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『水ダウ』リアル人生すごろくとプロポーズについて ~あーんクロちゃん、1の世界の住人じゃないしん!~

TBS『水曜日のダウンタウン』において、1月8,15,22日と3週に渡って「新春クロちゃんリアル人生すごろく」が放送された。安田大サーカス・クロちゃんが、日常生活において気づかぬうちに1~6を選ばされ、止まったマスの出来事に実際に見舞われる、というものだ。

すごろく部分が2週かけて行われ、そのゴールとして用意されたものが「彼女・リチへのプロポーズ」であり、その様子が第3週目の内容として放送された。『水曜日のダウンタウン』を通じて結ばれた2人であるのだから、こうして機会が設けられるのも、良くも悪くも「ふさわしい」ものだったとも言える。

現在、その3編ともTverで観ることが出来る。リチとの交際のきっかけとなった『モンスターラブ』や、直接関係ないけど名作『名探偵津田(「犯人を見つけるまでミステリードラマの世界から抜け出せないドッキリ」)』も、全編Tverで配信中だ。

彼のプロポーズは、衝撃の結末を迎えた。スタジオゲストのバナナマン・設楽さんは「ハッピーエンド」と評したが、秀逸なコメントである。

そして、いち視聴者として自分も「すごいもん見た」という感覚になった。1,2週目の「力の入ったバラエティ」とは打って変わって、「人の人生の重要な選択」をまじまじと見ることが出来たのだから。

そして「クロちゃん」についてすごく考えてしまった。このnoteはそういう話である。

結論から言うとプロポーズは失敗に終わった。

それどころか、リチからのクロちゃんへの不満(と表現するにはあまりにも重く深いもの)を余さず言葉で伝えられ、最後には2人の関係に終止符が打たれた。

テレビで放送されたものなので、あくまでもエンタメとして受け取りはしたが、それにしてもリチの告白は壮絶であった。彼女が抱えていた悩みの吐露であったと同時に、「クロちゃん」という存在への鋭い批評でもあったし、人と人との関わり合いの本質みたいなものが備わっていた。

プロポーズを断り、「今日で全部終わらせたい」と口にした彼女は、クロちゃんと交際する中で以下のように感じていたと話す。

もう私はとっくに限界を迎えてました

ずっと「下に見られてるなぁ」って思いながら2年間過ごしてきた

私はずっとクロちゃんの理想の彼女を演じてきた
だから今までの私はホントの自分じゃない

対等に扱ってくれないから本音とかも怖くて言えない

ずっと見下されてる感じがした

私をデートに誘うのもSNSにアップするネタの為だけ
全部SNSの道具にされてるなって思ってた

クロちゃんが「好き」って言ってるのはホントの「好き」じゃなくて「好き」って言ってる自分が好きなんだろうなって毎回思ってた

カメラが回っていて、全国放送されることもわかっていて、その上で、あれほどまでに包み隠さず一つ一つ言葉にして目の前の相手に伝えたリチ。毅然とした態度と、それでも溢れる涙。あまりにも立派すぎる姿だった。

(「そうまでさせた」という残酷なものとしても機能しているが)

(こんな風に取り上げる奴も出てくるわけで)

奇しくも、前2週で行われた「人生すごろく」にて止まったマス、安田大サーカス・団長からの説教を受けた場面が、完全なる伏線として機能していた。

厳しく諭されたHIROへの態度、それを受けての「俺、何やってんだよ……」といったモノローグを口にしながら反省する様子が、リチとの対話の中でもすべてリフレインされていた。

すごろくの1マスという文字通り「全体のうちの一場面」だったものが、クライマックスに強烈な一撃として改めて機能している。秀逸な映画のような構成であった。しかしこれらの問題は同根であるので、当然の流れとも言える。

余談ついでにもう一つ挙げると、かつてクロちゃんが「喧嘩してもすぐ元通りに戻れるように」と願ってリチに渡した砂時計のネックレスが、今回リチの「出会うよりも前の関係へとすべてを元通りにする」願いを叶えるアイテムとして扱われたこともまた唸った。

キーアイテムに与えられた意味が、クライマックスにおいて完全に反転し、かつ、より大きな効果をもたらしたのだ。並大抵の演出ではない。演出と言うのは良くないか。

閑話休題。

ともかく、クロちゃんのリチに対して取ってきた態度や言動は(リチの発言から窺い知れるだけでも)、とても誠実とは言い難いものであったのは事実。

自身の嗜好は蔑ろにされ、本心を打ち明けられない状態に追い込まれたリチは、「クロちゃん」の被害者と言ってしまっても仕方ない。

それこそテレビに出て聴衆の前に身をさらし、元あった生活を変えてと、そうしたリスクを背負ってでも、「会いたい」と思えるくらいにクロちゃんのことを彼女は好きだった。

そんな好きだった人を、好きではなくなってしまうことの悲しさ。推測ではあるが、リチが流した涙には、クロちゃんとの関係の中で生まれた苦しみだけではなく、そうした悲しみも含まれていたのではなかろうか。

さて、今回のプロポーズ失敗と破局は「なるべくしてなった結末」であろうが、改めて考えると「クロちゃん」の被害者はもう一人いる。

言うまでもなく、黒川くろかわ 明人あきひとのことだ。

広島県に生まれ、幼い頃から憧れたアイドルになることを夢見て松竹芸能に入所し、後に安田大サーカスの一員になる青年・黒川 明人。

彼は「クロちゃん」になるわけだが、クロちゃんとは黒川 明人なのだろうか。

リチが「理想通りの彼女」を演じさせられてきた、SNSのために扱われてきた、本当の自分を見てくれない、と吐露したこと。それらは「クロちゃん」から見た黒川 明人にも当てはまるのではないだろうか。

