『僕は僕を好きになる』/乃木坂46の歌詞について考える
乃木坂46・26thシングル『僕は僕を好きになる』が1月27日に発売されまして。センターを務めるは3期生・山下美月ちゃん。
発売日の翌土曜日30日にはフロントメンバー3名による発売記念の企画『SNS横断フェス』が開催されたり、そもそも収録曲の良さっぷりもあったりと、既に大盛り上がりかと思われます。
作曲は我らが杉山勝彦氏。氏がシングル表題曲の作曲を務めてくれたのは『サヨナラの意味』以来4回目だそうで。乃木坂46としても、まいやんの卒業を経てからのNewシングルという事で大変重要な節目のタイミングであり、まさに渾身の人選、そして渾身の出来栄えであることは聴いての通りです。
そんな『僕は僕を好きになる』、歌詞が非常に印象的である。
パッと見ただけでも思わずドキリとするようなネガティブな言葉が並び、メンバーら本人達からも度々「最初に見た時は驚いた」「衝撃を受けた」的な発言が聞かれたように思う。
こちらとしては、この曲の歌詞から感じる今までと一味違う匂いに興味が湧いてしょうがないので、色々と取り上げてみたい。
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特徴的な箇所の一つが「〈僕〉しか登場しない」点である。
具体的には「〈僕〉と〈君〉の物語ではない」。
これまでは、『君の名は希望』や『今、話したい誰かがいる』においては〈僕〉と〈君〉の小さな世界が描かれ、『シンクロニシティ』ではその世界や視野が〈見ず知らずの人〉〈誰か〉へと広がるようになった。そして『Sing Out!』にてそんな〈誰か〉を救おうと自ら〈愛〉を届けるべく働きかける。
そうした成熟を重ねてきた乃木坂46の、世代交代の色が強い第3部における最新表題曲『僕は僕を好きになる』では、上で挙げた系譜からは一度外れた「〈僕〉だけの世界」を描いている。
その理由を端的に考えれば、主語である〈僕〉に当てはまる体現者がセンター・山下美月ちゃんに代表される若いメンバーに移り変わっているから(新しいストーリーテリングに移行したから)であるが、だがしかし単にリセットされて1から始めた、という訳ではない。
実はその前譚として『夜明けまで強がらなくてもいい』がある。あちらも〈僕〉のみの世界が描かれている。
この曲もまた『僕は僕を好きになる』と肩を並べるように平行した新しいストーリーが込められている。が、こちらは新メンバー・4期生(の加入)を投影する形で独立したものである。
『Sing Out!』まで乃木坂46が発信していた世界に続く楽曲は、今回の『僕は僕を好きになる』だ、と言い切りたい。
『僕は僕を好きになる』の〈僕〉とは、かつて『Sing Out!』による〈愛〉で救われた〈誰か〉であったのではないか、と思うのだ。
(参考)
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とは言え、具体的に歌詞中の言葉を拾って「この歌詞は実はこういう意味!こことここが繋がっている!だから続編!」とかそういうことではなくて。出来ないこともないが、そういうことではなくて。
今回はもう少し抽象的に捉えていきたい。この曲(の歌詞)はどういうことを描いているのか、という点だ。
それについては、非常に参考になる有識者の発言がある。まずはそれを取り上げよう。
一つは、おなじみ『映像研には手を出すな!』の作者・大童澄瞳先生が『僕は僕を好きになる』のアニメーションMVを作成、その際に音楽ナタリーさんの記事で公開されたコメントにある。
この曲の歌詞を読んだ際の先生の感想、及びそれに基づくMVのインスピレーションを述べられている。
「これは私の話ではないな」「どこかで悩んでいる誰か」という捉え方である。これが本発言(を取り上げるにあたって)のキモの部分だが、一旦置いておいてもう一つ。
もう一つは、今曲でフロントメンバーを務める久保史緒里ちゃんが年始に更新した公式ブログから。『僕は僕を好きになる』を歌番組にて披露する際の心持を綴っている。
この言葉自体は久保ちゃん自身からの視点であるが、「押し付けでなく、提示でもなく、一意見としてでもなく、『共に』」「同じ苦しみから抜け出そうと懸命に生きている者がいたら、ちょっとだけ、もうちょっとだけやってみよう。」という発言が、『僕は僕を好きになる』における<僕>の事を理解する上で大事な考え方だ。
