
『乃木坂46シングル曲が物語る"今"』その7(僕僕~好きロックまで)
前回、2019年からの約2年には『Sing Out!』に代表される「集大成的な楽曲」、また「集大成に達した乃木坂46だからこそ歌える曲」が並んでいる、ということを書いた。
中心的な存在だった白石の卒業があったり、(特殊な経緯とは言え)卒業メンバーも参加した楽曲があったりと、グループの動きとしても大きなトピックも多かった時期。
それを超えてグループが次に迎えるは「新章」である。
僕は僕を好きになる
3期生メンバーが『逃げ水』以来でセンターに立った『僕は僕を好きになる』。
あちらは、新メンバーのまっさらな背中を現役メンバーに見せつけること(その構図を曲のメッセージに落とし込むこと)こそが狙いであり、今回でようやっと本質的な主役の立ち位置に若い世代・3期生が初めて立った楽曲と言える。
しかしこれ、「今思えば」というところでもあるが、厳密には世代交代とも言い難い采配である。何故ならば、この時点で3期生は既に加入から5年近く経っているからだ。
ポジションだけで言えば、("3期生センター"というトピックこそ真新しいが)驚きや新参感はあまりない。いや、ある意味それが重要でもある。強い「納得」がこの曲には必要だった。
新章を語る『僕は僕を好きになる』、何が「新」かと言えば、楽曲そのもののストーリー、メッセージである。
友達なんかいらないと思ってたずっと
許せない嘘や誤解が招いた孤独
生きにくくしてる張本人は僕だ
居心地の悪い視線なんか気にしないで今の場所受け入れればいい
そんなに嫌な人はいない
やっとわかったんだ
一番嫌いなのは自分ってこと
周囲に向けて過剰なほどに張ったバリア。思い込みと極論ばかりで〈死にたい〉なんて簡単に言い出してしまう程の思考停止、視野狭窄。そんな状態に陥っていた〈僕〉が、気づきを得て一歩踏み出そうとする、「瞬間」を切り取っているのがこの曲の歌詞だ。
集大成的な『Sing Out!』の地続きにあるとはいくらなんでも思えないだろう。むしろこの曲の〈僕〉は、『Sing Out!』に救われる対象たる一人。
楽曲やメッセージのストーリーを仕切り直した「新章」であるのだ。『Sing Out!』で頂点に達した後の、リ・スタートを掲げているのが『僕は僕を好きになる』の役目だろう。
とりわけ、朝日が昇る瞬間のような沸き立つ予感が宿ったイントロや、きらきらした弦楽器とピアノのサウンドが象徴的である。身も蓋もなく言えば「オープニング感」がすごい。
考えを更新した〈僕〉の心情、その第一歩に重ね合わせた美しい楽曲が、見事に「始まり」を告げている。
(タイトルが珍しく最後の最後にのみ配置されていることが、また印象的である。「始まり」の瞬間がどこにあるかの示し方が、あまりにも鮮やかだ。)
それらを表現するための、説得力を持つ"演者"たる山下たち3期生メンバー。
言葉通りの意味ですべて「1から始める」世代交代の役割ではなく、ストーリーを担う語り部にふさわしい実力者としての采配であろう。
彼女たちが語る新章、それは(今でこそ言えるが)危なげない盤石な「2」「続編」の重荷を背負わされている。ストーリーが更新されつつも1,2期生がなお在籍しているという絶妙に歪な状況で、ストーリーテリングをともかく担うというのは、それはそれで難しいはず。
そうした「やらねば」な状況下の緊張感も滲む(ように個人的には感じる)この楽曲。奇しくも〈僕〉の心情とも通ずるように思うが、その緊張感は、このあと続く楽曲でキチンと晴れてゆく。
ごめんねFingers crossed
歌詞の内容を見ると、そこに書かれているのは「別れ」「決別」である。もっと言えば「別れを〈僕〉が受け入れる/自ら選択する」様子と言える。「(避けられない)変化を受け入れる」様子であるかもしれない。
今だってもちろん好きだけど
なぜだろうあの頃に戻れない
君の幸せをずっと祈ってるよ
ごめんねFingers crossed
グループの"今"に落とし込んで考えるならばそれは、メンバーの卒業/グループの変化を「受け入れる」様子である。この楽曲の発表当時、松村がグループからの卒後を予定しており、フォーメーションにおいても象徴的なポジションに彼女は立った。
卒業シングルであった『ハルジオンが咲く頃』『サヨナラの意味』は、去っていく者の陰を涙を噛み殺して惜しんでいた。それに対し、こちらはもっとシニカルな、「去る者追わず」な冷静な姿が見て取れる。
別れそのものを大々的なドラマとして取り上げるでなく、「残る我々」の目線で、「別れがあろうとも、それでも進むだけだ」と宣言しているように思える。
