⑦『こんなに美しい月の夜を君は知らない』歌詞解説募集キャンペーン投稿録
これのその7。
(その6)
角を曲がる(欅坂46)
映画『響 -HIBIKI-』の主題歌として使用された、主演も務めた平手友梨奈さんのソロ曲『角を曲がる』です。作品公開から約1年後、欅坂46の東京ドームライブにて披露され、その後MV公開、ストリーミング配信されました。
歌詞を追ってみると、これまでの欅坂46の楽曲と共通する内容が書かれている印象を受けます。特に『エキセントリック』『黒い羊』など、主人公たる〈僕〉が周囲との不和や孤独からくる心境を吐露する内容の楽曲に並ぶように思います。
『サイレントマジョリティー』や『ガラスを割れ!』などとも通じていますが、〈君〉〈お前〉に働き掛けるこれらとは若干異なります。『角を曲がる』は、上に挙げた2曲のように〈僕〉の内面が綴られたものです。
周りに合わせることを拒絶しながらも、その意志を『不協和音』ほど確固たるものとして持てておらず、〈普通〉という言葉に捉われて迷い悩んでいるように思えます。そういう意味では、『エキセントリック』や『黒い羊』よりも更に未熟(という表現は厳密には正しいと言えませんが)な状態であるともしてよさそうです。
そんな心境を、〈真夜中〉の道を彷徨う様子で表現しています。半ば呆然と歩き続けるなか何かを探し求めるように〈角を曲がる〉のです。「真っ直ぐ進む」という表現と対比してのニュアンスが込められているように思います。
しかし、夜道は〈僕〉だけのものではありません。そのことに〈僕〉は〈落胆した〉と明かしています。そのことは、〈僕〉がそうとは思えていないだけで、むしろ「同じ想いを持つ者がいる」ことの証です。
この点がこれまでの楽曲と異なる点であると思います。「自分対他者」の構図で、孤独を吐露する、ぶつかり合う、またそういった存在に手を差し伸べたり背中を押したりしていましたが、『角は曲がる』は〈僕〉と同じ想いの人がフラットに存在しているものとして描いています。
今は闇雲にすれ違うばかりですが、その存在はいつか〈僕〉を救うのではないかと思えます(逆もまた然りです)。
このような内容が『角は曲がる』に書かれていました。悲しげな雰囲気に包まれていますが、その先に繋がる片鱗や〈僕〉の強い想いも垣間見え、まだ見ぬ未来(あるいはすでに提示された)の「前譚」であろう歌詞世界です。
映画『響 -HIBIKI-』の主人公・響も、類まれな作家としての才能を持つ一方、周囲の人々と馴染むのが得意でなく、言動を理解されずにぶつかり合う姿が描写されます。原作第1話で響は以下のように零していました。
まさに『角を曲がる』の〈僕〉の言葉です。そして欅坂46のこれまでの楽曲を想起するものでもあります。平手さんが主演に選ばれたのも、本人の演技力や存在感はもとより、表現されていた世界観や価値観が作品と通じていたから、とさえ想像してしまうものです。
この楽曲を「響そのもの」と乱暴に断言できませんが、しかし共通する感覚を見出せるのは事実です。
それを「共感」と言い換えてもいいでしょう。響や欅坂46は、まさに夜道をすれ違うように同じ想いを持っています。それらが揃ってこそ、映画『響 -HIBIKI-』という作品は完成しているのかもしれません。
いつかできるから今日できる(乃木坂46)
『いつかできるから今日できる』は、乃木坂46メンバーが主要キャストとして出演した映画『あさひなぐ』の主題歌として使用されました。と言うか、同プロジェクトの一つとして実施された舞台版に出演したメンバーも選抜メンバーに揃っており、ある意味『あさひなぐ』の存在を踏まえて用意された楽曲とも言えそうです。
歌詞の内容は、物凄く掻い摘んで言えば「応援ソング」です。しかし単に「応援する」とか「背中を押す」とかではなく、タイトルにある通り「今日できる」ということを強く推しているものです。
〈いつか〉という言葉に対して〈今日できるよ〉と返しているのが印象的です。後半に〈先に延ばさずに〉〈今すぐに〉とも出てきますが、なんなら「急かしている」くらいに受け取れるような言葉で推しています。
とは言え本当に「急かしている」訳ではありません。そうさせるほどに、歌詞中の〈君〉が「立ち止まろうとしている」様子です。
〈やりたいと始めてみたこと〉を捨てようとしている〈君〉の様子が描かれています。〈空回りして全て嫌になったのか?〉〈密かな決心はどこへ捨てた?〉と問われるほどの状態の〈君〉に対しての〈君ならできる〉〈生まれ変わろう〉と応援するメッセージなのです。
