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続・乃木坂46メンバーの『名前』はいかにして素晴らしいのか

名は体を成す、体は名を成す。乃木坂46メンバー達の名前は誰のものを見てもやけに美しく、かつ、まるでその本人をそのまま現わしているかのようにドンピシャな名を有している。そんな素晴らしさに感銘を受けるのは言わずもがな、じゃあそれを改めて掘り下げて紐解いてみようという、そんな試み。

を一度したのが2018年に書いた以下note↓です。(出来映えはさておき)例えば「白石麻衣」や「桜井玲香」、「星野みなみ」などを取り上げましたが、それをじゃあ、また久しぶりに実践しようというのが今回です。

ってことで二年半越しの第二弾。最近「良いこと言ってる」やつが続いてしまってやだったたので、一回「ずっと何言ってんすかねえ!?」なことがしたくて引っ張り出してみました。

例に違わず勢いの部分が多分にあるので、広い心で読みつつ時折「ダメー!」とツッコんでください。「キャー!」でもいいです。

あらかじめ断りますが、文量の都合で今回は10人のみをピックアップしました。また、そもそもの対象は加入前だった4期生を含む前回↑で取り上げていない人のみです。

遠藤さくら

「遠藤」がまず何より良い。レア苗字、レア名前の方が唯一無二性を現わすことができそうではあるが、むしろだからこそ良い。

「遠藤」という比較的よく見る(同じクラスとかにでも大体いそうな)苗字を携えていることで、彼女自身のどこか素朴な印象が表れて、彼女がどこにでもいそうな女の子であることを示し、同じクラスにもいそうな雰囲気を生む。その非凡なさ、目に見えて明らかなスターではないことを、「遠藤」という苗字が語っている。

が、しかし、何を言ってる。

実際の彼女が凄まじい輝きを放つ存在であることは知っての通りだ。だからこそ、一見示された非凡なさは、むしろ彼女の輝きを強調するための伏線のようなものだ。逆説的に、彼女が原石ないしシンデレラであることを語っている。

それが解かれた時に思い知る、「こんなところにこんな逸材が潜んでいたなんて!」という驚きは神秘性さえあるし、むしろ「もしかしたら僕らのクラスメイトも…」と夢を見てしまう。

であっても、実際のところ彼女自身の人格は「遠藤」のように控えめで慎ましく、温かい。あれだけの活躍をあれだけ重ねても、だ。そういったバランス感覚。ここに書いたすべてを踏まえた上で、彼女の「遠藤」はこれしかないと言える苗字である。

「さくら」は言わずもがなである。桜という花が示す、華やかさ、身近さ、季節の匂い、何かが始まる予感、微笑みを誘う柔らかな雰囲気、「咲くLove」に与えられた恋の煌めきも纏いつつ、乃木坂46的には前キャプテン・桜井からの継承の意味さえも持ってしまった「さくら」。

ひらがな表記なことがまた「遠藤」に似た効果を生んでいるが、そうした名前から受ける(一見)非凡なさと、実際の彼女が放つ輝きがこそ、4期生の中心に立つ彼女の内にある(しかし溢れている)主人公性を物語っていると言えそうだ。

賀喜遥香

「賀」「喜」というめでたくてハッピーな字面がまず良い。明るくてみんなに好かれる彼女らしい広がりある字を有している。「か」「き」というエッジの効いた発語感がまた良い。こちらもやはり、度々"イケメン"と称される彼女らしいキレのある音を有している。

一方で彼女は、心身ともに完全なる一軍女子かと言うと実はそうでもないらしく、繊細で大人しい一面も持ち合わせている。常に明るく皆を引っ張るようで、気弱な性分を漏らすこともあれば、自身を指す「ミスパーフェクト」という表現に複雑な表情を浮かべている時もある。

そうした、ある種の理解されなさ(表立ったイメージの先行)が、「賀喜」に現われているかもしれない。数の多くない、あまり見慣れない希少なその苗字からは、取り残されてしまったような、ほのかなしさの表現をつい見出だしてしまう。あえて言うなら、「賀喜」のやや変換しにくささえもその一端か。