明日ももちろん好きだけど
近づかない遠い光のままで
言葉にできないこの気持ちを
そっとさよならFingers crossed
〈近づかない遠い光〉とのフレーズには、4期生・遠藤さくらセンターであることも起因して『夜明けまで強がらなくてもいい』『4番目の光』とのリンクも垣間見え、若い世代の目線であることを補強しているようにも思える。離れていく(憧れだった)存在を、引き止めず追い縋らず、ただ見送る様子が描かれている。
新章を語る楽曲として、もしかしたら『僕は僕を好きになる』よりも、よっぽどストレートかもしれない。それこそ「去る者追わず」の精神が現れた、世代交代を物語る楽曲がこれであるように思う。
「別れ」(=メンバーの卒業)の捉え方の変化も見い出せる。むしろ、グループの変化とともにある「その視点」を示す役割がこの曲にはあるのかもしれない。
『ハルジオンが咲く頃』では〈君〉の残した影を追い、『サヨナラの意味』では〈失いたくない〉と本音を吐露していた。
しかしながら2021年の乃木坂46は「そうも言ってられない」のだ。去る者の背中を追うよりも、新しい時代に進まねばならない。
前後して年末に、生田絵梨花の卒業に際して発表された(彼女の"卒業曲"と言える)『最後のTight Hug』では、以下のように語られていた。
抱きしめるしかなかった
言葉では伝えられない
おめでとう 幸せになれって思いを込めて
惜しみながらも引き止める言葉を直接は吐き出さず、その名残を〈抱きしめる〉というサインに任せる様。この〈Tight Hug〉は、おそらく〈Fingers crossed〉と同じ意味が込められたものだ。
グループを背負う彼女たちにとって、別れが本当の意味で「プロセス」になっていくのである。それこそ『サヨナラの意味』。あの頃は強がりで言っていた言葉を、若い世代がこそ真に迫って言うのだ。
ドライにも思えるその意思表明には、ちょっぴり後ろめたさがあることを〈ごめんね〉の一言が物語っている。いやしかし、それでも進むのだ。
君に叱られた
乃木坂46の表題曲が常にグループの"今"を物語るとはここまで書いてきたことだが、1曲1曲が常に連続しているわけではない。断片的にその瞬間を切り取りながら、時にアレとコレが紐づいてる、という塩梅になっている。
要するに、『君に叱られた』は直前ではなく2つ前の『僕は僕を好きになる』と連動した楽曲だ。あちらの〈僕〉の姿を補助線に見てみると、『君に叱られた』(の〈僕〉)を通して何を描いているかがわかる。
『僕は僕を好きになる』は、周囲へバリアを張っていた〈僕〉の姿、そして気付きを得て心境が変化する様が描かれていた。いよいよこれから〈僕〉は変化する、という瞬間を迎えたところで幕引きする。
傷つきたくなくてバリア張ってただけ
ほっといてと
やっとわかったんだ
一番嫌いなのは自分ってこと
僕は僕を好きになる
対する『君に叱られた』は、他者との(諍いがありながらも)その関わり合いを〈僕〉が受け入れていく様子を描いている。〈君に叱られて嬉しい〉とも言うが、他者による自分への働きかけの意味や価値を実感している。
やっとわかった
わかった
君の存在
どこか足りないジグソーパズル
そっと互いに埋め合うのが
相手への思いやりとか優しさとか
それがごく自然な関係なんだって思う
プライドなんかどうでもいいよ
それより僕は君に叱られて嬉しい
つまり、あえて極端にまとめるならば、この曲で示しているのは「他者の受容」とか「(それによる/そうできるようになった)変化そのもの」であろう。
そうした「変化」をお題目として背負う役目を果たしているのが賀喜遥香ちゃんであることは、奇しくもというべきか、実にふさわしい。
グループ加入以前の生活において人間関係に苦しんだ経験を明かしている彼女。(賀喜に限らず、そうある者が少なくないグループだが、)新たなひととの関わり合い、とりわけ新しい環境・新しい人間関係において「変化」がもたらされたのならば、それはとても素敵なことじゃないか。
(皆の元へ駆けつけようとひたすら走るMVも実に象徴的だ。)
彼女の実際の経験や心情は計り知ることができない。しかしながら、「他者による自分への働きかけ」をポジティブに謳うこの楽曲の中心に賀喜が立つことは、余りにも幸福なこと。またそれを囲うメンバーについても同様だ。
『僕は僕を好きになる』から始まったのは、新世代メンバーによるストーリーの語り直しの一端であるが、だからこそ彼女たち自身の物語が楽曲にモロに投影されている。
『君に叱られた』という楽曲が示すポジティブな「変化」は、紛れもなく"今"の彼女たちに訪れた実情であるということだ。
