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『しあわせの保護色』/乃木坂46の歌詞について考える

25thシングル表題曲『しあわせの保護色』、8th YEAR BIRTHDAY LIVE最終日で披露され、そして我らが『乃木坂46のオールナイトニッポン』にて音源も解禁されましたね。

自分含め聴いた方の中には、初期のカップリング曲を思い出す人も多いようで、確かに最近はあまり見られなかった暖かい感じの優しい曲調で。

まさに「まいやんを暖かく送り出すラストソング」という感じのとても良い曲です。

そんな『しあわせの保護色』について、色々考えてたら色々出てきまして。この曲についての勘違いとか、気付きとか、そういうのもありまして。ということで色々書いていきます。

しあわせの?

まず取り上げたいのはタイトルの意味、というか示すところ。我らが『乃木坂46のオールナイトニッポン』で解禁された音源から歌詞を聴き取ってみると、それはサビにハッキリと現れている。

しあわせはいつだって近くにあるんだ
保護色のようなもの
気付いてないだけ

しあわせは少しずつ見えてくるものさ
変わらない毎日に紛れていたんだ

※細かい部分は正しくない可能性があります。あしからず。

しあわせは、普段過ごしている時は気付かないけど、本当はいつも近くにある。紛れていて見えないだけで、本当はずっとそこにある。

そんな風なことを言っている。オーソドックスなようで、普遍的な大切なことだ。

これを「卒業ソング」らしく解釈すると、「まいやんが一緒にいる間はわからなかったけど、離れてからその存在の大きさに気付く」みたいな風にも汲み取ることができる。

(気付いてないわけねえけどな!という声が聞こえた気がしますが、わかる。気付いてるっての!)

ただここまで読んでみてタイトルを振り返ってみると、「ん?」と思うわけです。正確には「の?」と思うわけです。

<しあわせは><保護色のようなもの>と言っている以上、『しあわせの保護色』というタイトルの付け方は少々違和感を感じるわけです。

このラインそのままの意味を持たせるなら、日本語的には『しあわせは保護色』とかでなければおかしい。てにをは。文章メンヘラ(僕のことです)はこういうのを絶対に見逃さない。

だがこれがミスなんぞではないことくらいわかる。であれば、そこには"意味"が含まれているはず。文章メンヘラ(僕のことです)はこういうところから見い出さずにはおれない。

だから、ここからはタイトルについて考えてみたい。

保護色?

ここで、一旦先に整理したいことがありまして。それは以下のnoteを拝読したことがきっかけなのですが、

こちらではまず導入に「保護色」というものの説明を書かれていて。

それを読んで、あ!と。完全に勘違いしてた!と思いまして。

こちらを読むまでうっかり「捕色」の意味で捉えていました。正しくは「保護色」なわけですね。

一応言葉を説明すると、補色については割愛として、保護色とは端的に言えば「擬態」がそれに当たる。

生き物が外敵から自らを守るため、または獲物を待ち伏せるため、周囲の色に溶け込んで身を隠す。

例えば、緑色の虫が葉っぱの中に紛れたり、茶色でブツブツ柄の魚が砂表に紛れたり。あとシロクマとかも雪景色に紛れるために白い体をしていたり。カメレオンなんかは、逐一環境に応じた保護色に体の色を変化させる。

で。じゃあここからは、正しい意味を踏まえて『しあわせの保護色』について考えていこうじゃないかと。

とはいえ、結論はある程度お察しの通りになると思うので、サクサク進めます。

上に書いた言葉の意味に基づいて「保護色」という言葉を「背景に溶け込む色」と捉えると、このような式ができる。

「保護色=背景と同じ色、背景そのものの色」

この式を元にすると、『しあわせの保護色』について以下のように考えることができる。

「しあわせの保護色=しあわせと同じ色、しあわせそのものの色」

上でも書いた歌詞にも<紛れていたんだ>というフレーズがあるが、しあわせに紛れて溶け合い同化する、ほぼ同じ色を示している。

つまり『しあわせの保護色』という言葉自体がまた特定の色を指しており、それはまた「しあわせ」と同じ色、「しあわせ」を表す色と言える。

そしてその色とは、もちろんご想像の通り、今作を以てグループを卒業し、今回センターを務める白石の"白"であるとしたい。

そしてその"白"を先の式に代入するとこうなる。

「白=しあわせと同じ色、しあわせそのものの色」

"白"とは単に名前から掬い出したものではなく、白石の人として持つイメージから連想した色でもあるし、それは言わずもがな、白石自身を表す色(ないし文字、言葉)である。

であれば、白石麻衣その人が「しあわせ」に溶け合うそのものの"色"と言える。

『しあわせの保護色』とはつまり、一周回って結局「白石麻衣」を指す言葉なのだと言えるわけです。

"エモ"だけでも「まいやんの事だ……!」と言えるしそれは間違っていないけれど、順序立てて考えた上でこの結論を出すことができる。というわけです。

しあわせ?

