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『乃木坂46シングル曲が物語る"今"』その1(ぐるカー~希望まで)

(2021年3月、一部修正・追加)

アイドルグループのシングル表題曲は、「常に同じ方向性の(そのグループの”色”を示すような)”シングルらしい”楽曲である場合」と、「リリースの度に曲調や歌詞の意味合いに変化を持たせ方向性を様変わりさせる場合」と、大きく分けてこの二通りのパターンが見られる。

そして乃木坂46のシングル曲を振り返ってみると、後者に当たるように思う。かつそれは、乃木坂46というグループのその時その時の状況を表していたり、あるいは提示したい姿勢・スタンスを投影しているような楽曲になっているんじゃないか、と思い至った。

今回はそれを1stシングルから順にまとめてみた。

まとめてみたら大変長くなりそうなので、何回かに分けて公開する。

(2019年4月初旬時点で22シングル、今回が5曲分になったので、単純計算で全部で4回程度になる見込みです)

(追記:5回になりました)

「フレンチポップス路線」

さて、早速始めたい。と言いつつ『ぐるぐるカーテン』~『走れ!bicycle』までの3曲は平行して書いていきたい。というのも、全て曲調が同系統にまとめられているからだ。

これらの表題3曲は、いずれも所謂「フレンチポップス」というジャンルに括られる。

この「フレンチポップス」というキーワードは、総合P・秋元康(敬称略・以下同)によって以下のように発せられた。乃木坂46結成前からグループそのものの特色として取り込もうと構想していたようである。

あと最初から僕は、フレンチポップスをやりたいと思っていて。パリのリセエンヌ的な雰囲気のグループにしたいというのが大まかにありました。
(別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.2「SPECIAL INTERVIEW 秋元康」から引用)

これはもちろん「グループの(対外的な)イメージを固めるため」だと思われる。上記の康の発言にもあるように「グループの雰囲気≒世間に広めたいイメージ」を統一させ、受け手としても受け止めやすくさせる、「曲を通して乃木坂46のイメージを世間に与える」ための路線と言える。

センターを始めフォーメーションを1~3枚目の間大きく変更しなかったのも、この「イメージを固める」という意図からくるものではないか。センターを務めていた生駒里奈には、まさしく”乃木坂の顔”としての役割を担ってもらっていたわけである。

その中でも、各曲ごとになんとなく”ねらい”も見える。以下から個別に見ていく。

ぐるぐるカーテン

1stシングル『ぐるぐるカーテン』の曲調はとことん”わかりやすさ”に比重を置いている。「聴きやすさ・覚えやすさ」とも言い換えられるが、つまりは誰にでも受け入れやすい曲として作られている。

早すぎないテンポ、なるべく表拍に入ってくる譜割、(一部を除き)終始保たれる四つ打ちのリズムパターン、サビから歌が始まる曲構成など、その”わかりやすさ”の特徴は枚挙にいとまがない。

これは「まずは認識してもらう」ために徹底して耳馴染みのいい曲になるよう意図して作ったものと考えられる。

また『ぐるぐる~』に限った話じゃないが、〈カーテン〉など、曲のタイトルや、タイトルに含まれるモチーフ(の単語)から歌詞が始まるのもポイント。楽曲を何気なく耳にしたとき、曲名と直結させやすくなるなど、馴染みやすさに一役買う要素となる。

更に歌詞に関して、〈彼女と私〉というフレーズに代表されるように「女子同士の世界」の世界が描かれており、それは「秘密の花園」といった雰囲気さえ醸しているように思う。以降〈君〉と〈僕〉の世界を描いていく乃木坂46楽曲としては珍しい。

これは推測だが、描かれているのは男子のいない世界ではなく、男子である「〈僕〉から見た女子の世界」ではないかと思う。

詳しくは後述するが、『ぐるぐるカー~』時点では〈君〉と〈僕〉の距離感は他人同然。故にそこで交わされている会話をすることすらできない。〈何を話してるのか?/教えないよ〉〈男子禁制〉とは、〈僕〉側から近寄りがたく感じているための勝手な想像ですらあるだろう。

この〈君〉と〈僕〉の距離感は、「乃木坂46」と「ファン」の距離感になぞらえることがおそらく可能である。デビューしたての彼女達を何も知らない、そんな状態と重なり、そして2nd以降を追って、その距離は少しずつ縮まっていく。

おいでシャンプー

2ndシングル『おいでシャンプー』の曲調は、わかりやすさ重視だった『ぐるぐる~』と対象的にかなり軽快なものに変化した。とはいえ「フレンチポップス」の系統から逸脱してはおらず、とりわけ重点が置かれたのはそのテンポとリズムパターン。

