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46時間TVが好きだ

好きだシリーズ第三弾。

46時間TVが好きだ。2016年から基本的に2年ごとのサイクルで5回にわたって実施されており、本年2024年は46時間TVが行われてもおかしくなかった。

ふたを開けてみれば6月、日向坂46による46時間TVが行われた。坂道グループ間での横展開は大賛成だし、ほぼ全編しっかり観てしまい、番組内でもPRされた宮崎県で開催のライブ『ひなたフェス』まで、がっつり楽しんだ始末。

そして来る2025年、乃木坂46は5月にTHE BIRTHDAY LIVEを開催することが既に発表されており、本来のデビュー記念日=誕生日である2月22日やその前後は空白である。ましてカレンダーを見るに21,22,23日は金土日

ということは期待しちゃうじゃないか。46時間TVを。

何が好きって、ともかく「擦り込まれている」というのが個人的な理由の第一である。

そもそも乃木坂46を好きになったのは2015年大晦日の『紅白歌合戦』がきっかけであった。ここで改めて「乃木坂46良いな」と思い、年末年始の休みでやることなさすぎたこともあって、明けて2016年から乃木坂関連の媒体をひたすら追う日々となった。

1,2月にかけて各番組を観たり曲を聴いたり、すっかりグループを好きになりメンバーの顔も名前も覚えて好きになった頃、46時間TVの第一弾が開催された。乃木坂46コンテンツを総ざらいしてきた流れの、ひとつの集大成として46時間TVに触れることが出来たのだ。

そして、こののち3月末から『乃木坂46新内眞衣のオールナイトニッポン0』が始まり……というのが乃木坂46的自分史なのだが、これ以上は関係ないので割愛。

この流れも相まって、46時間TV第1弾は「乃木坂46のデビュー4周年を記念するもの」なわけだが、新参者の立場として、そのお祭り感を強烈に味わうことが出来た一人であるとさえ思える。

覚えているのは、第1弾の軸となった企画『4th Anniversary 46道府県制覇! のぎ声リレー』である。正直、最初は懐疑的に感じてしまっていた。「乃木坂が見たいのにファンを見せられても」とも思ったし、各地を訪れるメンバーは46時間TVの現場にいないのだから、全員揃っていてほしいという気持ちが大きかった。

しかしいざエンディングで「のぎ声リレー」の音と映像を合わせた『乃木坂の詩』を見たところ、号泣した。午前2時という時間帯も影響してなくもないが、とんでもない多幸感に満ちたものに見えてしまったのだ。

後に乃木坂46は『Sing Out!』をリリースするが、あれに似た「すべてを祝福する感じ」があの『乃木坂の詩』にはあった。46時間の生放送の、グループとしてはデビューから4年間の、自分としてもそれを凝縮して摂取した2ヶ月間の(そしてファン一人一人によって千差万別の)フィナーレとして強く響いていた。最初のナナメから見ていた時には予想もしていない感動がそこにあったのだ。

まず単純に、46時間の長丁場を終えた全クリした感が堪らないのだ。それこそ、ちょっとしたRPGなら「はじめから」からエンディングまで辿り着けてしまうくらいの時間である。

「終わったーッ!」というあの達成感が46時間TVにもある。やっている最中は楽しくて、いつまでも続いてほしいとさえ思うが、しかしクリアの瞬間の妙なほどの喜び。あれがある。

むしろそれは、46時間の間がずっと楽しいからだ。

もちろん深夜~明け方の時間は基本的にメンバーの稼働は無く、ライブ映像の配信で繋ぐのだが、その間もTwitter(現X)などを通じて、今を一緒に過ごしている存在を感じることが出来る。何なら「寝過ごした」「見逃した」という声も含め、乃木坂46メンバーや、それに限らず様々な人との「同時間性」。それをひとしおに感じるのだ。

そういう意味では、まず単純に「生配信であること」が好きだ。2020年開催・第4弾のタイトル『はなれてたって、ぼくらはいっしょ』は、時勢的にふさわしかったのと同時に、それ以前から常に通底したテーマだ。それが上記した「同時間性」である。

ちょうど先日、TBSプロデューサー・藤井健太郎さんもポストしていた。

「リアルタイムとサプライズ」である。サプライズは「(リアルタイムだからこその)次に起きる事のわからなさ」と広義にも捉えつつ、それぞれがいる空間こそ違えど、いや空間が違っていたとしても、画面を通して「時間」を共有すること。

それ自体が46時間TVの本質である。これは『のぎおび』などのSHOWROON生配信とも通ずるものだが、30分や1,2時間という短いスパンとは比べ物にならない長さをもって「日常の一部」に近くなる。

旅行になぞらえれば2泊3日分の長さだ。1時間程度なら「そのために時間を空ける」対応になるが、46時間ともなると、視聴の傍らで、食事、睡眠、入浴、トイレその他の生活プロセスを平行して処理することが前提になる。

それこそ深い時間には、メンバーがパジャマに着替えて、お泊り会のような雰囲気で人狼ゲームにいそしむ。ガチで眠そうな子がいたりすることも含め、この夜をリアルタイムで過ごしている状況が良いし、こっちも眠いのだ。

