『Sing Out!』/乃木坂46の歌詞について考える
2019年5月29日発売の乃木坂46・23rdシングル『Sing Out!』。若きエース・齋藤飛鳥がセンターを務める、クラップとストンプが印象的なゴスペル風の楽曲である。
……という説明では間に合わないくらいには、今や乃木坂46にとって大変重要な曲であるように思う。
<Bring peace!>という単純明快にして壮大なメッセージ、ゴスペルという(下地としての)ジャンルが示す意味、観客とのシンガロングを明確に求める楽曲のその構造まで含め、この曲はグループが『君の名は希望』や『シンクロニシティ』を経て辿り着いた一つの到達点と言える楽曲だ。
乃木坂46が結成から8年が経過し「国民的アイドル」という看板を背負うようになった今、彼女達がこの曲を歌うことの意義は測り知れない。
2019年の『真夏の全国ツアー』ではバックバンドを携えた生演奏で楽曲披露が行われ、それは<Clap your hands><Stomp your feet>に見られる「(人が)鳴らす」という行為こそ、この楽曲の象徴するところであると、本質的に表した演出であった。
(参考)
そんな『Sing Out!』、いざ歌詞を見てみると、並んでいる言葉は非常にわかりやすいものばかりだ。
細かな情景描写があるでもなく、難解な詩になっているでもなく……およそ全体に渡り、ストレートなメッセージが主となっている。
もちろん、だから歌詞が弱いだとか、これがこの曲のウィークポイントだとかそういうことを言いたいわけではない。
上で用いた言葉を引用するなら「単純明快」なのだ。考えさせる詞もいいけれど、誰にでも等しく伝わる言葉だって大切だ。『Sing Out!』という楽曲が担う役割を鑑みれば、むしろ必然的なことと言える。
そして「単純明快」が故に、そのまま受け止めることも出来れば、逆に幅広く解釈することが出来る。
今回やりたいのはそれである。
今回は『Sing Out!』の歌詞を解釈をするに当たっての、一つの”角度”を提案したい。まあ、実際は3つなんだけれども、ともかく解釈のその”角度”をここで提案したい。
ここにいない誰かのために
注目したいのは<愛の歌>たる『Sing Out!』の、その言葉を向けた対象である<ここにいない誰か>だ。
これは素直に読み解けば、『君の名は希望』のような「僕」対「君」ではなく、『シンクロニシティ』のような「僕」と「君」の関係を超えた”遠くにいる他者”まで目を向けた言葉のように思える。
もちろんその見方は正しい。『シンクロニシティ』によって広がった視野をそのままに、より純粋な祈りを込めた楽曲が『Sing Out!』である、と言い切っていいはずだ。(そのことを示すように、広がるように円を描く振付がリフレインする形で取り入れられている。)
(参考)
だからこそ、この楽曲は”誰かに寄り添う”その行為を、他の楽曲のようにストーリーとして描くのではなく、言葉に起こす形ではっきりと表明した。
「君」や<誰か>に救われた「僕」の想いを通じてその愛の存在を謳うのではなく、確かな愛を胸に「僕」から<誰か>への言葉として発信したもの。
そういった構造であるから、『Sing Out!』が求める祈りは、街中の雑踏に潜むのではなく、どこまでも壮大だと受け取ることが出来る。そしてその”祈り”は、<Bring peace!>という言葉にも明確に現れている通り、平和を望むものだ。
それを答えだとする上でのヒントもまた、楽曲の歌詞の中に隠れている。注目したいのは<風>というキーワードだ。
ただじっと風に吹かれて
『Sing Out!』において、<風>というワードは二度現れる。まず用いられる箇所はサビであるが、こちらはAメロで描かれた情景を踏まえた上での”遠くまで届く便り”としての役割を表したものである。
対して二度目、これは一度目とまた違う形で用いられている。ここでは、<僕>が<泣いてる人>と共に置かれた風景を表す描写だ。
この二度目において描かれた風景、これは比喩のようでもあり、情景を切り取ったようでもあり……どこか曖昧だ。ストレートなメッセージに重きを置いた『Sing Out!』の歌詞において、こういった想像に委ねられる描写は異質な存在とも言える。
故に、この言葉そのもの、この言葉が歌詞に現れること自体に意味があるのではないか。言葉がそのまま意味を持つというより、その先の意味を示している。そう仮定し、その示すところを探ってみよう。
<風に吹かれて>というラインから思い起こされるのは、やはりボブ・ディランの代表曲『風に吹かれて(原題:Blowin' in the Wind)』である。
Wikipediaにある『風に吹かれて』についての記載を引用しよう。どういった楽曲であるかを簡潔に解説してくれている。
