結局、手紙はうれしい(20200606日記)
名前の通り春うまれなもので今年も誕生日を迎えたのですが、ありがたいことに結構な日にちが経ったというのにいまだにプレゼントをいただいたりする。いくつになってもめちゃくちゃ嬉しいものです。
しかも、もう結構いい歳なのに手紙をいただいたりする。付箋でのメモ書きからメッセージカード、きちんとした便箋やイラストを添えたものなど‥どんな形であってもたったの一言でも、これまためちゃくちゃ嬉しい。
今年とくに印象深かったのが会社の同期からもらったもの。そもそも社内でなんの下心も無く真心だけで個人的に手紙を贈るとか、その時点でやっぱり良い人が多い会社だなと思う。
ざっくりと要約すると、シンプルな便箋に「一緒に仕事ができることが楽しくて嬉しい。今年も励まし合ってぼちぼちやってこう。いつも幸せを願っています。」と書かれていた。当の筆者本人は「夜中に書いたからポエムになったわ。」と言っていたけれど、そんな遅い時間に勢いに任せてでもなんでも、気持ちをしたためてくれていたことがまた嬉しい。
なんかいつも、自分が一番、自分のことに無頓着かもしれないと思う。ある意味自分の幸せなんて諦めてしまったり蔑ろにしてしまうこともあるのに、他人の方が願ってくれている。自分自身でも他人でも、誰か一人でも私の幸せについて考えているうちは、いろんなことが大丈夫な気がした。
そんな風に、また今年も「もらった手紙を入れておく箱」の中身が増えた。今までもらったものは、やっぱり捨てられずにいつまでもとってある。誰の言葉も心に響かず目の前が暗くなってしまう日にふと読み返すと、過去にかけてもらった言葉に救われることも多い。
スキマスイッチは別れた恋人からの手紙をひとつずつ紙飛行機に変えていたけど、そういったものも私は捨ててはいない。すべては過去のことだけど、過ぎた時間の中にたしかにあった気持ちが、今でも心をまっすぐにしていてくれる気がするから。
ちなみに完全な余談ですが、上記のスキマスイッチの曲「キレイだ」とっても良いですよね。失恋の歌ですが「なんだかんだ言ってたってこの性格は変わらないんだって ラララ‥いいじゃない」、すごく良い。
ほんとにいい歳になったのになんにも変われてないなあと毎年思うけど、いいじゃない、そんな風に来年も言っていたい。