Actually…
『バレッタ』『逃げ水』『夜明けまで強がらなくていい』に並ぶ、加入したての新メンバーをセンターに配置したシングル表題曲である。その人数は1,2,3と変化してきたが、今回は5期生・中西アルノが1人のみで参加することになった。
その内容は、グループに入りたてである5期生・中西の目線を重ねたものと言える。
Actually(Woh oh)
わかってない
この世界の美しさ
(その醜さも)
Actually(Woh oh)
気付いてない(自分自身)
理想が邪魔して真実を見失う
まずは、文字通り「まだ何も知らない」目線が描かれたもの、と解釈することが出来る。夢見てこの世界に突入した〈理想〉が先立ち、〈真実〉を目の当たりにしていない、という姿を切り取っている。
一方、乃木坂46の一員になった、という彼女らの迎えた「変化」、それによる視界の変容を示しているようにも解釈できる。
これまで見てきた世界は、ある一角度から見たものでしかなかった。立場や役目、肩書きが変わり、そこから見えるものも移り変わった。ああ、私は、この世界のことをまだ何も気づいていなかったんだ……と刺激を受けた様が落とし込まれているもの、とも読める。
しかし更にもうひとつ、"今"に重ねるにあたり、出来うる解釈がある。
まずは中西がセンターに選ばれた理由(のうちのある一部)の話をしよう。
秋元康プロデューサーが手掛けた歌詞の抜粋集『こんなに美しい月の夜を君は知らない』の発売に際して行われたキャンペーンにて、優秀者3名を対象にして秋元氏とのオンラインミーティングが行われ、参加した。
その際の質疑応答の中で、「オーディションで中西の歌声に皆が驚いた(※うろ覚え)」「この歌声をグループの作品にすぐにでも使いたいと思った(※うろ覚え)」といった意味を含む発言をしていた。
(※上記の通りうろ覚えの内容を、更に極端にかいつまんだものなので、秋元氏が一言一句この通りに発言したとは思わないよう留意いただきたい)
極端にまとめれば、中西がセンターに選ばれた理由は、まずもってその歌声にあった訳だ。彼女のキャラクターや立場、歩んできた人生を投影するよりも、「卓越した歌声」という能力そのものが求められての抜擢であった。
つまり『Actually…』には、"今"を重ねるという意味で、彼女の「記名性」が薄いのだ。
パフォーマンスにおいて彼女の歌声に比重が置かれている(観客からしても必須と感じる)ことは言うまでもないが、歌詞から読み解くストーリーという角度においては、中西という人間の存在が強く落とし込まれてはいない。
『Actually…』という楽曲が描くストーリーにおいて、新メンバーの存在そのものが投影されていないのだ。
その結果というか因果と言うか、中西が一時的にグループを離れ、この曲が飛鳥・山下をWセンターにした1,2,3,4期生たち既所属メンバーのみでの披露を主にするようになっても『Actually…』が示すメッセージ・ストーリーを損なわないのだ。グループの"今"を示す楽曲として、これは機能し続けている。
Actually(Woh oh)
わかってない
この世界の美しさ
(その醜さも)
既に経歴を積み重ねてきた彼女たち、4期生だけ見ても加入から3年半近く経過していた。
そんな経歴を経ても、実際のところ(Actually…)、何も〈わかってない〉と言うのだ。もちろん彼女たちは多くの事を見て感じて、識って理解ってきていることと思う。
それでもなお、ということだ。『知らないことだらけ』よろしく、今の立場になってから何年もの経験を積み重ねても、ふとした機会に立ち止まり立ち返った時、いや、私は、この世界のことをまだ何にも知らないんだ……という気付きを得た瞬間・内心の吐露を『Actually…』は描いている、とも解釈できるのだ。
『逃げ水』という曲は、当時新加入したばかりの3期生をセンターに置きながら、むしろ狙っていたのは、新メンバーの無垢な姿を目の当たりにしたことによって、既所属メンバーたちの無垢だった頃の気持ちを呼び覚ますことであった。
同じくして、"今"だからこそ立ち返る形で、現在の自らを鑑みる機会をもたらしたのが『Actually…』であるのだ。
後に発表される『人は夢を二度見る』は、2023年現在の彼女たちが自身の現状に一度立ち返り、そして更に先へ進もうと語る楽曲であった。それも一つの通過儀礼のようなものだが、そこまでに至るプロセスの1つとして、グループ全体の目線として『Actually…』が機能している。
「この世界の美しさ、まだわかってない。だから、夢をもう一度見ないか?」と言葉が続くのだ。
好きというのはロックだぜ!