歩くようなテンポだった『ぐる~』と違い、『おいで~』は冒頭から駆け抜けるようなスピード感で始まる。そしてサビのうねるベースライン含め、Aメロ、Bメロ、サビ、と全て異なるリズムパターン。これは4つ打ちが主体だった、言ってしまえば単調だった『ぐる~』に対して、差別化を図る意味で組み込まれたポイントと考えられる。

歌詞に着目すると、遠巻きに見るしか出来なかった『ぐる~』からは変化し、〈君〉と〈僕〉の交流が始まっている。「プール掃除」というシチュエーションから、たまたま同じ場にいる程度の関係性であることを示し、更に夏の予感が淡い恋のはじまりと重ねられている。

言葉を交わせる程度には〈君〉に近付いた〈僕〉が、〈恋なのかなあ/かもね…〉と自身の想いを自覚しつつある状態は、乃木坂46を知り始めたファンの心境と同等、と言えるかもしれない。

走れ!Bicycle

3rd『走れ!bicycle』は管楽器の音が取り入れられて軽快さをより増していたり、それでありつつ、『ぐるぐる~』『おいで~』と比べて切なさを感じるメロディラインを採用していたりという点が、この曲ならではの特徴と言える。

サビでハイハット・シンバルが刻むチャカチャッ、チャカチャッというパターンが、自転車が車輪を回すイメージを想わせる。その性急なリズムは恋焦がれている〈僕〉の心情も現れている。

切ないメロディは、歌詞に書かれている「夏の終わり」の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。夏が終わり、解放的で楽しかったあの時間が思い出になっていく。そんな季節の変化が誘発してくる"センチメンタルさ"を演出している。

また「夏」というキーワードを基に歌詞に注目すると、『おいで~』において〈夏の日差しと風〉〈水の無いプール〉と夏の始まりを描かいているのに対し、『走れ~』は<終わる夏〉というワードが出るなど夏の終わりを描いていることがわかる。

『ぐる~』⇔『おいで~』以上に『おいで~』⇔『走れ!~』の2曲間の繋がりの強さを感じるが、実際〈僕〉の〈君〉への恋心がさらに加速している。

〈僕も君が好きなんだ/両思い〉と言っていることから自身の気持ちに確信を抱いており、いてもたってもいられないくらい強く想いが溢れているようだが、しかし、他の部分も合わせて参照すると、やや暴走気味なようにも取れる。その結果は……一旦保留。

以上、ここまでの3曲で、バリエーションは富んでいながら「フレンチポップス」という一定の路線で楽曲を立て続けにリリースし、華やかだけどどこかおしとやかな「女子高っぽさ」を感じる上品なイメージを作り上げてきた。かつ歌詞も徐々に〈君>と〈僕〉の距離が縮まり想いが募りと、緩やかに繋がっていながら変化していっている。

そして続く4thでは、これまでの「フレンチポップス路線」を破壊するかのように、全く違った印象を受ける楽曲となっている。

制服のマネキン

4thシングル『制服のマネキン』。この曲の役割は、上にも書いた通り「作り上げたイメージの破壊」。

一聴しただけでわかる曲調の変化、”ダンス”として一段レベルが上がった振付、これまでとは目線が大きく異なる歌詞、MVの雰囲気もこれまでの楽曲にみられたポップさやカラフルさは廃されている。

約1年強かけて完成しかけた『乃木坂46』のイメージを早速塗り替えるように、「イメージの完成」が「盛り上がりの停滞」にならないように、4枚目となるこのタイミングで満を持して用意されたものと考えていいだろう。

曲調が変わったことで、そのサウンドにも大きく変化がある。曲の頭から一貫してバリバリEDMな電子サウンドのユーロビート。「これまでとは違いますよ」ということを打ち出している。

(それでいて間奏ではスパニッシュなギターソロ。EDM一辺倒は避けつつ、これもまた1st~3rdには無い音のチョイスである)

また、「ユーロビート」というジャンルを採用しているところもポイントだ。アイドル楽曲には、音楽における時代とかジャンルの壁とかを超えてフラットに提示できるところが一つの存在意義としてある。

またこの曲を語る上で気になるのは、センターを務めた生駒里奈の存在。1stからそのままこのポジションを継続しているように思えるが、個人的には「そうではないかも」と考えている。

彼女は、メンバーの中でも当初からそのダンスの技術は頭ひとつ抜けていた。これまでと比べ難易度の上がったダンスチューンである『制服のマネキン』のセンターを誰にするか、そういった議論の際にフラットな目線で実力に対する評価を以て改めてセンターに抜擢された。そんな風に思えてならない。

(具体的な根拠は提示できないのが正直なところだが、他にもセンターを務めた楽曲がある中、この『制服のマネキン』こそが彼女の代名詞のようになっていることが、一つの裏付けと言えるかもしれない。)

そしてこの事は、秋田から出てきたばかりの少女が1人のパフォーマーとして確立したことを示す。それが同時に、結成から1年4ヶ月、CDデビューから10ヶ月を経て、乃木坂46がアーティストとしてのレベルアップを重ねているということを物語る。

