すげぇ、すげぇよ伊藤純奈~8thバスラを終えての興奮~
これを書いている時点から見て昨日、愛知県はナゴヤドームで行われた『乃木坂46 8th BIRTHDAY LIVE』が最終日を迎え、そして無事に4日間のライブ全日程が終了しました。乃木坂46のメンバー、スタッフさん、関係者の方々、本当にお疲れ様でした。
そして、一観客としてそれを観て参りました。ちなみにDAY1に現地参戦、DAY4は都内ライブビューイングという、2日間の参戦です。
ライブはもう、全曲披露の2分の1(正確には4分の1×2)を観ただけのはずが、どちらの日も超良セトリ!超楽しかった!それは観た人全員の総意かと思われます。
(以下、自分の感想ツイートをまとめたもの)
で。その4日間、上に書いた通り自分が観れたのは初日と最終日だけなんですが、その4日間のMVP、功労者、実力フル発揮メンバーは間違いなく伊藤純奈だ!と言いたいッッッ!!!半分観れてないけど、言いたいッッッ!!!
最終日が終わった夜、以下のようなツイートをしたら、そこから今時点に渡って、自分にしてはやけにいいねが付きまして。これは完全に賛同者が多数いるということッッッ!!!
ということで、その興奮をつらつらと書かせてください。興奮シリーズ第二弾です。
(興奮シリーズ第一弾)
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本題の前にあえて書こう。
出演する数、あるいはそのフォーメーション中のポジションなど、それが純奈が断トツで多かったとか良かったという話では今回ない。
実際、飛鳥ちゃんはセンター曲の多さも含め特に多く出演していたことだろうし、生ちゃんやまいやんなど、出演できる日が限られているメンバーはその分出演日には出ずっぱりの状態。他にも、気づいたら代打のポジション入りがやたら多いというメンバーも何人か浮かぶ。
いずれも、準備期間にせよ、ライブ当日にせよ、その過酷さは想像するに難い(加えて、参加曲によっては楽器演奏の練習が必要なメンバーも!)(まあやのキーボード超良かった……)。
当然純奈も、正規のポジションはもちろん、代打での出演も多くあったのですが、注目すべきはその「出方」。彼女、出方が超カッコいいのだ。
誰がどれに出るかは上の人の判断によるものと思うので、それを踏まえて言い換えるならば「采配され方」「求められている能力」が、もう、超カッコいい!
不要なもったいつけかたをしてしまったので、いい加減端的に言おう。
彼女の「歌唱力」こそが、今回のライブを成功に導く大きな柱の一つであった。
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1日目・最終日を観れた者として、特に印象に残っているのは以下の4曲だ。当然、これらの曲に純奈が参加している。
DAY1
『雲になればいい』
『私のために誰かのために』
DAY4
『もし君がいなければ』
『失恋したら、顔を洗え!』
ラインナップを見ての通り、歌唱力が求められる楽曲ばかりである。
『雲に~』は元のメンバーからして歌うまメンバー・生田、桜井、衛藤(敬称略)で構成されており、『私の~』も同様なコンセプトのユニット曲。『もし君が~』もまた衛藤の卒業前に用意されたソロ曲であり、『失恋~』は歌うま、であることはもちろんのこと、バンドの「ボーカル」という役割だ。
(3日目の『釣り堀』『ひとりよがり』『つづく』『もう少しの夢』も観たかった……聴きたかった……そして語りたかった……)
純奈は、これらのいずれも卒業メンバーが抜けた席に配置された形で、今回のライブに出演した。
これらの楽曲に参加するという事は、いずれも高い歌唱力が求められる。
純奈はそこに配置されたのだ。
「高い歌唱力」、ただただこの純粋なる実力を以て選ばれたのが伊藤純奈である。
加えて言うならば、これらの曲は乃木坂46のストーリー的にも決して軽くは扱えない曲だ。それらを背負うことにさえも、彼女の歌は説得力を持たせるのだ。「純奈が歌うことに、誰にも異論を持たせない」それが彼女の歌だ。
(である一方、お気づきの通りそのストーリーに純奈も絡んでいる。それについては後述)
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ライブを観た方はおわかりのことだろうが、上で挙げた4曲には、純奈の妹こと久保史緒里ちゃんもすべて参加している。
彼女もまた歌唱力を求められた人員であり、またおそらく、3期生の「次世代の乃木坂を支える一人」としての期待や、既に重ねた活躍があっての采配であることも想像できる。
だからこそ純奈が、という書き方をすると語弊があるし角が立ちそうだしそれは自分としても本意ではないのだけど、少なくとも、彼女は純粋にその能力に”特化”して今回のライブで采配されていたように思う。
「ここの席に歌の上手いメンバーが必要です!」「なんだとォ!ならば伊藤純奈を呼べェ!」というやり取りが実際に行われたかは定かではないが、事実として、その歌唱力が高く評価された結果であり、そのことに観る者もライブを作る側にいる者も一切異論がなかったわけである。
そのことが、めちゃくちゃカッコいい!という話だ。それによって実現した、あの「出方」がめちゃくちゃカッコよかったのだ。
特に個人的に気に入っているのは『雲になればいい』。1日目の、俗に言う「生ちゃんブロック」にて行われたこの曲は、純奈、久保ちゃん含めた3人で披露された。
この時、「生ちゃんブロック」であるために生ちゃんはもちろん先も後も出ずっぱり、久保ちゃんは後に控える『新しい花粉』『ぼっち党』があったためにこの曲を終えても引き続きステージに残った。
結果として、純奈は『雲になればいい』のためだけにステージに現れたのだ。
MC等も無いため、何か言葉を口にするでもなく、穏やかな曲調も相まって、表情で語るでもなく、ただただ歌いに現れた女、それが伊藤純奈。