先のnoteでは『なぜ「幸せ」ではなく「しあわせ」なのか』ということを主題の疑問として提示されていまして。またその理由の仮説として、以下の三点を挙げられていました。

1.字面の雰囲気を優先させた説
2.画数を気にした説
3."幸せの保護色"は必ずしも"辛さ"ではない説

詳しくは是非上のリンクからお読みいただければと思います。

そこで今回、ちょうど考えていたことがそれへの一つの回答(新たな説)になりそうなので、ここからはその話をしていきます(先に書きますが、あちらで挙げられていた説をくつがすことなく、同居し得るものになっているかと思います)。

端的に言うと、これまでも「しあわせ」というひらがな表記で歌詞に用いられてきた。代表的なのは『Sing Out!』である。

ここにいない誰かのために
今何ができるのだろう
皆が思えたらいい
自分のしあわせ
少しずつ分け合えば
笑顔は広がる

このほか、例えば『君の名は希望』や『シンクロニシティ』でも同様にひらがな表記の「しあわせ」を用いている。

孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた

世界中の人が誰かのこと思い浮かべ
遠くのしあわせ願うシンクロニシティ

(このほか、気になるものとして『今、話したい誰かがいる』『オフショアガール』などを挙げたい)

話したい誰かがいるってしあわせ

陸から海へと吹く風
遠くて近くのしあわせ

『君の名は希望』や『シンクロニシティ』、『Sing Out!』がいかに乃木坂46にとって大事な楽曲であるか、それはこれまでも散々書いてきた。ここ何本かのnoteでは必ず『Sing Out!』の話をしちゃってるくらい書いてきた。

これらは「乃木坂46が目指すもの」それを少しずつ段階を踏んで描いたものだ。そして、約8年のキャリアを経て辿り着いた一つの到達点、それが『Sing Out!』である。

この想い届け Clap your hands
風に乗って飛んでいけ愛の歌

仲間の声が聞こえるか?
Bring Peace! Bring Peace! Bring Peace!

それらの楽曲は上に書いた通り乃木坂46の一つの"主張"として非常に大切なものであるが、今回の『しあわせの保護色』はまいやんの発表を受けた「卒業ソング」である。

グループにとって大切であることはもちろんだが、また違うベクトルのものと思われた(少なくとも自分はそう思っていました)。

しかし「しあわせ」という表記の共通点。ここから、この曲と『Sing Out!』らのリンクが見い出せる。『しあわせの保護色』が乃木坂46が発するべきメッセージを孕んだ、それらと同じ線上にある曲なのだと理解できるようになる。

『Sing Out!』は、これまで「僕」と「君」の1対1で行われてきた救済を、遥か遠くの<ここにいない誰か>のために行おうという壮大な曲だ。そこに乃木坂46が辿り着いたことに、感動したつもりでいた。

だが『しあわせの保護色』を踏まえて考えると、『Sing Out!』において乃木坂46が届けようとしていた(それを皆が出来たらいいと願っていた)「しあわせを分け合う」その行為、それが何からどうもたらされたのかが見えてくる。

上で、

であれば、白石麻衣その人が「しあわせ」に溶け合うそのものの"色"と言える。

と書いたわけですが、つまり白石麻衣が「しあわせ」の象徴とも言える。

(白石その人を投影した『オフショアガール』でも用いられている辺り、よりそれは補強されるように思う)

であるから、『Sing Out!』等で歌われている「しあわせ」は、そもそも「白石麻衣その人がもたらしたもの」なのではないか。それを乃木坂46が、それぞれの楽曲を通して歌っているのではないか。そう言えるのではないだろうか。

それこそ、今回の卒業発表を受けて、同期や後輩たちメンバーがブログ等々で綴ったり各所で語った言葉を鑑みると、そのエピソードが表に出ている/いないを問わず、まいやんがいかにメンバーに「分け与えてきたか」がわかる。個人的にも、認識を改めなければ、と襟を正すほどにそれがわかった。

『Sing Out!』単体で見れば、それは良くも悪くも普遍的なメッセージのように受け取られた。<愛><Peace><しあわせ>という言葉を歌詞に用いているが、それらはあくまでも広く届けるためのものであり、敢えて言うなら「誰にでも届くためフォーカスをとにかく広げた」ものであるようにも思えた。

しかし、そこで歌われている<しあわせ>が白石がグループにもたらしたものであるならば、これらの曲の持つ意味が一つ深くなる。

乃木坂46のメンバー(例えばセンターを務める齋藤飛鳥ちゃん、上から"秘話"が読める後輩・渡辺みり愛ちゃん)らが、白石から「しあわせ」を与えられた。そして、それに救われてきた。