この曲の歌詞は『君の名は希望』と近しいことを謳っている、というのはよく語られる読み解きである。そしてそれはおおむね正しいだろう。
〈僕〉視点で語る、それまでは周囲に壁を作って塞ぎ込んでいたこと、不意に出会った〈君〉への想いが芽生えたこと、その恋の成就云々ではなく「想いが芽生えた」という自分に起きた変化そのものへの歓びを、どちらの曲も謳っている。
君を好きになった
それだけのことでも
全てがひっくり返ってキラキラし始めた
こんなに心が切なくなる恋ってあるんだね
キラキラと輝いている
同じ今日だって
「変化」という点で言えば、『僕は僕を好きになる』『君に叱られた』に連動したストーリーであると捉えることが出来る。とりわけ『僕は僕を好きになる』での〈僕〉と似たことが『好きというのはロックだぜ!』では語られている。
世界で一番僕が嫌いなのは僕だと
気付いた時から黙り込んでしまった
友達なんかは欲しいと思わなかったし
みんなに紛れて何でも頷いた
このようであった〈僕〉が、〈君〉との出会いと関わり合い、想いの芽生えによって、〈僕は僕を嫌いじゃない〉〈前しか見えない〉と宣言できるまでに変化した。
『君に叱られた』では他者との関わり合いや、自分への働きかけを〈僕〉が受け入れていく様が描かれてきた。それを経てこそ『好きというのはロックだぜ!』に至るのだ。
〈僕〉(の変化)を描いてきた「新章」におけるひとつの到達点として、この楽曲が用意されていると言える。
僕は生まれ変わったんだ
好きになってくれ
といった感じで、「〈好き〉との出会いによる変化」が『好きというのはロックだぜ!』にはふんだんに詰め込まれていた。
そんな「〈好き〉との出会いによる変化」、歌うにふさわしい存在と言えば、やはり乃木坂46、特に若い世代のメンバーたちだろう。センターが賀喜であることも実に良い。
賀喜をはじめ、グループ加入以前から乃木坂46のファンであったメンバーは3期生以降の世代には少なくない。加えて、その当時の生活の中での、複雑な想いや悩んでいた過去を吐露する者もまた、同じようにいる。
そんなさなかに出会った乃木坂46への、〈好き〉「憧れ」の気持ち。ひいては、「自分もなりたい」という気持ち。〈心で感じた〉〈願いの強さよ〉とはまさにこれではないか。
元々ファンだったという(少なくとも、既に乃木坂46が活躍している/存在を客観的に知っていた上で加入した)彼女たちの目線で語る「〈好き〉との出会いによる変化」。それを大々的に捉えて落とし込んだ楽曲として、『好きというのはロックだぜ!』があるのではないか。
『君の名は希望』のリフレインなようで、明確に主観を担う存在が変わったうえでの、一からの語り直し。彼女たちが1つ先にステージを進んでいくに当たっての、一旦の到達点としてある楽曲。それがこの、夏曲らしすぎるくらいにポップで明るい『好きというのはロックだぜ!』の役割だ。
それは同時に、ひっそりとながら、かつて憧れだった上の世代に別れを告げる宣誓のようなものである。『ごめんねFingers crossed』のニュアンスもこの曲は含んでいるのだ。
ただその別れ方は、切なく悲しいものではない。「じゃ!」「ウチらは行くから!」という幾分カラっとしたものだ。
これからは乃木坂46を私たちが担っていくぜと、だから心配すんなよと、去っていく先輩たちに対しても、グループのファンに対しても、見せつける頼もしい背中がそこにはあるのだ。
君を後悔させない
好きになってくれ
そんな流れを、自然と組むような形で、当時すでに卒業発表していた樋口に続き、残る1,2期生であった和田、鈴木、秋元、飛鳥がグループから離れることを発表していく。
いよいよ乃木坂46は、3期生を筆頭にした新しい世代・編成になっていくのだ。厳密には、次のシングル『ここにはないもの』がそのフィナーレを飾るわけだが、『しあわせの保護色』の後の『僕は僕を好きになる』から始まった新世代の目線としては、ここでひと段落を迎えた。
ここまでの5曲は、メンバーが入れ替わっていく乃木坂46の過渡期を描いた。それは幕間とでも言い表せるような「変化」「プロセス」そのものだ。主観たる存在を、明らかに変化させていったのだから。
その「主観が変わった」こと自体を示し終わったからこそ、次のタームに進むことが出来る……と大げさに言っておこう。
つづく。
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