しかし、彼女は唯一無二のスターでもある。大きなドーム会場を若くして一人背負った彼女がスターでないわけがないじゃないか。そもそも「賀」「喜」の二字が持ち合わせていた意味は、未来のスターとして生まれ落ちた彼女を祝福したものだ。

「遥香」がまた良い。「はるか」が良い。「はるよ」も大変良くて語りがいがあるのだが、彼女の名前としてはやはり「はるか」であるからこそ良い。「はるか」という名からは快活で明るい少女をやはり連想してしまう。

それは一見彼女の外面のイメージになってしまうようで、それはただのイメージではなく、実際に彼女が持ち合わせている性格でもあり、我々が彼女から感じている確かな魅力の一つだ。「かすみ」とか「ひかり」とかではしっくりこない。やはり彼女は「はるか」なのだ。

「遥」「香」なのもまた良い。果てしない未来を思わせる「遥」、「さくら」と近い意味をもたらす「香」。笑顔と希望に満ちた名である。

清宮レイ

綾波レイからの引用を感じてしまう「レイ」。実際にそういう由来ではないだろうが、しかし親御さんはちょうど世代なんじゃなかろうか。

正しい意味を探るなら、おそらくRay(光線)だ。光線、光である「レイ」が示すのは、8月の太陽である。

麦わら帽子、白いワンピース、野球の音と歓声、長々と続く上り坂、街で見かける小学生達、喉を潤すサイダーの炭酸。それらをまとめて照らし出す太陽だ。彼女の精神性と見事に重なり、更にあの眩しい笑顔をも連想する。それがRayである「レイ」である。

しかし「清宮」によって話が変わってくる。「清」だけならば、この一字が持つフレッシュさや爽快さ、純粋さの印象が、彼女がもたらす夏の到来を盛り立てていたが、そこに「宮」が付くものだから一転して神々しさを携えてしまう。

宮殿、王宮、宮廷、宮内省、竜宮城。「天子・神・仙人などが住む所。御殿。」との意味を持つ「宮」と合わさってしまっては、「清」の字も新たな意味を持つ。それは、穢れを洗い流す行為。禊。祓。不浄を取り除く神事である。

そうした読み解きを以てして、「清宮」とは神聖な力が働いた厳かな場を指すことがわかる。つまり「清宮レイ」という一文は「(神聖な)宮を照らす太陽」を表したものだ。

であればRayから感じた太陽の存在は、彼女の明るさや夏の眩しさを表現するにとどまらず、日本神話最高位の太陽神・天照大神その人を示すことになる。

彼女を「神の子」なんて表現することもあったが、実はそれそのものだったという事だ。神の子どころか神そのもの、その化身、あるいは生まれ変わり、いやむしろ、この現代こそが清宮レイという後に天照大神となる神の誕生した瞬間であり、つまり久遠の神話はこれからはじめて語られるのだ。

まさか、この現世(うつしよ)に神が既に降臨していた。神が、神がいたんだ。

林瑠奈

「林」がまず良い。思わず苗字で呼び捨てしたくなる(4期生間では実際そうなようだ)。「森」ではなく「林」であることがまた、響きといい字面といい意味といい、絶妙にスキがある感じがしてまた良い。

単純に「はやしるな」という五字の名前も良い。大体の場面で言いやすいし、言いたくなる。「ほりみおな」も言いたい。

しかし「瑠奈」こそが特に良い。まずもって、本人の落ち着いた印象に反してやけに可愛らしいその響きは生駒「里奈」のようであり、名前が可愛いという事実自体がまた可愛い。だが今回はそこではない。

「瑠奈」とはローマ神話に登場する月の女神・ルナであり、それはつまり月そのものだ。そう考えたら「レイ」と背中合わせに思えるが、しかしこちらでは違う角度で話を進めていこう。

月は恒星ではない。つまり自ら光を発しているわけではなく、太陽の光を反射することで月光が生まれ、我々の夜を照らしてくれている。それはまさに彼女の姿に重なるのではないか。

この場合の「太陽」とはつまり乃木坂46である(※強調するが「清宮レイ」の読み解きとはまた別の捉え方である)。彼女は乃木坂46の放つ輝きを愛し、憧れ、そして乃木坂46の一員になった。そんな彼女が今放っている輝きは言うまでもないだろう。しかしそのルーツを辿ってみたら、そこには乃木坂46の存在があったわけだ。