それは闇雲に尻を叩くものではありません。当てもなく〈いつか〉を待っている、その想いは待てば〈いつか〉は叶う、と漠然と後回しにすることを否定するものです。自分の気持ち次第で〈今日できる〉、タイミングではなく〈やるかやらないか〉で決まるものだと言います。
「何事も始めるのに遅いことはない」「人生で常に今が一番若い」とは時折耳にする言葉ですが、それは明らかに正しいことであると思います。何となく言い訳をして後回しにするのではなく、チャンスを逃さないよう〈踏み出せよすぐに〉、なのです。
そんなメッセージが内包された『いつかできるから今日できる』ですが、背景をさかのぼってみれば、その言葉の源泉は明白です。
『あさひなぐ』には、以下のようなセリフが現れます。作品序盤においても屈指の名シーンにて、主人公・東島旭(とうじま-あさひ)がモノローグの中で念じた言葉です。
薙刀部にペーペーの初心者ながら所属した旭が、まるで実力を伴わないままに過酷な合宿に参加、薙刀に触ることすら許されないカリキュラムを一人命じられ、睡眠時間を削りながらも挑んだ中で発したセリフです。
〈今この瞬間〉という言葉があまりにも眩しいです。この合宿のシーンは、乃木坂メンバーがそれぞれ演じた舞台版、映画版ともに取り入れられていました。
一人取り残されてしまうくらいに未熟ながら、決して甘んじず諦めることなく、旭はその小さな〈一歩〉を誰よりも力強く〈踏み出す〉のです。この姿は、過酷な合宿からこっそり逃げ出そうとしていた仲間の胸を打ち、その目論見を捨てさせるほどでした。
『いつかできるから今日できる』とは、まさに旭の姿を通して伝えられるメッセージであるように思います。もちろん、そういったチャレンジに重なるものを、乃木坂46のメンバー達もこれまでの活動の中で挑みクリアーしてきました。
そのように虚実がオーバーラップする背景も含め、旭が、乃木坂46が魅せるその姿が、『いつかできるから今日できる』という言葉に説得力をもたらします。
4期生として乃木坂46に加入した柴田柚菜さんも、それ以前からグループを愛し、この楽曲を愛し、聴いたり歌ったりするたびに「背中を押してもらった」と語っています。
楽曲のメッセージが、歌い手の姿を通してさらに補強されているのです。乃木坂46が自身らのドラマを積み立てていきながら、鮮度の高い名作と力を合わせて、こんなにもストレートな楽曲を産み出したことは、もしかしたら必然とも言えるかもしれません。
羽根の記憶(乃木坂46)
12thシングルのカップリング曲『羽根の記憶』です。MVも製作され、杉山勝彦氏作曲の心地よいメロディが支持を集めと、限定盤にひっそりと収録された立ち位置ながら、人気の高い楽曲である印象です。
『羽根の記憶』というタイトルから一見歌詞の内容は想像つきませんが、そこに記されているのは〈未来〉に思い馳せる様子です。
〈目に見えない羽根〉というフレーズが用いられています。これはタイトルの『羽根の記憶』と同等の意味を持つ言葉でしょう。以下のようにも書かれますが、〈羽根がある〉とただ信じる・想像するだけでなく、「確かな記憶として有する」という強固な意志です。
〈羽根〉とは〈可能性〉の象徴です。それと並ぶように〈空〉も同じく用いられています。
〈空〉と言えば、乃木坂46の楽曲においてこれまでも度々用いられてきたモチーフです。代表的なところで言えば10thシングル表題曲『何度目の青空か?』があります。
また、『ジコチューで行こう!』に収録された『空扉』もタイトルに〈空〉と用いられた楽曲としてあります。
『何度目の青空か?』『空扉』とも、『羽根の記憶』とは〈空〉の使い方(意味の持たせ方)が異なるように思います。〈見上げてみよう〉〈見上げるためじゃない〉の食い違いに触れるまでもなく、何を意味するものとして〈空〉と用いられているかがそもそも違います。
『何度目の青空か?』は「曇り空」「夜空」との対比です。それらを後ろ向きなニュアンスで示し、それをが必ず〈晴れる〉と謳うことで、〈僕〉の想いを通して聞いての背中を押すものです。
『空扉』はもっと明確な意味を持たずに用いられています。敢えて言うなら、〈僕〉の「手が届かない遠い領域」そのものでしょうか。だからこそ、〈向こうには何がある?〉と先にあるものを求めているのです。その答えはこの時点では知る由もありませんが、それでも〈想像〉を止めません。
『羽根の記憶』においては、『空扉』と近い用いられ方をしているように思います。その〈空〉を飛ぶことが〈未来〉へ繋がる〈自由〉だとしています。どちらかと言うと、その〈羽根〉を使うための機会としての〈空〉です。
その機会は常に最初からあるという訳ではないとも言います。