上記の通り、『風に吹かれて』という楽曲はプロテスト・ソングとして広く歌われた楽曲である。上記引用の特に前半部、非常に具体的な表現が並んでいることは読んで字の通り。
これらの表現から『Sing Out!』の<ここにいない誰か>という言葉の意味を探ると、明確過ぎるくらいに明確な答えを連想することが出来るだろう。
<ここにいない誰か>とは、つまり<砲弾>や<武器>によって失われた命を示すものだ。いや、実際その意味をはっきりと持たされた上で乃木坂46が歌っていることはないだろうが、文脈を広げて解釈した結果、ここに行き着いてしまう。
『風に吹かれて』はあくまで今回用いた補助線の一つに過ぎないとはいえ、<Bring peace!>──”平和”というワードが楽曲において重要なものとして現れている以上、無関係なこととして切り離すことはできないように思うのだ。
しかし、そうであるが故に『Sing Out!』は<愛の歌>である、としたい。そういったセンセーショナルな”このせかいのできごと”からも目を逸らさず、それでいて攻撃的に立ち向かうでもなく、ただ純粋な祈りを以てそうした存在(<ここにいない誰か>)に想いを馳せることが出来る。それが、今の乃木坂46であり、『Sing Out!』という楽曲ではないか。
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個人的に敬愛してやまない、中村一義というアーティストがいる。
彼は、<「忘れない」を忘れない>という歌詞を、自身の楽曲で二度に渡って(それぞれ異なる意味を持たせて)用いた。一度目は自らの生きた証を形にするものとして、二度目は3.11を経て。
その、特に二度目の<「忘れない」を忘れない>と同質の想いがこそ、『Sing Out!』に秘められたもののように思う。出来ることは限られているかもしれない、力は足りていないかもしれない、それでも……という想いだ。
そうであるから、<ここにいない誰か>を想って出る言葉が<今何ができるのだろう>という、自分がどうするか、という自分に対する問いなのだ。その想いは、自分の胸の内に小さく収束しては、<この想い届け>と広く解き放たれる。
それをこうしたグループにとっても重要な楽曲である『Sing Out!』を通じて広く共有することができたならば、<Bring peace!>も本当に達成できるのではないか。
<Everybody be happy!>という言葉は、単純なようで、実に壮絶なまでの強い願いだ。そんな願いを彼女たちに託すことが出来るのならば……ただ僕が言いたいのは……、
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と、やりすぎなくらいに広く『Sing Out!』の<ここにいない誰か>を解釈してみた。
ここで念押しするが、あくまで解釈の一つの角度として、一例を挙げたまでである。ここまで書いた内容は、この楽曲が持つ思想を断定するようなものではないと、ここで断っておきたい。
しかしながら、散々広く考えてみたが、乃木坂46というグループを取り上げるのなら、逆にとことん彼女たちにフォーカスを絞り込んで考えることもしたい。
乃木坂46の楽曲である以上、乃木坂46における<ここにいない誰か>の具体的な意味も見出したくなる。
と言うよりも、彼女たちが纏うストーリーによって、それは独りでに意味を持ち始めてしまう。
いつか大声で歌う日が来る
23rdシングル『Sing Out!』の発表に前後して、3期生メンバー・山下美月がシングル作品の活動への参加の休止を発表する。個人の活動とのスケジュール上の両立が困難であることが主な理由であったが、同時に体調も思わしくなかったらしく、一時的な離脱を余儀なくされた。
当初予定されていた選抜メンバーとしてのポジションにも影響があり変更が発生した……という真偽不明な噂もあったりしたが、ともかく個々のメンバーが感じた衝撃は少なからずあったことだろう。
発表の少し後、同じく3期生メンバー・久保史緒里が自身のブログにひっそりと綴った言葉がある。
この言葉のすべての真意こそ推し量れないが、山下への想いが現れたものと見ていいだろう。彼女もまた休む選択をした経験があり、また山下との関係性を踏まえると、より強い想いがあったであろうことは想像に難くない。
「待つ」という言葉、仮にそれがなくとも、彼女へ向けた想いと共に『Sing Out!』に臨む。それは久保に限った話ではないだろう。”いた”はずの人が”いない”、そんな事実をそれぞれのメンバーが大なり小なり受け止めながらも完成した(してしまった)のが『Sing Out!』という楽曲だ。
乃木坂46というグループは、奇しくも<ここにいない誰かのために>という言葉を自ら体現してしまったのだ。それを前提として持った(持ってしまった)状態で『Sing Out!』は世に放たれた。