これまでの乃木坂46楽曲(ないし他のアイドル楽曲)は少なからず、聴き手が歌詞中の〈僕〉にそのまま感情移入して受け止めることが出来る、自己投影の性質を持っていたと思う(時にそれは「疑似恋愛」という形になる)。
それこそ『君の名は希望』では〈君〉と出会って心が救われた<僕>に、乃木坂46と出会った自分自身を投影(あるいは逆であったり)することで、単に一楽曲を聴くだけの行為を超えた体験になる。
また具体的な学校生活や学生としての姿の描写も、むしろ聴き手が〈僕〉と共鳴する取っ掛かりとして機能し、更に共感を呼ぶ結果に繋がるものである。
しかし今回の『僕は僕を好きになる』はそれに当てはまらない。
大童先生の発言「これは私の話ではないな」「どこかで悩んでいる誰か」をもう一度繰り返したいが、つまり『僕は僕を好きになる』の〈僕〉は、聴き手が感情移入するアバターではなく、この世界のどこかで確かに存在する〈誰か〉ではないか。
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この〈僕〉は『Sing Out!』に登場した〈誰か〉なのでした、とここで締めちゃってもいいが、もう少し続けたい。
歌詞を読んでいて思ったのが「既に『僕は僕を好きになる』の〈僕〉はその悩みを脱している」ということだ。
歌詞の最後には、タイトルと同じ<僕は僕を好きになる>というフレーズが配置されている。
それは、ネガティブな感情に陥っていた〈僕〉の”希望”として、最終的にゼロ地点に立つことが出来た事を表現しているようにも思える。
が、しかし、実のところ〈僕〉は既に前を向けるようになっており、冒頭部分からその地点に向かっている状態だ。歌詞を見ると、過去を振り返る様子だったり、言葉自体が過去形だったりしている。
つまりこの歌詞における〈僕〉は、ポジティブへの気付きは開始以前で既に獲得しており、「嫌い」ばかりを繰り返していた自分を見つめ直すタームに突入している。少なくとも、ネガティブに陥っていた状況からは脱し、その感情が徐々に晴れていく様子を描いている。
(その過程で、自分は些細な事ですぐ「嫌い」「死にたい」と反射的に言っていたのだな、と自身を客観的に見られるようにもなっている)
逆に言えば、「気付きを得る瞬間」は描かれていない。
「〈僕〉がそうなることが出来た」理由・描写が歌詞中に存在しないのだ。
例えば三度登場『君の名は希望』の場合は、〈僕〉が〈君〉と出会う描写から始まっており、また同時にその描写は〈僕〉の内に〈希望〉が芽生えるきっかけとして配されている。そして、〈僕〉〈君〉のそれぞれには乃木坂46や色んな存在を当てはめて理解できるようにも造られている、とは上に書いた通り。
しかし『僕は僕を好きになる』の歌詞においては、その瞬間が無い。
無いのならばどう考えるべきか、というと、これまでも歌詞の外からその答えを探してきた。今回もそれを実践するわけである。
(参考)
上に貼った『僕のこと、知ってる?』については、主題歌であった作品・ドキュメンタリー映画『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』で観られたメンバーの姿を材料に答えを導き出した。
今回の場合、何かの主題歌という訳ではないが、しかし『僕は僕を好きになる』はシングル表題曲である。だからこの曲も、これまでの表題曲を通して連綿と続いて来た乃木坂46のストーリーの系譜にあり、その繋がりがヒントになる。
新たに加入した4期生の姿を投影した『夜明けまで強がらなくてもいい』、まいやんのフィナーレを飾る『しあわせの保護色』の2曲はまた別軸の意味を持つ楽曲。
だから、『僕は僕を好きになる』に直接繋がるのは『Sing Out!』なのである。
(これまでも、乃木坂46が発信するメッセージを積み立てていく本軸の楽曲と、『バレッタ』『何度目の青空か?』『サヨナラの意味』『逃げ水』などグループの変革そのものを投影した別軸の楽曲と、入り混じってリリースされてきた)
乃木坂46が描いてきた〈僕〉と〈君〉の小さな世界が少しずつ規模と意志を広げていき、それが最終形として結実したのが『Sing Out!』であった。『Sing Out!』はグループ誕生から続いてきたストーリーの到達点である。
(参考)
その最終形が『世界中の隣人よ』へと姿を変えたりもしたが、『Sing Out!』が発する〈愛〉こそが乃木坂46の発信するメッセージの頂点である。
それに続く『僕は僕を好きになる』は、『Sing Out!』が更に拡大したメッセージ、とは言えないだろう。
