見出し画像

25thシングル選抜メンバーについての興奮

常日頃から、noteに書く内容は「飲みに行ってキャンキャンと語りたい内容を、飲みに行く友達がいないから仕方ないからネットに流す」ということをしているのですが、そんな考えの元に昨日の選抜発表を受けて死ぬほど興奮して今すぐにでも飲みに行きたいのだけれどそれがどうにも叶わないので仕方がないからこういうところにバシバシバシッと書いていきたいと思います。

(追記)

※ちょっと酔っぱらいながら書いたので、文章にもそれが出てしまっています。特に直しはしません。ご了承ください。

センターは白石麻衣ちゃん。先日の卒業発表を受け、他のメンバーも既に「まいやんを送り出す曲」として語っており、そんな曲になることは間違いない。故に彼女がセンターだ。あらゆる方面から考えても、実にふさわしい。

要望を敢えて言うなら曲だ。例えば、直近の卒業シングルである『帰り道は遠回りしたくなる』は、"卒業する側"である西野七瀬ちゃん視点で歌詞が描かれていた。「この場所から飛び出したい」という想いが溢れた歌詞であった。

もちろん、それも爽快でとても良かったのだけど、今回はどうせならそれとはまた違う形の楽曲にしていただきたい。

例えば『ハルジオンが咲く頃』のような、"卒業する側"を盛大に送り出すような壮大な曲が良い。あれもMVで卒業式のようなシーンが挿入されていたりして、まさに旅立つ者と送り出す者を対比したような曲であった。

特に今回は、今いる1期生11人を福神に揃えた布陣である。その全員でまいやんを囲むフォーメーションである。3列目の後輩たち(ちゃんと、2期生、3期生、4期生がそこにいる)も含めた皆で、まさに、まいやんを囲むようなフォーメーションだ。

そんな布陣で、まいやんが一人飛び出していくようなアレは寂しすぎるじゃないか。まして、結成当時からずっとグループを牽引してくれた彼女の最後のシングルだ。それを、どうか寂しさ爆裂な曲(≒『サヨナラの意味』)にしたりしないではくれないか。

花束を君に。誰もにとって愛しい人であるまいやんに対して想うその気持ちを曲にしようじゃないか。

それにしても、まいやん卒業曲であることを踏まえた選抜であったことは事実だけども、そレだけで片付けられないくらい意味を感じるメンツであった。

特に語りたいのは、まあやだ。和田まあやだ。遂に彼女が選抜、福神になったのだ。それを語らないわけにはいかないじゃないか。

「まいやんの卒業シングルだから、1期生を集めただけでしょう?」と思ったあなた。ぶっ飛ばすぞ。いや、確かにそうではある。すまない。訂正しよう。あなたは正しい。だがそれでは済まない。

何が言いたいかというと、「選抜メンバー」というもののあり方だ。初期にてっきり思っていたあり方とは既に様変わりしている。

握手人気だとか、何かしらでの活躍だとか、そういったものに対する評価がそのまま選抜入りポイントには既になり得ていないというのは事実だろう。そんなことは今更言うまでもないくらいだ。

かと言って、最早意味がない、ということではない。「乃木坂46」のストーリーを描くためのものになっているのだ。それに関しては、ちょっと前に書いている。

できれば上のマガジンのリンクからnoteを5本読んでいただきたいが、合計で2万5000字ほどある。しんどい。書いた本人でもわかる。しんどい。だからここでざっくり書いていこう。

端的に説明するなら、『夜明けまで強がらなくてもいい』を取り上げるのが良いだろう。あれは「乃木坂46に4期生が加入したこと」そのものを描いている曲だ。「新しい世代の視点で、既に完成された組織の中でどう活躍するかを探っている」、そんな歌詞になっている。

思えば『バレッタ』は、グループとしては初めての新メンバーである2期生に対して「この子はどんな子だ?変な子じゃないか?」、そんな不審な視線を切り取ったものだった。

もちろん新メンバー加入のタイミングで出た曲に限らない。例えば『気付いたら片想い』は初めてセンターを務める西野七瀬その人(と彼女に向けた感情)を描いた楽曲である。『何度目の青空か』は、生田絵梨花の一時活動休止からの復帰に対する不安と喜びを切り取ったものだ。

こういった形で、シングル曲は「その時の乃木坂46」をそのまま表すものになっている。言い換えれば、個々のメンバーが上に登った、下に下がった、そういった理由による入り外れからは離れていったように思う。