いや、もちろん、クズだなんだと言われる彼の性質は「クロちゃん」という演じられたキャラクターであって黒川 明人はまったくの別人である……という事もないだろう。彼の本性である部分も大いにあろう。だが少なくとも、所謂いわゆる「オン・オフ」が今の彼には無い状態であることは察せられる。

リチとのデートもSNSのネタのためでしかない……という事実は、裏を返せば、仕事中もプライベートの時間も常に「クロちゃん」でい続けている(しまっている)状況にあるということの証左だ。

そうさせる"枷"として最も象徴的なものは、『水ダウ』によって自宅に設置されたカメラだろう。

それ以前(あのカメラ設置というよりかは、ドッキリのための隠し撮り全般が常態化する以前)のクロちゃんと黒川 明人がどうだったかは知る由もない。もしかしたら以前以後で全然変化していないかもしれない。だが、影響がないとはさすがに思えない。

隠し撮り云々だけでなく、そもそもSNSというツール自体がそれを加速させたであろうことも想像に難くない。Twitter(現X)で常に一挙手一投足を発信していることはもちろん、自宅でもTiktok配信やら何やらを頻繁に行っている様子も今回数多く取り上げられた。

その状況下で鼻ほじってパクっといけてしまうのも、衛生観念はさておいても、彼の「プライバシー」としての存在、生活者・黒川 明人が、そこにいないという事ではないか。

少なくとも2025年1月現在、彼は常に「クロちゃん」であり続ける人生を送っていることは確かだ。まさに「人生すごろく」である。

人生すごろくの中で、ファンに声を掛けられる場面があったが(一部はドッキリであったが)、「クロちゃんさんですか?」との声掛けに間髪入れず「あーん、アグネスチャンさんみたいに言わないで!」と返していた姿には息を巻いた。ファンサービスとしては満点だろう。

だが同時に、それは街を歩いているだけの状態でも「オフ」ではないから可能、という事でもある。芸能人が、街中で突然ファンに声を掛けられたが動揺してうまく応対できなかった、なんて話はよく交わされるが、カメラの前やステージの上でなければ「オフ」でいることは当然のことである。しかし、クロちゃんから「オフ」は取り上げられてしまっているのだ。

これは「そこまで追い詰めたのは水ダウの責任だ!」と言いたい訳では全然ない(一面だけを見れば、そう捉える事も可能かもしれないが)。

これは「クロちゃん」というキャラクターが生まれた時点であり得る事であったし、それが実現されたという状況だろう。

特にお笑い芸人はキャラクターを演じることがままあるが、大なり小なりその苦労は語られている。「芸人としての自分と実際の自分の違い」が苦難をもたらすわけだ。要は、私生活の中ではキャラクターでいられない(が、求められる)、あるいは、私生活の中でもキャラクターが出てしまい実際の自分の感覚がないがしろにされてしまう、という状態だ。

彼の場合は、それが後者のような、「生活者・黒川 明人が、表現者ないし表現物・「クロちゃん」に浸食される」という形で発露したのだ。

そう思えば、リチがあのような苦悩に至ったことも、残念ながら腑に落ちるというものである。結局のところ、『水曜日のダウンタウン』における「クロちゃん企画」を通して出会った以上、それは「クロちゃん」に内包される存在であるわけだ。

つまり、『水ダウ』の文脈で形容するならば、クロちゃんもリチも「1の世界」の住人なのである。これは放送中からTwitter(現X)などで指摘されていた。

『名探偵津田』の中で、「1の世界」に捕らわれた「2の世界」の津田が頭を掻きむしり混乱している場面がたびたび切り取られたが、幸いにもあれは徹頭徹尾「番組のロケ」の中で行われたことだった。

一方、「クロちゃん」という存在自体は、もはや番組やロケを飛び越えた「1の世界」そのものなのだ。リチは「見下されているように感じていた」と語っていたが、彼女にそう感じさせた扱われ方の正体は、「クロちゃん」に内包される存在として扱われてきた、ということではないか。

そして、本来的には「2の世界」の住人である生活者・リチはそれに限界を感じてしまった。そりゃ、『モンスターラブ』に参加するまでは一般人であったのだから当然である。「1の世界」たる表現物・「クロちゃん」に内包された存在であることを期待され続ける状況は、これまた当然、彼女には負担でしかなかったのだ。

「対等な関係でいたかった」ともリチは述べたが、単なる上下のある関係(と彼女自身は感じていたことだろうが)ではなく、住まう世界が違ったわけである。上から目線ならぬ「1から目線」でクロちゃんはリチに接し続けていたと言えよう。

クロちゃんの様子は映画『トゥルーマン・ショー』に例えられることもよくあるが、明るく暮らしてきたトゥルーマンが、次第に違和感を募らせ、果てには外の世界へと飛び出したように、リチも「クロちゃん」という「1の世界」の住人では居られなくなった。ゆえに今回のような結末が(なるべくして)訪れたわけだ。

そう考えたら、振られた直後の彼の「何やってんだよ俺は!」という主人公ムーヴ紛いのモノローグは、「もう一人のボク」たる黒川 明人が、「2の世界」からクロちゃんに向けて投げ掛けている言葉……とも解釈することが出来る。

まあ、1の世界とか2の世界とか「クロちゃん」とか関係なく、黒川明人のモラルに難ありってだけかもね!

以上。




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