その姿はさながら職人、いや、もはやボーカル・マシーンとでも表現しようか。彼女は、とにかくあんたの歌がここで必要なんだよ、という求められた役割をただ果たして帰っていった。『新しい花粉』が始まろうとしている最中の裏へと消えていく純奈の背中はあまりにも勇ましかった。
もちろん、掛け合いのようなボーカルの絡みも美しく、3人のディーヴァが織り成す歌の世界はまさに天上のそれであった。雲になったのは、他でもない聴き手である我々だったのだ。ルーベンスの絵を見たネロの気持ちを、あの時のアレで理解できた気がしないでもない。メドレーじゃなく、フルで披露だったら危なかった。
ああ、一層『釣り堀』ソロ歌唱が観られなかったことが悔やまれる……。
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そんなボーカル・マシーンの彼女だが、『雲になればいい』『もし君がいなければ』に関しては、実力に基づいた采配であると同時に、ストーリーをも背負っている。
どちらも元々歌っていたのはみさ先輩こと衛藤美彩。先述の通り『もし君が~』は彼女のソロ曲であるし、『雲に~』においては純奈は美彩パートを担当していた。
彼女と純奈の、そして久保ちゃんを含めた3人の関係、説明不要であろうことだが、それは舞台『三人姉妹』での共演が一つのキーである。チェーホフの戯曲という難しい演目に、乃木坂46から彼女たちが主演として参加し、その苦難を共有したのだ。
以来、彼女たちはそれこそ本当の姉妹のようにお互いを慕い合っていた。
例えば、ほぅらこの写真とか。
この写真とか。超エモい。
そんな妹たちが、グループから旅立った姉の歌を大切に歌う。そこには、こちらは到底知り得ない程の想いがあることだろう。
だが実際見られた『もし君がいなければ』では、純奈はどこか気持ちを抑えている素振りを見せていたようにも思えた。
主となるパートを担当していた純奈は、難易度の高いこの曲を歌い切るには、相当な集中力が必要だったはず。そのために、彼女はひたすら歌う事のみに専念したのではないか。
そのストーリー的には、仮に声を詰まらせたり涙を見せたりしても決して咎められることはなかっただろう。歌詞も、否応にも感情を揺さぶるものだ。
しかし純奈自身は、自分に求められた「歌」を100%発揮することを選んだのだ。それがあの日見られたステージだったのではないか。
そうであれば、そのことがまた、姉の大切な歌をないがしろにするわけにはいかない、という彼女の真剣な想いを感じさせる。
もちろんそれらの想いは、久保ちゃんの内にもあっただろう。彼女もまた妹なのだから。
いずれの曲も、単に「今いるメンバーが歌った」という言葉では片付かない、並々ならぬものがあった。その大きな一角が、あの日歌われた『もし君がいなければ』であるのだ。
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「伊藤純奈と言えば?」
「セーラージュピター・木野まこと!」
な人間なので、ここでセラミュの話をさせてください。
思えばあれも、その実力が高く評価された故の配役だった。当時既に幾度となく一人での舞台出演経験を重ねていた純奈。Team MOON / STARが上演されていた頃は、『七色いんこ』にて主演を務めてすらいた。
そうした経験、もちろんその演技力、上でも書いた歌唱力、それらの実力があってこそ彼女はセーラー戦士として選ばれたのだと思う。
例えば、同じチームであった4期生2人はまだグループ加入から1年程度であり、その選出には「期待」の比重が高かったのではないか。
(その上で、演技にしろ歌にしろ、異常なほど高い実力を見せ付けてきた早川聖来にも、演じるキャラクターとの芯の部分でのマッチ具合といい、リーダーであるその頼もしさといい、圧倒的な存在感を形成していた田村真佑にも、そのどちらにも震えるほど感動したわけですが)
久保も高い実力を持ちながらも、まだ経験が多いとは言えなかったからこそ、ここで座長という役割を任され、また向井も『コジコジ』での座長経験も含め、舞台出演により力を注ぐべきタイミングであったことが出演の一つの要因であったように思う。
(今ではもう、うさぎちゃんと亜美ちゃんにしか見えません)
で。そんな中、つまり「ここ(セラミュ)での経験そのものが求められた4人」がいる中で、その4人を支える役目を担っていたのが純奈だ。その理由は上に書いた通りである。
一期生がおらず、5人のなかでは最も先輩ということもあり、実質的なリーダー(オカン?)でもあった純奈。その背景を思えば思うほど、彼女の実力が認められてこそのものであることがわかる。
またそれは、これからの乃木坂46というグループにおいても、上の立場として支える役割を期待されている故だと思う。
そんな彼女だからこそ、誰かが明かしていた、セラミュ東京千秋楽を終えた直後4人を抱いて「アンタら、よく頑張ったよ~!」と言って泣き出した、というエピソードには想像だけでもらい泣きするというものだ。
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結局バスラの話では無くなってしまったのですが、そこは当方セラミュ過激派なのですみません。
ともかく、今年のバスラでは純奈が大きな存在であったという事が言いたかった。
あえて言うなら、彼女が今回入ったポジション、そこにもし別のメンバーが入っていたとしても、きっとライブは十分成立していた。そこはだって、乃木坂さんだもん。全く不満の無いライブを見せてくれたと思う。
しかし、実際今回目の当たりにした高いレベルのパフォーマンス、それを支えたのは間違いなく伊藤純奈である。彼女が歌ったからこそ、こちらは天上にうっかり行きかけたのだ。
そんな彼女の高い実力そのもの、それが認められているからこその采配、そしてそのことを嬉しく思えるこの事実、どれを取っても、今回のバスラを終えてのこの興奮の大きな理由である。
以上。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。