むしろ、これまで〈君〉〈誰か〉と他者にその感情は向けられていたところが、今回は〈僕〉〈自分〉に向いている、という違いすらある。
かつては無意識にもこう思っていた〈僕〉は、それを自覚し、更にその想いをより前向きに変化させて一歩を踏み出した。
『僕は僕を好きになる』における〈僕〉が、大童先生の言う「どこかで悩んでいる誰か」なのだとしたら、それを救い、自分を〈好き〉と思えるように背中を押したのは『Sing Out!』(や、それまでの乃木坂46楽曲)なのではないか。
敢えて『Sing Out!』の歌詞を振り返ってみると、例えば以下のフレーズが思い出される。
これらの歌詞を見ると、既に引用していた久保ちゃんの『共に』という言葉の意味がより理解できるような気がしてくる。
ある意味『僕は僕を好きになる』は、『Sing Out!』で描かれた〈愛〉を拡大するのではなく、別の視点から描いたのではないだろうか。そしてその〈愛〉が生んだもの、〈愛〉が繋いだものもまた同時に描いている。
この曲の〈僕〉が自分自身をありのまま見せる。その姿をどう受け取るのか、どう理解するのか。
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『Sing Out!』の〈愛〉を受け取り、少しずつ希望へとその想いを移り変えてきた『僕は僕を好きになる』の〈僕〉。
まいやんの卒業を大きな起点として、明確に「世代交代」を体現したのが『僕は僕を好きになる』であった。
それはフロントメンバー・そしてセンターが山下を始めとした3期生メンバーが務めることで目に見える形に示された。
これまでも2期生、3期生、4期生加入のタイミングでそれぞれのメンバーがセンターやフロントを務めることがままあったが、それはストーリーの中心にいる1期生からの視点を反映した”役割”としての配置、という意味が大きかったように思う。
(参考)
それが今回は、先頭に立つ3期生をはじめとした後輩メンバー達を主観としており、彼女達が〈僕〉の体現者を担っている。
3期生メンバーは、加入以前から既に乃木坂46をファンとして観ており、それぞれのメンバーが憧れや想いを語ることがたびたびあった。
それこそ久保ちゃんは言わずもがな。また同じくフロントを務める梅澤美波ちゃんもまた、まいやんへの憧れから乃木坂46に加入し、その活動を進めていくにつれコンプレックスであった部分を肯定的に受け止められるようになったと話している。
センターである山下もまた同様だが、とりわけ彼女はセンターに抜擢されてからこれまでに掛けての心の変化が『僕は僕を好きになる』の〈僕〉と重ねられるように思う。
選抜発表直後の彼女のブログからごっそり引用してしまったが、つまりそういう事である。
グループ結成から連綿と続いて、発信されてきた〈愛〉を受け取り、そして自分自身もまたそちら側に、と願ったのが3期生達後輩メンバーであった。
その想いはグループ加入以降もより広がって深まっていることは傍目でも間違いないが、この山下のブログには、当事者としてそれを繋いで伝えていくことへの自覚と覚悟が綴られている。
〈愛〉の受け取り手であった3期生は今、それによる変化を自らを以て示しており、その姿や想い、発する言葉がまた誰かを救うものだ。
またも繰り返すが、久保ちゃんの『共に』という言葉が意味するところはつまりそういう事ではないか。
彼女達は既に変化を遂げた。しかしまだ変化の途中。
新しい乃木坂46を背負い、そして〈誰か〉を救う一歩目が、〈僕は僕を好きになる〉という心強い宣言なのかもしれない。
まとめ
なんだか必要以上に熱い感じに締まってしまいました。こういうのもエモくて良いんじゃないかと思います。
一つ書く隙が無かったトピックとして、タイトルやタイトルに含まれているモチーフがサビに入らなかったことを挙げたい。
その手法はポップスの定石であって、これまでの乃木坂楽曲でも頻繁に踏襲されてきた。
その多くがサビの1行目、そうでなくてもサビの最後の1行に配置されており、いずれもタイトルを印象強く伝える為の役割を持っている。
今回は勝負の曲でありながら敢えてその定石を外しているわけで。
タイトルのフレーズをラストのラストに配置する事、その事が意味するところが、いかにこの曲にとって重要であるか。それがもう鮮明に現れているように思う。
定石からは外れているが、いやむしろ勝負だからこそ、そうしたのではないでしょうか。
キリが無いので以上。