『欅坂46 THE LAST LIVE』感想
10月12日、13日に『欅坂46 THE LAST LIVE』が開催されましたね。
このご時勢、準備から段取りから何からなにまでどう考えても制限だらけ、確定的な情報を出すことすらもおそらく困難だった中で、無事ここまで漕ぎ着けていただきまして。
特に、配信か否かの決定のタイミングや、櫻坂46始動まで活動休止するのかどうかの周知等、よっぽどバタバタしていたことが察せられる場面も。本当に、その苦労は察するに余りある。
出演したメンバーはもちろん、配信を支えたスタッフの方々、調整に走った各所の方々には頭が下がるばかりです(考えうる最良であったと心から思います)。
そして結果として、無事にあれ程の良いものを見せてくださって、本当に、本当にありがとうございました。
さて、そんな『THE LAST LIVE』、もうね、とんでもなく良かった!欅坂46最後のステージとしてあまりにもふさわしい2日間だったと思います。
そして、そのライブは凄く「欅坂46」らしい、彼女達にしかできないものだった。そんな風に思います。
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個人的な印象ですが、例えば乃木坂46のライブは、今や全てを通してこそ完成している壮大なサーガのように感じていて。
まるで、これまでとこれからが常に連綿と続いている分厚い本。ライブを経る度に(全体、アンダーライブ、若いメンバーのライブ、そのどれも)一ページずつ増えていき厚みが増していくようなイメージ。
対して欅坂46は常に”NOW”。その時その時のライブには、これまでとこれからがまるで切り離されていて、常に「今」だけを見せるような刹那的な威力を持ったもの、というイメージを感じておりました。
それはあながち的外れではないと思うんだけども、特に今回、「最後」であることと結び付いて、それはもう凄まじいエネルギーを放っていた!
つい「圧倒された」という一言で纏めてしまいそうになるくらい!それくらいの、言葉を失うほどのものでした。
もちろん実際は、彼女達にはこれまで培った歴史、経験があって、当然それが確かに現れたパフォーマンスだったんだけども。
(例えば、今回パフォーマンスにおいて特に活躍していた印象の小池美波ちゃんや山﨑天ちゃんは、ここまで積み重ねて積み重ねてその頂点を見せていたように思います。『二人セゾン』『アンビバレント』『コンセントレーション』辺りはやばかったですねマジで)
でも、やはりライブ全体の印象としては「今しかない欅坂46」を強く感じるものだったなと。思った次第です。
特に象徴的なのは2日目ラストの『サイレントマジョリティー』。
1日目最初の曲も『サイレントマジョリティー』であったわけだけど、いやだからこそ(それを踏まえての)ラストの『サイマジョ』はすごく重要な意味を持っていて。
そのパフォーマンスは、抽象的な表現で申し訳ないけど、まさに"全身全霊"。
メンバー全員の中で「これで最後だ」という想いが漲っていて、怒りなのか悲しみなのか”本気”なのか”覚悟”なのか、きっと本人達しか理解し得ない感情のこもった表情を携えたそれは、間違いなく、あの日しか為し得ない『サイマジョ』。
あのパフォーマンスは彼女達の、『サイマジョ』が、そして欅坂46が絶対的に自分達のものであると証明して見せるものであり、そして「私達が欅坂46だ」という宣言のようだったと思います。
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特に、1日目とは違い、新2期生含めた27人でのパフォーマンスだったことがまた重要で。
1日目の『サイマジョ』は、これまでのパフォーマンスに続くものと言うか、「この曲で欅坂46は始まった」ということを示すためのポジションにあったように思う。
つまり「『サイマジョ』で始めること」にまず意味があり、そうすることで彼女達が「欅坂46」を清算していくと言うか、彼女達が「欅坂46」に真っ向から対峙するためのものだった。
対して最後の『サイマジョ』は、言葉の通り正真正銘「欅坂46」として最後の『サイマジョ』であって。
1日目ラストの『黒い羊』では、曲の最後、今までになかった手を取り合う演出があったけど、向き合い方としてはそれに近いものがあったように思う。