だから、選抜入り、あるいはセンター抜擢が一概に実力を認められたことにはならないようにも思う(歴代のセンターに異論があるわけではない。念のため)。ないことはもちろんないが、全体のストーリーが重視されていることは確かだ。

そろそろ、まあやの話に戻ろう。

要は、そのメンバーの実力やら活躍うんぬんが「選抜に入るかどうか」にそのまま反映されることはなくなったように思う。

特にまあやは、ここ最近で言えば「アンダーメンバーのリーダー」という役割も与えられた。そちらでの単独ライブを行うこともあり、組織として必要なポジションとなっていたのだ。そうなってくると、良し悪しで単に選抜に入る外れるの話ではなくなっている。

だからこそ!だからこそ、今回彼女が、まあやが福神メンバーになっていることに意味があると思うのだ。

そもそも「アンダーメンバーのリーダー」に任命されたこと自体、ライブにおける実力、グループにおける立ち位置、それらが認められたからこそ任された重大なポジションだ。そんなの、選抜に入るのと同等、いやそれ以上じゃないか。

つまり、まあやは選抜入り、福神入りする能力は既に持ち合わせている。仮に、ステータスを数値化した時、そこに不足している要素は一切ないのだ。

なのに今まで選抜入りしていなかった。それは上に書いたように、選抜、あるいはシングル、表題曲というもののあり方が単に諸々の評価によって決まるものではなくなっていたからだ。

しかし、「選抜」「福神」という肩書が大きいのは事実だ。それが付くか否かは大きい。

それが、まあやにようやく付いた。実力から何から、本来的には十分にその資格はあった。乃木坂46のライブを観たことがあれば、それは理解できることだろう。ここまでそれを書いたつもりだ。

これからは、まあやは「福神メンバー」だ。「福神入りした経験のあるメンバー」だ。それは彼女を語る上で、彼女の実力を語る上で、本来ならばとっくに付いているものだった。それが今までに与えられていなかったことは、不測のことですらあるように思える。

だから、「まいやんの卒業シングルである」と言う理由だけで、まあやの選抜入り、福神入りを語れるものではない。

選抜というもののあり方に何か言うつもりはない。ストーリーも必要だ。ドラマも必要だ。今のようなあり方になる気持ちはよく分かる。むしろ個人的にそういうのは好きだ。

でも、その上で、それを超えた意味を感じてやまないのだ。まあやが今2列目にいて、福神となったその意味を大切にしたい。

既にアツアツに語りすぎた。本当はもっと色々言いたいのだ。例えば今回組まれたシンメとかだ。

例えば「あしゅみな」シンメだ。『今、話したい誰かがいる』以来のアレだ。

飛鳥ちゃんと言えば、『ジコチューで行こう!』『Sing Out!』等で既にセンターを務めた、グループ的にも最重要メンバーだ。初期はアンダー経験が長いところから、今や一つの「主人公」の位置にいる。

そしてみなみちゃんもグループにとって最重要メンバーだ。しかし彼女はどちらかというと「生生星」にあるような初期のフロントメンバーの印象が強く、現在では独立した単機決戦の可能なメンバー、あえてストーリー的に言うなら既に「後ろで支えるポジション」のようにも思っていた。

しかし今回この二人が肩を並べた。そこに意味があることは正直語るまでもないことだと思う。

とりあえず以下を読んでいただきたい。こっちはそんなに長くない。でも面倒だったら読まなくていい。時間は有限だ。

ここに書いてあることは、要は「飛鳥ちゃんとみなみちゃんは1st~15th頃までポジションが入れ替わるようになっている」ということである。故に、この二人はお互いを複雑に意識していたのではないか、ということを書いている。

「不仲説」という面白エンタメゴシップもあった彼女らだが、なんやかんやを経て、二人とも成人を迎えた2019年には『乃木坂世界旅』にてとっても楽しそうな最高の二人旅をするまでに至った。

その旅が行われる直前にも、乃木坂46の「次世代」を担う立場として、各書のインタビューにてお互いがお互いを気に掛ける発言もあった(まさに、それが二人旅の前日譚となっていた)。

そんな二人がこうして肩を並べるポジションを担うこと、特にみなみちゃんは福神やフロントのポジションも久々である。そういった"流れ"を踏まえてみると、飛鳥ちゃん、みなみちゃんがそれぞれあの位置にいることに意味を感じてならない。シンメに置かれたことに意味を感じてならない。