ここぞというタイミングがあると言います。おそらくですが、それは待っていれば勝手に訪れるものではなく、自分で見定める、あるいは作り出すものです。
言うなれば『きっかけ』です。その瞬間を感じ取った時、自らの胸の内にどうしようもなく〈衝動〉が湧いた時、その〈羽根〉を広げさせるのです。
更に付け加えるなら、このような『羽根の記憶』に描かれたメッセージは同シングル収録表題曲『太陽ノック』とも通じています。まさに〈きっかけ〉と言う表現も出てきますが、自分の〈可能性〉をもって〈何か始める〉ことをあちらの楽曲も謳っています。
こちらも〈空〉とあります。そこに燦燦と浮かぶ〈太陽〉が〈未来〉や〈可能性〉の象徴として在るように思います。〈自由〉との言葉もリンクしています。一言ごとに対応させる必要こそないでしょうが、しかし同様な意味合いを持って放たれたメッセージであると断言してしまいたくなるものです。
こう比較してみると、『太陽ノック』と同じくらいには『羽根の記憶』はシングル表題曲にふさわしいと言えるかもしれません。歌詞からの印象以上の根拠はないため何とも言えませんが、そのメッセージやモチーフの共通性は妙なほど見出せます。
シングル表題曲は乃木坂46の直系的なストーリーに沿われているものと、個人的には見立てていました。『羽根の記憶』も、成熟と変革の時期にあった乃木坂46の在り方と重なると言えるようにも思います。それは『太陽ノック』らしくもあり、夏曲らしい誰かの背中を押すメッセージとして確立されています。
きっかけ(乃木坂46)
乃木坂46の2ndアルバム『それぞれの椅子』リード曲である『きっかけ』です。この時期の乃木坂46は紅白歌合戦初出場を終え、主要メンバーの卒業がいよいよ始まり、グループ的にも大きな変動の中にあったタイミングでした。そんな変化を彩るように、「新たな選択」に対して背中を押すメッセージが込められている楽曲と言えます。
『きっかけ』は初の東京ドームライブWアンコールでも披露され、またベストアルバム『Time fries』発売に際しての企画「#わたしの乃木坂ベスト」でもメンバーから最も得票を集めたりなど、グループにとって重要な楽曲であるとして扱われている印象です。
その歌詞に記されているメッセージはシンプルです。タイトルにある通り、人生における選択や変化の〈きっかけ〉を示したものです。
象徴的なモチーフは〈信号〉です。赤色と青色で、進行の可不可を(〈僕〉の意思とは異なる領域から)示そうとするものとして用いられています。
そして同時に、このような意味を持つ〈信号〉は〈きっかけ〉との対比です。〈きっかけ〉とはサビの歌詞で示されている通り〈この胸の衝動〉(それが湧いた瞬間)と同義ですから、まさしく自分の意思であるか否かをこの対比で表しています。
〈考えたその上で〉なのです。自動的に機械的にタイミングを示されるのでなく、納得して選択すること、それを踏まえて〈未来を信じること〉を〈僕〉は大切であるとしています。
しかし〈僕〉には少し自信が足りません。だからこそ〈きっかけ〉が〈欲しい〉と言います。そう求めているのは、意思を超えて自動的に決定されることではなく、ふとした拍子にハッとするような、些細な働きかけです。
歌詞中では描かれていませんが、その〈きっかけ〉になり得るものとして実は〈信号〉があるのかもしれません。「信号が青になったから進まなければならない」といったルールとして縛るものではなく、(本来何の関係もない)「信号が赤から青に変わった」という一瞬の些細なサインとして意味を持ち、〈僕〉の内に湧き立つ〈衝動〉を「行動」に変化させるのです。
もちろん、それは何でもいいのです。スターターピストルの破裂音でも、時計の針が重なった瞬間でも、誰かのくしゃみでも、何でもいいのですが、あと一歩〈背中を押すもの〉として「今!」と言う瞬間を示してくれる〈きっかけ〉が最後に一つ発動することだけを望んでいます。
逆に言えば、この楽曲が与えてくれること自体も、(本来何の関係もない)些細な〈きっかけ〉でしかありません。何の意味も持たないと言うことではありません。そのメッセージは「必要な〈衝動〉は君の中にもうあるはずだ」と示してくれているものです。
新しいことを教えてくれるとか、考えを変化させるとか、そういうことではなく、最後の〈きっかけ〉になるためにこの『きっかけ』という楽曲はあると思います。「そうだ、あと一歩だけ踏み出すことが出来ればいいんだ」と教えてくれ、そのラスト一つの力としてこの楽曲は機能します。
