(ウルガーとルカの関係については最終回のルカの科白によって描写されたと思っているタイプの視聴者)。

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