つまり、今現在我々を照らす林瑠奈の輝きは、乃木坂46がかつて照らし、彼女がその身に受けたからこそ届く光である。

そんな彼女の物語を予言するかのように名付けられた「瑠奈」。彼女がファンとして、メンバーとして辿った道が凝縮されているこの名は、女神の素質を暗示していることも含め、なんともふさわしいものだ。

伊藤理々杏

奇しくも「シーサー」と韻を踏んでしまっている「理々杏」。

まず「杏」といえば果物のアンズだが、ここでアンズにまつわるお話をしよう。……と言いつつ、誤記してしまってもアレなので、検索して出てきたページからそのまま引用する。

その昔、中国に董奉(トウホウ)という仙人がおりました。 仙人は、病気になった人たちを無償で治療していきます。人々はそんな仙人の行いに感謝し、お礼をしようとするのですが、仙人は感謝の品々を決して受け取りません。
そして、言うのです。「礼の代わりに我が家の周りにアンズの種を植えて欲しい」と。それは病気の程度によって変わりました。 重病が治ると5粒、軽い病気が治ると1粒といった具合です。人々は病気が治るたびに植えていきました。
時が経ち、董奉の家は立派な杏の木で囲われるようになります。 董奉は、そこで実る杏を穀物と交換し、貧しい人々に振舞いました。
https://zealandbifu.com/column/column_anzu/index_10009.html

人々に善行を振る舞い、見返りの謝礼よりも、未来に繋がる真心を求める姿。それはまさにアイドルの行いそのものじゃないか! いや必ずしもそうかはわからないが、彼女達が時にそうした姿勢を見せることは事実。

そしてそれはまた、誰よりも「アイドル」な(『僕の衝動』を披露する際の鋭い視線も含めて)サービス精神旺盛な彼女にこそふさわしい物語だ。つまりは「杏」とは、アイドルたる彼女の在り方を語る一字なのではないか。

そして、それに被せられる「理」。若干十代にして、同期の中でもとりわけ賢くて理知的な彼女を、まさに現わす一字だ。さらに「々」でそれを重ねられることが何の違和感もない程には、やはり彼女は理知的だ。

これらすべてを組み合わせてみたところ、「りりあ」というとんでもなく可愛い響きに完成されてしまうところまで含めて、彼女そのものを完璧に表している名前と言える。

「伊藤」に関しては、歴代「伊藤」メンバーを振り返るところから始めないと語れないので今回は割愛。

吉田綾乃クリスティー

おそらく乃木坂メンバー1初見のインパクトが強い名前であろう「吉田綾乃クリスティー」。17thシングル収録の個人PV『吉田と綾乃とクリスティー』が「まさに!」という感じである。

彼女は、「吉田綾乃クリスティー」である、というより、「吉田」であり、「綾乃」であり、「クリスティー」である。それぞれの名前から受ける印象を、それぞれ独立して持っている。ように思える。

仲良しの久保をはじめとしたメンバー達から「吉田」とぞんざいに呼び捨てられることがままある(自らそれを求めているようだ)が、その抜けた響き、画数の少ない字面にも表れている軽い感じ、どこか距離感が近いような印象、いずれにしても、彼女はあまりにも「吉田」だ。

一方で、すごく「綾乃」である。彼女は3期生最年長でありながら、それに伴う頼りがいは、おそらく梅澤に譲っているだろう。しかし、その確立された緩やかで揺るぎないスタンスは、11人の妹たちを確かに支えている。「綾乃」という優しい響きと柔和な印象こそ、彼女の人格が真に現れたものと言えそうだ。

ちなみに「綾」の字の意味を検索してみると、「物の表面に現れたいろいろの形・色彩。模様。」と出てきて、これまた「まさに!」じゃないか。「綾」だけで既に「吉田綾乃クリスティー」を意味していたというのだ。

そんな入れ子構造が彼女自身の魅力にも通ずるように思うが、ハーフじゃないの嘘だろってくらいのクリスティー顔であるからまた良い。そう、彼女はやはり「クリスティー」でもあるわけだ。