乃木坂のシングルフォーメーション、そのシンメの配置にはこれまでも何かしら意味を持たされていた印象だが、今回はこのタイミングで行われた「あしゅみな」シンメに、強い意味を見い出したい。

シンメに関してで言えば、他にも色々ある。

例えば3列目両端だ。ここ何作かのそのポジションは、我らが新内さんと梅澤美波ちゃんの長身ツインタワーシンメが多かったように思う。

その配置に関して何の異論もない。全体のバランス的に、背が高い子は両端であるそのポジションに置いたほうが綺麗に見える。むしろそれが固定の安定のポジションであることがなんだか嬉しい気持ちもあった。乃木坂ANNリスナー的に。

しかし今回少し変わった。梅澤・賀喜シンメになった。公式の身長を調べてみると、梅澤・170cm、新内・165cm、賀喜・166cm。仮に身長のみでこのポジションが決められていたのなら、数字の通りだ。

もちろんそこに別に文句があるわけでは全くない。むしろ全体が綺麗に見えるのに越したことはない。個人的には高身長女子は好きなので、いや、これはいいか。えー、2019年の神宮ライブを見ても、3期生・4期生によるステージでも梅澤・賀喜の2人がペアを組んでいた。各チームのしっかりものポジション的にも、この2人がシンメであることの方がむしろしっくりくるように思う。

だが本旨としてはそこじゃない。新内・梅澤シンメが解体されたことで、新内さんが一つ内側のポジションになったことについて語りたい。

それによって北野日奈子ちゃんとシンメとなった。「運命共同体」シンメじゃないか。意味どころじゃないじゃないか。「運命共同体」とは何か?もはや説明することすら野暮だ。これを読んでいるならば、少なからず2期生が好きなはずだ。だから説明は不要なはずだ。万が一、知らないのであればググるべきだ。

2期生ライブを控えるこのタイミングとしても、なんともグッとくるリフレインだ。彼女たちの歴史を巡るリフレイン。今、彼女達の「運命」を感じることに意味があるとしか思えない。

2期生と言えば、ここ最近フロントであることが多かった堀ちゃんだが、今回は3列目だ。しかしそれが単に「下がった」ではないことは今更言うまでもないだろう。

ここまでと同様、シンメに注目してみよう。遠藤さくらちゃんとシンメだ。それぞれ『バレッタ』『夜明けまで強がらなくてもいい』でセンターを務めた、その時その時の「新世代のメンバー」を担ってきた2人だ。その2人が肩を並べること、そこの「エモさ」を見逃してはならない。そういうことだ。

堀、遠藤の「エモさ」に注目するのならば、その間に挟まれる大園桃子ちゃんにも注目しなければならない。彼女は所謂「裏センター」だ。全体を真正面から映したとき、「抜け」に立つ重要なポジションだ。

桃子は前作リリース前後のタイミングでは活動を休止していた。故に選抜メンバーではなかった。それが今回、既に活動復帰していたので選抜入りすることができた。夏の神宮ライブでの、その「復活」もまたエモい。

彼女は、これまでWセンターを務めたことがあったり、選抜入りを何度も経験したりしていたが(『シンクロニシティ』のパフォーマンスで最高点を叩き出すのは常に彼女だ)、ある種、今回が一番意味があるように思う。

桃子とまいやんの関係性はもはや語るまでもないだろう。鹿児島から出てきた彼女が、東京でアイドル活動をしていく上で誰よりも支えてくれた存在がまいやんだった。とかいう話を抜きにしても、この2人の関係性は語るまでもないだろう。

「裏センター」というのは、これまでも陰ながら重要なポジションだった。とりわけ、『インフルエンサー』の伊藤万理華、『シンクロニシティ』の生駒里奈は語り草だ。彼女らの卒業のタイミングを加味するにせよしないにせよ、非常に存在感のあるものだった。

今回の25th選抜は2列目は偶数人数なため、3列目の真ん中に位置する桃子のポジションこそが「裏センター」だ。

今作で卒業するまいやん、そんな彼女をパフォーマンス的にもストーリー的にも支える重要なポジションであろう。ただそれは今時点では語ることは出来ない。今後の歌番組なり、ライブなりで観ていくことになると思う。

