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『ここにはないもの』/乃木坂46の歌詞について考える

1期生メンバー・齋藤飛鳥が参加した最後のシングル表題曲である。いわゆる「卒業シングル」のひとつに数えられる、この曲。

公式YouTubeチャンネル「乃木坂配信中」での生配信で初披露されたほか、その年の紅白歌合戦でも披露されるなど、彼女の卒業を大々的に彩ったこの楽曲。

率直に言えば、最初歌詞を読んだとき疑問がわいたというか、「おや?」と思うところがあった。〈寂しさ〉が全面に出た内容だったからだ。

寂しさよ語り掛けるな
心が折れそうになる

いわゆる「卒業シングル」は、新たに作られるたびに変化が見られた。書いていることがそれぞれちゃんと違うのである。

去りゆく者の影を噛み締めながら背中を押す『ハルジオンが咲く頃』、〈君〉の前では強がりつつも最後本音が爆発する『サヨナラの意味』、去る側の視点で描かれ、衝動やワクワク感が駆け抜けていく『帰り道は遠回りをしたくなる』、「これまで」を暖かく振り返り、胸いっぱいの充実感に満たされる『しあわせの保護色』。

やっと言える
大好きだよ

もう一度君を抱きしめて
本当の気持ち問い掛けた
失いたくない

新しい世界へ
今行きたい

しあわせはいつだって
近くにあるんだ

数を重ねるごとに、「別れ」そのものをテーマとするよりも、未来への期待とか、過ごした時間全部への感謝とか、そういう内容のものを切り取り、旅立ちを彩っていた。

しかし『ここにはないもの』の歌詞を読む限りでは、ここにきてまた寂しさが爆発している。

サヨナラ言わなきゃずっとこのままだ微笑む瞳のその奥に君は瞬きさえ我慢しながら涙を隠してる

歌詞の主人公の視点は去る側に移っていつつも、以前のような「卒業シングル」に戻っているのでは?と感じてしまったのだ。最初は。

いやしかし、それは本質ではないことに気付いた。やはり「歌詞の主人公の視点が去る側であること」が重要であるし、その者の歩みが連動した上で『ここにはないもの』へと辿り着いている。上でも挙げたサビの歌詞は、このように続く。

人は誰もみんな孤独に弱い生き物だ
それでも一人で行くよ
まだ見ぬ世界の先へ

ワードひとつひとつを取ってみると、これが『Sing Out!』を踏まえた言葉であることに気付く。

孤独は辛いよ

一人ぼっちじゃないんだよ
Say hello!

もちろん『Sing Out!』を伝える役割を担った齋藤飛鳥その人の存在をキーにしている。

〈孤独は辛い〉ことを知っているからこそ〈一人〉であった人へと手を差し伸べられる彼女が、舞いと共に空へと解き放つ〈愛の歌〉。『Sing Out!』とはそういう楽曲であった。

「それでも一人で」行くと言うのだ。『ここにはないもの』には力強い決意が満ちている。

単に「寂しいけど、行かなくちゃ」という旅立ちの場面を俯瞰で切り取っただけではない、一人であることの辛さや困難を十分にわかった上で宣言する〈それでも一人で行くよ〉という言葉こそが本質。

ごめんね
これから出ていかせてくれ
後ろ髪を引かれたって君に甘えたりはしないように
いつも前を向こう

その言葉の力強さたるや。最年少メンバーとしてグループに参加し、アンダーの立場で思うようにいかない時期も経験した彼女。グループが大きく育っていくにつれて、心を重くしている後輩のことを気遣う場面も多く見られた。

若いメンバーを孤独や重圧から救い出そうとする彼女の姿と、その旅立ちは、やはり『Sing Out!』であり『ここにはないもの』である。

そんな彼女を慕うメンバーが多いことは言わずもがなであるが、飛鳥ちゃんもまたそのことを大いに理解していることであろう。

(2023年5月に行われた卒業コンサートの2日目では、『I see…』曲間で賀喜ちゃんが涙ながらにメッセージを伝える姿に釣られて、飛鳥ちゃんも貰い涙を流していたように記憶している。この場面が大いに物語っているだろう。)

そうしたことを踏まえた上での〈一人で行く〉という〈決心〉は、計り知れない重大な選択である。

『Sing Out!』よろしく、飛鳥ちゃん自身もまた後輩たちから愛を受け取り救われているはずだ。しかしそれを振り切って進もうという決断。〈後ろ髪を引かれたって〉とも歌詞にあるが、その名残惜しさは、言うなれば受け取った「愛」の大きさの反転である。

だが、〈それでも一人で行く〉のだ。残される者たちが、彼女の決断を受け入れることを指して〈夢とか未来を僕にくれないか〉と言う。

「離れること」を「〈夢とか未来〉をくれる」と言い換えた、絶妙な表現である。別れや一人になることを、決してマイナスとは捉えていない。離れることが、去る者へのひとつのギフトであると示している。

そんな決断を大々的に(称賛する形で)取り上げている『ここにはないもの』という楽曲は、一人であることの「価値」もまた確立させてくれているようにも思う。

この楽曲の中では、「旅立ち」と紐づけて物語っているが、それを〈一人で行く〉と強調していることがやはり印象的である。

連想ゲーム的な読み時になるが、「コミュニティに属することが価値であるわけではない(その外にも価値が満ちている)」、と示しているようにもとることが可能だ。

奇しくも『おひとりさま天国』たる楽曲が後に発表されるわけだが、一人であることの「陽の面」を提示しようとする、その予兆としても『ここにはないもの』がある、なんて見方も出来るかもしれない。

それは、〈まだ見ぬ世界の先へ〉と旅立つことができる軽やかなフットワーク。ひいては何にも縛られない自由さ。

『裸足でSummer』『ジコチューで行こう!』など、「自由であること」「縛られないこと」を示す楽曲の中心に立つ役割を、これまでも齋藤飛鳥は務めてきたが、『Sing Out!』、そして『ここにはないもの』もまた実はこれらとなお地続きであったのだ……なんて結論はちょっと大げさか。

裸足で歩いて自由を見つけてみたくなった

でも空がどれくらい広いとか
どれくらい高いかは
見上げて初めて分かる

だけどどこかに希望の風が吹いている気がして

※余談だが、先日飛鳥ちゃんがInstagramで「私の人生におけるバイブルソング」として挙げていた槇原敬之『僕が一番欲しかったもの』が、とても良い補助線として機能している。

〈ここにはないもの〉を探して〈まだ見ぬ世界の先へ〉と旅立った彼女にとって、では「ここにあるもの」とは何だったのか。それを汲み取ることができる。

結局のところ、ここに繋げたかっただけ。

以上。

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