見た目の話はさて置くとしても、どこか浮世離れした独特のノリ、実は冷静で達観しているような態度など、日本人らしからぬ、なんて表現が正しいかはわからないが、案外それは世界にこそ通用する気がしないでもない。

かつて「世界を平和にするぞ!」と宣言して(モチをついて)いた彼女だが、そのキャラクターのままい続けたら、いつか達成できちゃうのかも。

梅澤美波

「梅澤」という字を見ると、おっちゃんこと富美男が顔を出してきそうところだが、当然関係ない話である。表記も違うし。

梅というとやはり梅干しとかカリカリ梅とか、果実の方を連想してしまうが、今回はそれよりも「梅の花」に注目したい。桜は3~5月頃に開花するとされるが、梅はそれよりも少し前、1~4月に開花する。つまり梅の花がこそ、いち早く新しい季節の到来を知らせるのだ。

まず一つ、このことは、彼女が新たなる"風"であった3期生の一人だという事実とリンクする。

乃木坂46の新たな時代の幕開けを知らせる12人に、まさしくそのことを名を以て示す存在がいたのだ。センターに立つ"桃"もまた桜に先んじて花をつけるが、そちらはどちらかと言うと、今こそ「さくら」との関係性を軸に紐解くべき内容であるのでまた別の機会に。

そして、彼女と言えばすっかり9thバスラでの『シンクロニシティ』が印象強い。「梅」が示す新しい季節の到来とは、まさにあの曲を通して遂行された「継承」をも指すだろう。

白い雪がまだ溶け残る中、ひっそりと開く梅の花。暖かな風がもうすぐ吹くよと報せる存在としての彼女は、それをまさに名でも体でもあの『シンクロニシティ』によって表したと言える。

また「美しい波」という名前が良い。やはりこの名前からは、彼女の生まれの地である湘南の海を思い起こす。そこに流れる憧憬の念が、夢を追って地元を離れ、乃木坂46となった彼女を優しく支えている。

そして何より梅澤家はめちゃくちゃ仲良しである。お父様の誕生日に際し、何をプレゼントするか悩む様子をラジオで話すくらいには仲良しだ。そんな家族から与えられた名前が、共に暮らしてきた場所の風景を切り取っていることがまた、たまらなく素敵だ。

向井葉月

「夜の月と樹々の葉が井戸を挟んで向かい合っている」という情景を描いた故事成語のような美しい名である。

つまりこれは、「空に浮かぶ大きな月も、散り行く一枚の葉も、違いのないものとして並べられるほど、等しい価値を持っていますよ、何事にも差や貴賤は無いのですよ」と訴えかける故事成語なわけですね(?)。

「井の中の蛙」なんて慣用句もありますが、逆に井戸の中から見つめたものは、切り取られた円の内側ではさして変わらないように見えて、そこには違いも差も無いも同然なわけです(?)。月か葉かではなく、外の世界そのものが持つ尊さに気付ければこそ、ということを謳った故事成語なんですね(?)。

そしてそんな名を持つ向井葉月という人間が、大海に飛び出してから既に4年半。しかし今なお、彼女から乃木坂46という存在へ贈る愛も情もひたすらに熱い。

当時はただ眺めるばかりであった外の世界、現在においては辿り着くことの出来たその世界が、彼女の眼には今なお尊く映っているのだ。その事実がグループそのものの価値や美しさを、更に底上げている。

それが彼女の一つの役割でもあるし、ひいては輪廻のように巡る概念として、新しい世代の中でも息づいている。無論彼女自身も今や憧れを受ける対象の側になった。そのことが、実は井戸の中も外もひと続きに繋がった尊い世界なのだ、という事を明らかにしている。

そうした考え方を表したのが「向井葉月」という故事成語であり(?)、その名を体に成している彼女こそが、また尊い存在なのである。

寺田蘭世

「蘭」の一字が良い。花の名前をどんと掲げているが、「さくら」とはまた違った印象で字面も相まって非常に力強い。

花種もまた絶妙だ。蘭とは素朴な一輪の花ではなく沢山花を付けるボリュームのある種であり、それでいて派手過ぎず、しかしきらびやかで、そして枯れにくく花持ちが非常に良い(縁起のよさも相まって祝花としてよく用いられる)。