白石からもらった「しあわせ」、それは自身の胸の内だけで温められてきたが、時を経て少しずつ人に分け合う意識を得て、目の前にいる人をはじめに手を差し伸べ(ex.『君の名は希望』)、そして『Sing Out!』に到達し、いつしか広く解き放たれた。

そう考えると、グッと深みが生まれるわけです。一つの軸が通ると言うか。

「普遍的な愛の歌」であると思われていた『Sing Out!』が、実のところ彼女達がそのグループのメンバー同士で互いに与え、与えられた「しあわせ」を歌っている。

上で挙げた『Sing Out!』をはじめとした楽曲らが、単に普遍性を持つだけではなく、「乃木坂46の歌」として彼女達の第一人称で歌われたものとして輪郭を表す。それ故、より説得力を持つようになる。

どこかばく然としていた<愛><Peace><しあわせ>が、彼女達がグループとして歩んだ歴史、メンバーとして・友人としての関わり合いを通して培われたものであることが、鮮明に見えてくる。その尊さは既に我々にとって知れたものだ。

(かつ、彼女達にとっての「しあわせ」は人と人との繋がりをして得たものであり、歌詞上のそれらもメッセージとして一層意味が明確になる)

そういった経緯を経て、白石が1人のメンバーとして乃木坂46というグループ内で発してきた「しあわせ」を、それを受け取った今の乃木坂46が世界中の人に分け与えようとしている。

『しあわせの保護色』を補助線に、乃木坂46の楽曲についてこうした見方が出来るのではないかと思うのです。

この考え方を、「幸せ」ではなく「しあわせ」としている一つの説として挙げたい。

※※※

ちなみに、乃木坂46楽曲では逆に「しあわせ」ではなく「幸せ」の表記を用いているものもある。それはもう、もちろんある。

「幸せ」の表記を用いている曲は、例えば『ないものねだり』や『つづく』が挙げられる。

なぜ人は誰も目の前にあるこの幸せだけで
今日を生きられないの?

明日僕たちはすこし夢に近づいて
ふと気づく 幸せ

今の時点で詳しく比較して検証していないので、その表記の使い分けが意味するところに答えを出せていないが、簡単に仮説を上げてみる。

これらの曲は橋本奈々未ちゃん、西野七瀬ちゃんの卒業前最後のソロ曲である。であれば、この「幸せ」とは彼女達が乃木坂46としての"これまで"を回想して発している言葉だと考えられる。

その"これまで"には、白石に限らず、様々な人、もの、こと、諸々が含まれるだろう。故に白石がもたらした「しあわせ」に限らない、としているのかもしれない(「まいやんは関係ない」ではなく「ほかにももっと沢山」ということ)。

ただしこれらの曲は恣意的に選んだものなので、卒業に関わる曲に限らず「幸せ」が用いられていることにご留意いただきたい。

保護色

最後に余談と言うか、そうだったら良いな、というささやかな希望を一つ。

現時点(2/29)で『しあわせの保護色』が実際に披露されたのは8th YEAR BIRTHDAY LIVE最終日のみ。

そこで見たこの曲の振り付けで特に印象的だったのが、中盤の大園桃子ちゃんとまいやんが手を取り合う箇所で。最後列中央でまいやんの背中を見据えていた彼女が、手を引かれて前に出てくるところです。ライブビューイングで観た限り、2人共とても素敵な笑顔をしていました。

これは『ハルジオンが咲く頃』でまいまいこと深川麻衣ちゃんと堀未央奈ちゃんが、『夜明けまで強がらなくてもいい』で桜井玲香ちゃんと遠藤さくらちゃんがそうしたのと同じように、次世代への"継承"を現わしたものだと思われる。

(意味を広く解釈すれば、『帰り道は遠回りしたくなる』間奏のくるくるも該当する)

もちろん、まいやんと桃子の関係を思えば、この瞬間にはそれ以外の想いもふんだんに含まれ、そしてそれが交わされていることは想像に難くない。

だがまず一つ、『しあわせの保護色』において"白"石に手を引かれて前に立つ"桃"子、と考えると「おっ」と思うわけです。

なるほど、今までの『しあわせの保護色』は"白"、そしてこれからは…………ってね。

小粋に締まったところで以上。



(選抜発表直後の興奮を綴ったnoteはコチラ)

(25thアンダー曲について、これまでの曲と絡めて考えたのはコチラ)

(我らが『乃木坂46のオールナイトニッポン』についてはコチラ)

(まいやんの卒業発表を受けて、もろもろ盛り込んで書いたのがコチラ)


明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。