そんな風に、グループのレベルが一段上に上がったことを指し示す楽曲と言える。

余談として、この曲のカップリングに「フレンチポップス路線」の余波かのような楽曲『春のメロディー』が収録されているのも面白い。

君の名は希望

じっくり時間を掛けて「イメージの構築」を行った1st~3th、それを「破壊」するように新たな面を見せつけた4th。5thシングルとなる『君の名は希望』では、それらを経て一度まっさらな状態に立ち返り、そして辿り着いた”答え”のようなものを提示している楽曲となった。

とりわけ、歌詞に注目したい。

『~マネキン』の項では割愛したが、ここまでの1st~5thまでの歌詞は繋がっており、一貫したものと見ることが出来る。1st~3rdの繋がりは既に先述したが、4th『~マネキン』5th『君の名は希望』もそれぞれ、3rdから続く〈君〉と〈僕〉、と言うより〈僕〉の内的な心情を描いている。

遠巻きに見るばかりから『ぐる~』から、想いを伝えたい衝動に駆られるところまで〈僕〉が変化した『走れ!~』。それは暴走気味と上で書いたが、『~マネキン』ではそれが更に加速していた。

描かれていたのは常に〈僕〉のみ。実際の〈君〉の真の想いが見えないまま、〈僕の両手に飛び込めよ〉〈君の気持ちは分かってる〉と叫んでいる。〈生まれ変わるのは君だ/僕にまかせろ〉というラインは独善的でさえあるようにも思える。『~マネキン』の〈僕〉は、いわゆる「前しか見えない状態」になっているのかもしれない。

(一方で、〈君〉〈僕〉が乃木坂46とファンになぞらえられるとしたら、『~マネキン』はそれは逆転しているとも見れる。アイドルが好きだと宣言することに二の足を踏んでいる人に向かって〈僕の両手に飛び込めよ〉と手を差し伸べているのなら、それはあまりにも頼もしく、独善的なんてものではないだろう)

そんな『~マネキン』があっての『君の名は希望』である。

端的に言えば、〈僕〉が「実存」を掲げる歌詞だ。その恋が成就したかどうかではなく、「君が好き」だというそれだけで僕は嬉しいのさ、である。

孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた

他者の存在を認識し、受け入れ、また他者に認識されることを〈居心地がいい〉としている。そのことを理解した上で、〈土のその上に/そう確かに僕はいた〉と気付く。

こんなに誰かを恋しくなる自分がいたなんて

キラキラと輝いている

このラインからもわかるように、〈僕〉が思っているのは、恋が実って嬉しい、恋が破れて悲しい、ではなく「誰かを強く想える自分」の存在を何より喜んでいる。

つまり『~希望』は「誰かを好きになること」自体を肯定していると言える。その想い自体が自分自身を形どるものであり、人を前向きにさせる。それを〈希望〉と呼んでいる。

この構図を敢えて乃木坂46とファンになぞらえるならば、〈君〉〈僕〉のどちらかではなく、どちらにも乃木坂46とファンが当てはまるかもしれない。「アイドルを応援したい」「ファンを喜ばせたい」5thにまで至って確立されたそれぞれの想いが、『君の名は希望』にあり、相互に作用している。

どんな時も君がいることを
信じて まっすぐ歩いて行こう

サウンド面についても触れたい。

美しいピアノとストリングスの音色に、合唱曲を思わせる落ち着いたメロディ、シリアスさを感じるパートを経て、爽やかなサビに向かって開けていく構成。

「乃木坂らしい曲」としてしばしば挙げられる『何度目の青空か?』『羽根の記憶』『悲しみの忘れ方』『きっかけ』などと共通して見られるこれらの特徴は、この『君の名は希望』から始まった系譜である。この他の楽曲も含め、作曲者・杉山勝彦氏の本領発揮とも言える曲で、以後彼は乃木坂46の重要なタイミングで度々起用されることとなった。

「乃木坂らしさ」の一端を担う、楽曲面においての象徴としてこの曲があるという事実をして、乃木坂46が『君の名は希望』を以てひとつの完成を見た、という結論をここに出したい。

またそれは、1stシングルからセンターを務めてきた生駒里奈が、その任を解かれたこととも紐付けられる。

デビューから5枚分の時間をかけて、変遷を経て、乃木坂46が辿り着いたスタンス。そんなグループの成り立つ様を、一人で秋田から上京してきた少女・生駒里奈がアイドル・乃木坂46の生駒ちゃんへと成長していく過程に投影することで、こちらに見える形にしてみせた。

そして、それと同時に新たなセンターが誕生したことによって、次以降のシングル曲で新たな方向性へと進んでいく……かもしれない。

その2につづく。


明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。