そしてこの『きっかけ』の何より素晴らしい点が、踏み出しあぐねている人の背中を押すだけではなく、「かつて踏み出した人」にも寄り添い続けることです。
『きっかけ』は乃木坂46のライブで度々披露されてきましたが、その時々で感じるのは、「これから何かが始まる、変化する予感」というよりも、歌うメンバー達やそれを聴くファンが『きっかけ』を予てから愛しているということです。それは、それぞれがこの楽曲に背中を押されたり、この楽曲に描かれているように一歩踏み出したことを、『きっかけ』を通して思い返しているからではないかと思います。
これを書いている今から見てつい先ほど、『29thアンダーライブ』のアンコールにて、和田まあやさん主導のアドリブでこの楽曲が生歌で披露されました。
これを歌っていた時のメンバー達は、噛み締めるようにじんわりと涙を流していました。その想いを正確に知る由はありませんが、個人的には、ライブだけに留まらない「達成感」のようなものが潜んでいるような気がしました。
まだうら若き乃木坂メンバー達ですが、そこに人生における一つの〈正解〉と、それに繋がるかつての〈きっかけ〉を思い起こしていたのだとしたら、それはとても素敵なことだなと思います。
太陽は見上げる人を選ばない(欅坂46)
欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』の収録曲『太陽は見上げる人を選ばない』は、前シングル『不協和音』収録の『W-KEYAKIZAKAの詩』に引き続き、欅坂46とけやき坂46の両グループから全メンバー参加している所謂「全員曲」です。
歌詞も、2グループが共に歌う背景が反映されているような内容です。「仲間」「絆」の素晴らしさを行進するような温かいサウンドに乗せた『W-KEYAKI~』とは少し違う方向性で、「争わない」「分かり合う」ことを語る歌詞です。
タイトルもサビの歌詞にほぼそのまま採用されています。〈愛〉〈希望〉と使われており、その象徴としての〈太陽〉ですが、むしろキモとしての言葉は〈平等〉があります。
「〈太陽〉は誰にとっても等しく存在している」というニュアンスです。〈見上げる人を選ばない〉と謳うのは、一人一人の価値に貴賤上下を付けないということです。そういう意味では、〈愛〉〈希望〉とも違う、しかし広い隠喩を内包したモチーフであるように思います。
Aメロでは〈何度も争ったけど境界線なんていつの日か消えていく〉とあります。このほか、人種や民族、国家、宗教などの違いを連想できそうな表現もありますが、そういったものの間に現れる〈境界線〉とも取れます。その上で、〈太陽〉の元ではそれが〈消えていく〉というメッセージです。
もちろん、そうではない解釈もいくらでも可能です。その中で、欅坂46とけやき坂46が合同で歌唱していることを考えれば、この2グループ感の事を示しているとも考えられます。
この2グループの関係性がそうでしたが、乃木坂46とも共通する「選抜・アンダー」制度、あるいは「先輩・後輩」、「先人・新参者」としても当てはまりそうな、そうした(身もフタもない表現ですが)「ポジションの奪い合い」「それによる諍い」が発生しうる構図に対しての言葉と取れる歌詞も並びます。
それに対しての『太陽は見上げる人を選ばない』です。〈お互いのその場所を認め合い/向き合って/立っていよう〉とも書かれていますが、単に良いことを言っているのではなく、「互いに理解する方法」の提示があります。
言葉だけの「共存」でなく、真の意味でそれを達成するためには、〈話し合えばいい〉と言います。当然それは文字通りの意味ではなく、用いるべきでない手段や方法と対比しての「話す」です。
そうした「平和」とか「平等」とかを表す楽曲としては、けやき坂46『NO WAR in the future』や、欅坂46『誰がその鐘を鳴らすのか?』を思い出します。
欅坂46・けやき坂46それぞれの楽曲で、『太陽は見上げる人を選ばない』と前後して同様のメッセージを発信していることは興味深いです。とは言え、個々に独自の背景を持ちつつも、それらは根底で共通しているとも言えます。奇しくも「KEYAKIZAKA」というグループの「共存」とは、不安定な形でスタートを切ったり、徐々に歪なあり方になってしまう道を辿っていました。
2022年時点では、互いにグループ名を変えながら新たな仲間と共に歩みを進めていますが、そのようにある現在には、自分らが辿った道程の一つとして『太陽は見上げる人を選ばない』の精神が根付いているのではないかと(一人のファンの願いとして)思います。
『こんなに美しい月の夜を君は知らない』、幻冬舎より発売中。
その8。