そんな蘭という花の性質を丸ごと閉じ込めているかのような「蘭」という一字。それを与えられた彼女はまさに蘭の花をその身に体現しているかのようだ。一見華奢だが(華奢ではあるが)その魂は抜きん出て力強く、しかし泥臭くなく常に華やかだ。

また、華奢さから連想してしまいそうな儚さとは無縁な印象で、むしろ余裕の表情がよく似合う。それはセンターを務めた『滑走路』のパフォーマンスなどで垣間見えるが、まさしくそれらを披露する際の存在感は抜群。「桜でもなく薔薇でもなくチューリップでもなく、蘭」という宣言がまた飄々としていて小気味よく、なおさら彼女の深みが現れているようだ。

そんな「蘭」の字を「世」で受け止めるのがまた良い。つまるところ「世界」であって、そんな壮大なものを背負っているのだから呆然とするばかりだが、しかしなんだか納得感もそこにある。むしろ(彼女自身を示す)「蘭」で世界をいっぱいにしてやろうという気概が名に現れているようだ。

そんな、あまりにも分厚い名に対して「寺田」という素朴さも感じる苗字でバランスを取っているのがなお良い。個人的には、思わず『こち亀』の寺田(後に「丸井ヤング館」に改名させられる)のことを思い出してしまうのだが、ある意味、そうした等身大な雰囲気も取り込むことで、世俗から距離を空けすぎず絶妙な塩梅で「生きた人間」であることを証明しているようにも思う。

かつ、この苗字によって「てら」「だら」「(ん)ぜ」という類を見ないリズム感をその名にもたらしてるのだから、また奥深い。6分の2だけなのに濁点の印象がやけに強いのは、それぞれの最後の字に配置されているからか。

伊藤純奈

まずイニシャルの「J」が良い。謎の男が仮に名乗る名前と言えば決まって「J」だ。そんな"Jと呼ばれる男"が持つ不敵さ・謎めき・陰りのニュアンスがそのまま、彼女の持つ色気や冷静な人格に影響を与えている。

それでいて、「J」を紐解いてみたら「純奈」なのだから愛おしい。「ゅ」がポイントだ。飛鳥を「あしゅ」、一実を「かじゅ」、松村を「まちゅ」と呼ぶことがあるように、「ゅ」は可愛らしさを旋律として呼び起こす効果を持つ。いや、最早可愛らしさを示す記号そのものだ。星野みなみちゃんを今後 「ゅ」と呼んでも問題ない。

それをハナから持ち合わせている「純奈」。思わず言いたくなる。「じゅんな」。可愛い。「んな」というNが続く角の取れた発語感もまた可愛い響きに寄与している。本人が自ら名乗る時「いたーじゅんなです」にちょっとなっちゃうところも可愛い。

「純」という一字も良い。純奈のまっすぐさも凛々しい佇まいも秘めたピュアさも全部表現してしまっている。つくりの「屯」が描くラインもまた心地良い。筆で書いてあったらたまらないだろう、その厳かなラインが字の意味を補強してくれている。

しかし「純」のみでその名を終えず、「奈」を連れていることも良い。「んな」の発音については上記の通り、そして「奈」が付くおかげで彼女が可愛らしい女の子であることが明白になる。「純」でも「螢」でもなく「純奈」。うん、良い。

「菜」でなく「奈」なことも良い。季節感やフレッシュさを連想する「菜」と比較して、一字の持つ意味合いが(少なくとも浸透してるか否かついては)希薄な「奈」。その分やはり彼女が可愛らしい女の子であることを示す、というかその役割のみにこの字は徹している。結果、むしろその役割自体が浮き彫りになっている。「奈」、可愛い。「東京ばな奈」さえも可愛い。

「伊藤」に関しては理々杏と同じく割愛。

まとめ

ということで、いくらでも書けるしじゃあ増える一方なので一旦10人だけピックアップして終えてみました。なぜかもう8000字超えてる。結局良いこと言おうとしているフシも見られますが、基本ふざけてるのでオーライです。ポエムを書きすぎていることは若干反省したいですね。まあこんな感じです。

普段こんな事ばっか考えています。

以上。




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春
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