新2期生という新たなメンバーを加え、かつ佐藤詩織ちゃんという結成から今まで共に歩んできたメンバーとのステージはこれが最後であり、そういった部分を取っても、紛れもなく「今」しか出来ないパフォーマンスであって。
そのことが「LAST LIVE」の「最後の曲」であることと紐付いて、「始まりの曲」であった『サイマジョ』がここに来て新たな意味を持ったと言うか。
1日目終了後のファンクラブ会員チケット限定のトークで山﨑天ちゃんが「欅坂46を格好良く美しく終われたら」と言っていたけど、まさにそれで。
2日目のエンドロールにも使われていたことも踏まえて、「欅坂46」を象徴する楽曲として『サイマジョ』が更にワンステージ上に辿り着いたんじゃないかと思います。
そしてそのことが、ひいてはあの27人の辿り着いたステージでもあると。そのことを示す楽曲として『サイマジョ』が完成したと強く感じました。
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そう言った意味だと、今回出番が限られていた新2期生も、一つの舞台装置的に(この表現は合っているやら)活躍していたと言うか。
参加曲が限定されていた新2期生がここで参加することはある種の演出として機能していて、「今の27人の欅坂46が全員揃う」ということを曲の意味合い・メッセージとして示すための役割を果たしていた。
新2期生がパフォーマンスに参加したのは(櫻坂46 1stの『Nobody’s fault』を除くと)1日目の『黒い羊』、2日目の『太陽は見上げる人を選ばない』、『誰がその鐘を鳴らすのか』、『サイレントマジョリティー』。
ラストシングル『誰鐘』は言わずもがなとして、元々けやき坂46を含めた「全員曲」であった『太陽は』も"全員が揃ってこそ"の曲故に参加の意義がある(途中から合流する演出は、単に「欅+けやきでのパフォーマンスの再現」ではないことを表してるようで良かったですね)。
そして良くも悪くも一楽曲の域を超えた、グループ性そのものと密接な『黒い羊』『サイレントマジョリティー』は、上にも散々書いた通り、今回のライブで"今いる27人"でやってこそ。
『黒い羊』はラストの手を取る演出含めグループのこれからを予感する新たな魅せ方を持ったものだし、『サイマジョ』も上で書いたように1日目の最初にやった同曲との対比でもって”今”を示す。
それは全て「27人全員が揃った」ということがあってこそ始めて機能する要素であり、グループがここまで歩んだ歴史の上に立つものとしての完成度を楽曲が持っていたなと感じました。
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で、そう感じながら観る『サイマジョ』はまた、歌詞があまりにも刺さると言うか、効いてしまうと言うか……。
これらの言葉は、彼女達にとって「達成した」と言うより「これから真に実現する」ものであり、つまり「今なお叫び続ける」言葉であって。
それは今いる(1期生、2期生、そして新2期生、もちろん佐藤詩織ちゃんも含めた)仲間達とだからこそ叫べるもので。
歌も、完全な生歌ではないものの、でも確かにマイクにメンバーの声が入ってたんですが、それは最早”悲痛”でさえある(無論「LAST」に対する)ものだったように聴こえたり。こちらもまたあの瞬間にしか出せないもので。
ともかくそれをあのパフォーマンス、あの表情に乗せて放たれてしまうと、もう、正直涙が止まりませんでした。エンドロールまでずっと。
そんな全員によって披露されたあれは、紛れもなく、欅坂46史上ベストと呼べる『サイレントマジョリティー』だったと思います。
これまで多くのメンバーとの別れがあり、壁に突き当たり、立ち止まることも強いられた彼女達でしたが、最後の最後にあれほどのものを見せてくれて、もう感謝と感動しかない。
「誰々がいないと」なんて言葉は全くふさわしくありません。27人の境地は唯一無二であり、誰に覆されるものでもない。
願わくば、「No」と共に歩み始めた彼女達が、いつか晴れやかに「Yes」と言う日が訪れんことを。
ありがとう、欅坂46!
がんばれ、櫻坂46!
以上。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。