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さらに、何の因果か、山下が『真夏の全国ツアー2019』からグループ活動に復帰することが発表されたのとほぼ同時に、大園桃子が体調不良を理由にライブへの不参加を発表した。
2人が入れ替わるようにして、またしても<ここにいない誰か>が発生してしまったのだ。『Sing Out!』を携えたツアーは、ピースが欠けたままに行われていく。
そう思うと、以下の歌詞も実に象徴的だ。
そこには、「『Sing Out!』を、」という言葉を自然な形で組み込むことが出来るじゃないか。
彼女はライブツアーラストの場である神宮野球場にて復帰することになるが、そこでの上記の生演奏による披露も相まって、その場における乃木坂46にとっての『Sing Out!』が持つ意味は、もはや出来過ぎなくらいに強いものだ。
そのライブを最後にキャプテン・桜井玲香が卒業することも踏まえると、全員が揃ったその瞬間『Sing Out!』は完成した、とまで言えるかもしれない。
彼女たちが<僕たち>として<誰か>へ歌うはずが、「メンバーの休養」という一つの現象をして彼女たちの中だけでもそれが円環する形を取り、故に、より真に迫って理解し得る楽曲となった。
そういった「不測の事態」「グループにとってのダメージ」にすらも意味を持たせてしまう彼女たちの物語性には、感嘆するばかりだ。
仲間の声が聞こえるか?
桜井の卒業の話題を出したが、『Sing Out!』における<ここにいない誰か>は”そっちの意味”でも読み解けたりする。つまりは、以前グループの一員として活躍し、既に巣立っていった、かつてのメンバー達のことだ。
メンバーの卒業といえばグループにとって(昨今のアイドルにおいて)付き物であるから、どうしてもすぐに結び付けてしまう安直な発想にも思えるが、かといってそうとも言い切れない。
なぜなら『Sing Out!』は、乃木坂46の卒業メンバーを象徴する楽曲『帰り道は遠回りしたくなる』とも呼応しているからだ。
”ここ”から去る者と、今”ここ”にいる者たちの対比。『帰り道は遠回りしたくなる』が、同じく卒業シングルである『ハルジオンが咲く頃』『サヨナラの意味』と異なり「グループを離れる側」の視点で描かれた楽曲であることもあって、「見送る側」の想いを、続くシングルである『Sing Out!』からつい見出してしまう。
(参考)
加えて、去る者の言葉として桜井の神宮最終日でのスピーチを抜粋して掲載したい。彼女のグループへの想いが現れた印象的な言葉だ。
この言葉から、彼女にとって乃木坂46が単に「在籍するグループ」ではなく「在り方」となっていることが感じられる。グループを離れるからこそ、その名前を重きものとして背負う覚悟が表れた言葉だ。また彼女に限らず、これまでにグループを離れたかつてのメンバー達も同じように思っているのではないか。
そしてそれは、在籍しているメンバーたちにとっても同様だろう。乃木坂46として在る今、かつての仲間に恥じない「在り方」を実現するため、”ここ”にいる者として<何ができるのだろう>、そんな想いの詰まった言葉としても歌詞を解釈できてしまう。
そんな想いがあるからこそ、彼女たちは去った仲間を追うばかりではなく、もっと広く遠くを見据えた自身の姿を楽曲を以て示す。
故に『Sing Out!』は、これから新たに出会う孤独な<誰か>にも、いつか再会する<誰か>にも、等しくその想いを届ける。
かつての仲間への想いを通じて、(まだ)そうではない存在への想いも確固たるものにする。故に<愛の歌>なのだ。分け隔てのないその想いに信念があるからこそ、彼女たちは迷いなく発信することが出来、そしてそれを音楽に乗せて鳴らすことが出来る。
そんな意味を『Sing Out!』という楽曲の歌詞から感じ取ってみたい。
まとめ
以上、『Sing Out!』の歌詞を読み解く上で、おおまかに3つの角度を示せたかと思う。あそこはこういう意味で、ここはああいう意味で、ということではなく、ああにもこうにも解釈できるよね、という話でした。
ごくシンプルな歌詞である故に、とことん広くも狭くも意味を見出す(というか、こちらから意味を与える)ことができてしまうが、あくまでも一つの解釈であると改めて断っておきたい。
とは言え、少なくともこの楽曲を台無しにするような、価値を下げてしまうことは書いていないはずだと思う。少々アツアツの文章になりすぎてしまった感は否めないけども。
今回これを書いたことによって、『Sing Out!』という曲をより愛することが出来れば、と。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。