この「同時間性」。これをもって46時間TVが「じぶんごと」になる。もちろん視聴者は見るだけなのでメンバーと対等な立場ではないが、それ自体を目的として過ごす体験が46時間TVの本質的な醍醐味であり、何より良いということだ。

そういう意味では、ライブ会場を使って観客を入れた形で行われた、2022年開催・第5弾は、46時間TVの本質を欠いていたと言わざるを得ない。

空間が完全に分かれているからこそ、「同時間性」「その共有」が浮き上がるのだから、その境目が曖昧になってしまっては、それは異なる体験になってしまう。

観客が会場にいる場合(つまりメンバーと観客が同空間にいる状態が作られている場合)、メンバーの目線が「目の前のお客さんへ」という向きになってしまい、画面越しに届く我々への目線は「それプラス、画面の向こう"にも"」になってしまう。

これら被害妄想なようで、いやしかし厳密には違う。これは「前提」の話である。

普段のライブ(とその配信)がそうであることは全く問題ない。こちらの場合、時間以上に「同空間性」を楽しむものだ。例えば神宮球場でのライブ、そこでメンバーはステージから客席に向けてパフォーマンスし、それを観客が楽しむという「共有」を行うもの。これは会場という囲われた空間の中、言わば「1の世界」内で交わされていることだ。

そのことが前提だからこそ、ライブの様子を、配信という新たに付け加えられた手段をもって、(チケット取れなくて悔しい気持ちはあれど)会場にいない立場からその全体を俯瞰の視点=「2の世界」から楽しむことができる。

46時間TVは、今いる空間が違っても、画面を向こうとあちらを繋げるとして、画面を通じてお互いが「1の世界」にいると感じさせてくれるものだ。

しかし客入れをベースに開催されてしまうと、画面は隔たりとしてのとなり、「向こうが1の世界」で、我々は「2の世界からそれを眺めている」状態になってしまう。「同空間性」を楽しむライブ寄りの価値観が介入してしまっている。

「同時間性」と「同空間性」はトレードオフだ。46時間TVを常に「1の世界」として楽しむため、すべてが画面越しであることが前提であってほしい。そうあればこそ本質的な「共有」が生まれるのだ。

※「のぎ声リレー」などメンバーの姿を見に行ける企画は、あくまで46時間TVに内包された一部。つまり46時間TVそのものが画面越しのイベントであることを前提にしたミニコーナーなので、「同時間性」を崩すことが無い。

それを踏まえれば、第5弾で行われたライブや大運動会は独立したものとして客入れで行い、オープニングやその他トークなどの部分は、いつも通りの小さいスタジオでやってくれたら、また違う見え方だったかもしれない。

そう、46時間TVは企画として良い意味で「小さい」ことがまた好きだ。元ネタである『24時間TV』とか『27時間TV』とかは、やはり地上波テレビの大型特番だけあって規模も雰囲気も「大きい」。

一方で46時間TVは、普段は30分番組を作っているスタッフさんが、人員もそれほど増やすことなく(※)対応しているためか、全体に文化祭のような手作り感があり、長丁場に反してミニマムな印象があるのだ。

(※『乃木坂工事中』と同じ人員でやっている、との発言が過去のインタビューであった。どれであったかは失念。46時間TVを特集した『BUBKA』2020年9月号であろうか。また、あくまで発言時点の情報である。)

「このために作った巨大ひな壇!」みたいなのも無く、こじんまりしたセットの中にメンバーが何人か座っており、少人数で盛り上げようと喋っているあの感じ。放送が進むにつれて自由な部分も増えて、今空いてる子がフラッとやってきたりするあの感じ。

今から来れる芸能人ゲストを呼びかけ、実際にオリエンタルラジオ・藤森さんや武井壮さんらが駆け付けたりして、わぁっと楽しくなるあの感じ。

全体的に、予定調和ではない部分が多いことが一因かもしれない。生放送だけにアクシデントに備えて余白がある程度設けられていて、結果ちょっと持て余すこともあるあの感じだ。それこそ「この時間居るはずの子がいない」みたいなアクシデントも、そのドタバタ感がむしろ楽しいのだ。起きたら仮面ライダーやってても良いじゃないか。

1人コーナー『乃木坂電視台』も、常に楽しいことはもちろん、「小さい」雰囲気でやる方が好きだ。回を重ねるにつれ、事前の練習を経てこの場で成果を披露するという、ハードなチャレンジものが増えつつあるのが、個人的にはあまり好みではない。

『乃木坂電視台』はもっとゆるくていいのだ。10分間で、蟹食ったりスイカ食ったりジビエ食ったり、初めてお酒を飲んだり髪をバッサリ切ったり、パンダになったり絵本読んだり窓から登場したり、そういう時間の使い方でいいのだ。事前収録のVTRより、その場で10分やる方がさらに好みだ。料理企画をやってみたら全然進まず終わった、とか最高じゃないか。

きりがないのでこの辺で。ともかく「46時間TVが好きだ」ということだ。

なんにせよ、皆2025年2月21,22,23日は空けておこう。

以上。



製作系の話を入れそびれた……かずみんの頭ゴンは屈指の名シーンである。

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