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『僕の思い込み』/乃木坂46の歌詞について考える

自分自身の恋心をこんなにも肯定している曲って中々無いわけですよ。

〈君に会うと元気になれる〉みたいな感じの歌詞を用いている曲は数多くあると思うんですよ。言葉そのものは違っても、こういう歌詞を使ってる曲はいっぱいある。

こういう歌詞は「それは君の力です」「それは君がくれたものです」ということを言っていて、イコール「君は凄い/素晴らしい」ことを示している歌詞であって。

こういう歌詞はラブソングを「相手を肯定するもの」として成立させるものなわけです。愛する相手が絶対的な存在であるとしている。

それを『僕の思い込み』では〈僕の思い込みかもしれない〉と言ってしまってるわけで。

そして、それでも〈君の笑顔に癒されるんだ〉と言っていて。

それが凄い良い!と声を大にして伝えたい!

ということで核の部分から始まりましたが『僕の思い込み』編です。

Aメロがまず良い。

駅の改札出た辺りで
待ち合わせするのが好きなんだ
階段上がってくる人波に
君を見つけた時が嬉しい
一週間も会えなくて
いっぱい話したいことがある
スマホだけじゃ伝えきれない
ちゃんと目を見て話したい

普段から連絡を取っているが、それでも直接会いたい。直接話がしたい。それが待ち切れない。そういったソワソワしている様子が手に取るようにわかる歌詞である。

この箇所は〈僕〉のモノローグでしかないところが良い。実際の場面は描かれておらず、〈僕〉の頭の中で巡っている言葉だけが続いている。「~したい」という言葉が徐々に増えている感じが特に良い。

Bメロがまた良い。

短くした前髪の感じ
なんか新鮮だね

あれだけ! あれだけ会いたがっていたのに、直接会ったら髪型のことしか言えないわけです。しかも「似合ってるね」とか「可愛いね」とかじゃなくて〈新鮮だね〉。

言葉選びに〈僕〉のなんかこう、何とも言えないいじらしさが垣間見えるわけですが、いやいやこっちからしたら非常にもどかしい。

だがそれ故良い。〈僕〉の想いが手に取るようにわかる非常に重要なラインなのです。

ここで余談なんですが、この曲はイントロ、特に始まりの一小節がものすごく良い。AメロとBメロの間の「君に会った瞬間」をこの短いイントロだけで鮮やかに現している。

タラタタタン……タラタタタン!の部分、これが「人混みの中で〈君〉を探して、見当たらない、あっ……いた!」という瞬間の感情の機微を見事に表現している。

一瞬の切なさと、そこからパーッと景色が華やかに色付いていく感覚、〈僕〉が言う〈君を見つけた時が嬉しい〉が実現した瞬間がここで表現されているわけです。

このイントロでこの曲が始まるからこそ、一層〈僕〉の気持ちに重なりながらこの曲を楽しむことが出来る。

時系列的に進む歌詞における、ある種の予告編としてこのイントロが機能している。

実際そのような意図で作られたのかどうかはわからないけれども、今完成しているこの曲はイントロと歌詞が明確にリンクしてしまっている。

一曲としての完成度が高いと言うか、非常に深みのある仕上がりになっているわけです。

さて歌詞に戻りまして。サビは上に書いた通り。

なぜかな
君に会うと元気になれる気がして
つらいこと忘れられる

そうだよ
君に会うとたったそれだけのことで
また明日頑張れるんだ

〈君〉という存在が〈僕〉にとってそれだけ大きなものになっていると。心を救ってくれる存在でいると。そう言っている。

〈つらいこと〉〈明日頑張れる〉というワードからは、歌詞で詳しく語られていない〈僕〉の普段過ごしている日々がかなり過酷なものであるとも解釈できる。

(例えば、職場がブラック企業でハードな生活を送っている、とか)

そんなことも吹き飛ばしてくれる存在が〈君〉であると、ここの箇所ではそう言っている。〈君〉が持つ力、もたらしてくれるものがいかに強力であるかを述べている歌詞である。

しかし、その直後〈それは僕の思い込みかも知れない〉〈それが僕の思い込みだとしたって〉と、(一見)否定してしまう。

これは本当に否定しているわけではなく、「君が自ら(能動的に)その効力を僕に与えているわけではない」としているものと読み取れる。

つまり「君がそういう力を持つ存在ではない」ということではなく、「君にそういう想いがあるわけではない」「それを僕が勝手に感じている」といった〈僕〉の考えを示したものだ。

だけどそれでも、〈君の笑顔に癒されるんだ〉と言い切るわけです。

これが良い!

〈僕〉が自分自身で感じている〈君〉への想い(それが存在していること)を自ら「在る」としているわけです。自分の想いを絶対的なものとしている。

「好きになった相手」のことではなく、まず「自分から相手に向けた矢印」そのものを肯定している。

それが凄く良い!

ラブソングっていうのは、多くは相手に向けたメッセージであるわけです。

しかしこの曲では、〈君〉への想いをストーリーのように綴りながら、その想いそのものを歌っている。「この想いが存在しているのだ」という圧倒的な”点”を描いた歌詞になっているわけです。

だからこそ、2Bメロの康らしいあざとい歌詞もまた輝いて見えてきてしまうわけです。

当たり前の日常の中で
愛を見つけたんだ

これは〈学生街の喫茶店〉〈どうでもいい話しながら〉というAメロに続く歌詞ですが、その〈愛を見つけた〉というその瞬間はAメロで描かれている場面で起きたことでは無いのです。

”例えば今日みたいな”〈日常の中で〉、ということを歌っているわけで、つまりこれよりも前に〈君〉と過ごした時間の中で〈僕〉はその〈愛〉を見つけたと。

それこそ〈君に会うと元気になれる〉と気付いた瞬間と言うか。それを既に感じて、その想いを既に自覚した上で、今もなお〈君に会うと元気になれる〉という感覚が息づいている。

その”瞬間”が、その時から今まで(そしてそれ以降も)流れ続けていた時間とイコールで結ばれている。

この2Bメロは、ただ好きになった瞬間のことを言っているわけではなく、〈君〉と会って話している今この瞬間にも存在する〈僕〉自身の想いを示しているわけです。

「常にそれは存在しているのだ」と、そう言っているわけです。

高校生とかは「好きってどういう事?」みたいな「よくわかんない」みたいなちょっと斜めからの恋バナをすることもあったりするかと思いますが、『僕の思い込み』は「好きだという事」をとにかく肯定している。

「それによって自分が感じるものは今確かに存在しているのだ」と、〈君〉が何をしていることもなかろうとも、ということを歌っている。

タイトルもまた控えめで良い。自分の抱いている想いを『僕の思い込み』と表現しているんだから。

後ろ向きな気持ちでそう表現しているのではなく、「それでも良いんだ」と〈僕〉が確かに感じているからこそ、胸を張ってこう言っている。自分自身の想いに対する頼もしさがあってこそなわけです。

そんな『僕の思い込み』、24thのカップリングという(しかも通常盤)随分ひっそりと収録されていますが、間違いなく大名曲です。

僕はこの曲を愛し続けます。ねえ、明後日も、明々後日も。


ちょっと短いけど言いたいことが書き終ったので以上。




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