そこを大園桃子という白石麻衣と切っては切り離せない「後輩」が担うのだ。それが楽しみでないはずがない!その想いなんかも是非ブログか何かで聴きたい。

しかしながら、きっと桃子はまいやんを支えることが出来るだろう。その役割を果たすことが出来るだろう。

いちファンとして、そんな感じに色々巡る想いがあるのだ。

他にはどうだと言われれば、もちろん語り尽くせない。

上ではまあやについてのみ書いてしまったが、同様に選抜入りしたかなりん、ひなちまだってとても意味がある。それこそ、選抜入りする実力は十二分にある2人だ。アンダーセンターだって何度も務めてきた。テレビ出演のピンチヒッターとして何度も活躍してきた。

あくまで選抜入りしていなかったのは、上で書いたような選抜というもののあり方の問題であった。アンダーという組織がある以上、そちらを支える存在としても不可欠であった。それこそ、実力がある故だ。

しかしそんな彼女らが福神となった。本来は実力的には常にそこにいてもおかしくないはずだった。

彼女たちの立つステージは何度も見てきた。そして、ステージに立つ彼女たちに何度も魅せられてきた。

乃木坂46というグループは、段階的にだが、歩んできたその歴史においてパフォーマンスに向ける比重が徐々に上がってきた。『インフルエンサー』『シンクロニシティ』、『Sing Out!』などはまさにそれが表れている。

その一端を担う存在、いや、両翼として高みへと導く存在が彼女たちであるはずだ。

「事実」として今回選抜入り、福神入りしたことは今後の彼女たちの(そして「乃木坂46」の)ストーリーにおいて重要な意味を持つだろう。

紛れもなく、中田花奈、樋口日奈、そして和田まあやは乃木坂46の福神メンバーになるべくしてなった存在である。

そして、センターを囲むメンツである、松村沙友理、生田絵梨花、秋元真夏、高山一実、この4人がそのポジションにいることは決してたまたまではない。

「今いる1期生を並べました」的な見方もすることは出来るっちゃ出来る。実際問題、1期生はずいぶんと少なくなってしまったものだ。ちょうどここ数日に7thバスラの全曲振り返りが公式Twitterでされていたので、余計にそう思うところはある。

でもよく見て欲しい。見なくても分かるかもしれない。

まいやんを中心とした布陣として、これほどのものはないだろう。まいやんの両隣を見てみよう。後ろを支える人を見てみよう。これほどのものはないだろう。そう思うのは、彼女たちがただただ築いた関係性によるものだ。

もちろん、上でも書いた、その周りを囲うメンバーも間違いない。あしゅみなが、さゆ、まあやが、ひなちま、かなりんが、まいやんを囲って見守っている。それを後輩たちが後ろから見据えている。

説明も何もないような気がしてきたのでここで終わろう。

本人の意志とは関わらない(であろう)選抜メンバー、ポジションでありながら、1期生たちの絆を感じてならない配置になっているように思う。

以下は本格的に余談だ。

それぞれのメンツを見てみよう。なるほど堅実な人選であるように思う。ある意味、前2列にこそストーリーのある選抜だ。3列目は、配置にこそ意味を感じるが、これまで選抜経験(それも複数)があるメンバーばかりである。

なぜなら、そこに波乱を生んではならないからだ。たった今書いたように、前2列がこそ強い意味を持っているからだ。

それに対して「なんだよ、つまんねえな」などと言うつもりはない。そんなことを言っているやつは馬鹿だ。

しかし、こんなフォーメーションであった時、次のフォーメーションは激変することがある。『Sing Out!』から『夜明けまで強がらなくてもいい』の変化なんかは、まさにそうだ。他にも、いくらでも例は挙げられるだろう。

何が言いたいかというと、25thの選抜が発表された直後でありながら、26thからの乃木坂46のストーリーがもう楽しみでならない、ということである。

まとめ

一つ書き洩らしていた。さゆにゃんのことだ。彼女は自ら「静かに卒業したい」と言っていた。「普通にみんなと過ごす」ことが大事なことである、ということを語っていた。

だからこそ、彼女は卒業を控える1期生でありながら、「まいやんを送り出す」側の立ち位置にいるのだ。もちろんそれは、自身の卒業がどうとか関係なく、仲間としてすべきことなんだと思う。それを彼女は果たしたいのだと、勝手ながら思う。

それも一つの形だ。敢えて「卒業」を絡める事が絶対正義ではない。本人の望む形が叶えばそれでいいのだ。きっと、卒業後もすぐに活躍する姿が見れるでしょうから。彼女ならばね。

以上。

(歌詞について書いたものはコチラ)



いいなと思ったら応援しよう!

春
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。