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『ひと夏の長さより…』/乃木坂46の歌詞について考える

今回取り上げる曲は、2017年8月発売のいわゆる夏シングル『逃げ水』にカップリングで収録され、共に軍団を率いる長である秋元真夏さんと松村沙友理さんがWセンターを務めている『ひと夏の長さより…』。

『お台場みんなの夢大陸2017』のテーマソングになったことで、ライブや音楽番組でも度々披露されたため見る機会が多く、カップリング曲ながら「隠れた~」と言う言葉が良い意味で似合わない楽曲である。

切なげなメロディラインと、静と動の起伏が激しいトラックが、いかにも”終わってしまった儚い恋愛”を連想させる名曲であるが、その歌詞に注目してみると、手放しでしっとり浸るにはちょっと見逃せない点があるのだ。
 
というのも、曲中の「僕」があまりにも情けないやつ!もう!と言わずにはいれない。

でも冷静になって考えてみると、彼のことを頭ごなしには責められない。

この曲は、過ぎゆく夏のそんな失敗録なのである。

ひと夏の長さより思い出だけ多すぎて

まずこの曲の歌詞は、時系列に沿って書かれているものではない。「僕」の回想によって、過去の描写と現在の心情が断片的に散りばめられている。
 
現在の彼は、サビの歌詞で描かれている心情に終始している。

ひと夏の長さより思い出だけ多すぎて
君のことを忘れようとしても切り替えられない

自分の下から離れていった「君」のことが忘れられず、新しい一歩を踏み出せないでいる「僕」。

何度も着たTシャツは首のあたり伸びているけど
腕に強く抱いた君のことは忘れられない

後半の描写も、〈Tシャツ〉を夏という季節のモチーフとして、使い古されていく様子=季節の移り変わりの比喩として描き、変わっていく季節と、変わることができない「僕」を対比している。

8月のレインボーブリッジ

そんな心情のまま、彼は過去を回想する。

8月のレインボーブリッジ
ここから眺めながら僕たちは恋をした

Aメロ歌い出しは現在の視点で、思い出の地を1人で訪れて過去を思い返している、あるいは、その風景そのものを過去と共に思い返していると読み取れる。

でも何から話せばいい?
ただ隣に腰掛けてぎこちなく風に吹かれた

関係を進めることができてからも、関係を深めることは上手くできない。そんな「僕」の不器用さが現れている。ただ、ここで”話せない”ことが、実は しこりとなって後に響く。

かき氷が溶けたこととか金魚すくいの下手さも
君の浴衣の可愛さとか喧嘩したことも…

ぎこちなさが影を潜めてからは、2人はてらいなく楽しい時間を過ごしていた。

「僕」にとっては、目に映るものが全て煌めいて見えたことだろう。古いフィルムが回っているような、印象的な描写である。

一緒にいるその幸せがずっと続くと思った

一緒にいるその幸せがずっと続くと思った

始まったら終わってしまう当たり前の出来事もできるだけ延ばしたかった

だが、そんな瞬間はいつまでも続かなかった。

過去の回想から現在の心情に繋がるこれらのラインによって、ぎこちない関係も楽しかった瞬間も過去のものでしかないと、自らに突き付けられる。

しかしこれらの心情は、なんとなく「僕」だけが舞い上がっていたような印象を受ける。「一緒にいるだけでいい」そんな考えがうっすら透けて見える気がするのだ。

楽しかった頃の心情を描いた、以下の箇所もそうである。

この夏は特別だ
僕にとって意味がある
今までとは比べられないほど大切な時間

強い想いを感じるものの、どこか自分本位というか、周りが見えなくなっているような、そんな状態が「僕にとって~」の箇所に表れているように感じる。

そしてそれは「僕」が緩やかに犯した過ちに繋がる。

愛するとは言葉はなくていい

来年の夏はまたきっとここに来るだろう
愛するとは言葉はなくていい
そばにいることだ

残念ながら、彼は〈愛〉を〈言葉〉にすることをしない。むしろそれこそ良しとさえ思っているようだ。

何とも典型的な、それでいてやりがちな愚行である。彼女が何を求めていたかわかっていないまま(おそらく考えることもしないまま)、こいつは呑気に愛について語っていたのだ。

それで結局彼らは夏が過ぎるのを待たずに別れてるっていうか多分振られている。来年の夏、2人でここに来る願いは叶わなかったのだ。言葉にしないから!

ひと夏の長さより思い出だけ多すぎて
君のことを忘れようとしても切り替えられない


そしてまた1サビと同じ歌詞が続くわけだが、そうすることで、自ら過去の行動を反芻した上で、散々繰り返した後悔にまた戻るという、堂々巡りしていることがわかる構成になっている。

またなんともズルいのが、このパートを落ちサビに配置することで、一聴すると未来を見据えた前向きなメッセージのように思わせる。

しかし実際は「僕」の自分本位な思い込みのモノローグなわけで、まんまとしてやられたというものである。

こうして悲しき少年が一人取り残され、未練を拭い去れないまま、この曲は幕を閉じる。
 
でもこれではさすがに悲しすぎるじゃないか。「僕」は情けないやつだが、そんな彼の気持ちもわからなくない。
 
自分も似たような失敗をしたことがあるようなないような、どちらであれ、彼の気持ちを考えると、どうにも胸が詰まって危うく卒倒しがちというものだ。

だから、そんな彼を慰めるわけじゃないが、少しばかりの希望を持たせてやりたい。

もう少しTシャツがいい

そこで、曲中の「君」は何を思ったのだろう、と考えてみる。

とはいえ、この曲の歌詞において彼女の心情は描かれていないので答えを出すことはできない。しかし、なんとなく想像を膨らませることができるかもしれない僅かなヒントが、あるところに隠されている。

肌寒い秋風が吹いても
もう少しTシャツがいい
カーディガンを着たくはない

これは落ちサビ前、Dメロの歌詞である。

先ほど1サビにも登場した〈Tシャツ〉を再び持ち出しており、また〈カーディガン〉という新たな(それでいて同じ役割を果たす)モチーフが登場している。

しかしこの箇所で言っていることは、〈Tシャツ〉がキーワードとして共通しているように、あくまで1サビと同じ。過ぎる季節と、受け入れられない自分の対比になっている。

重要なのは、ここで新たに登場した〈カーディガン〉である。

この曲『ひと夏の長さより…』が収録されたシングルの表題曲、『逃げ水』にもまた、〈カーディガン〉が登場する。

芝生のスプリンクラー
過ぎるその季節を止めようとする
半袖を着たひとはカーディガンをいつ肩に羽織るのか?

止められようとしている季節の中で佇む半袖の彼女は、一体誰で、何故カーディガンを着ないのだろう。

そんなことを想像したら、過去を想っているのは彼だけじゃないのでは、という風に希望を見出すことができるかもしれない。"そのこと"を現すのが、〈カーディガン〉というモチーフ、「着ない」という行動なのかもしれない。しかしその希望は、まさしく夏の逃げ水でしかない可能性もある。

そもそも違う曲なんだから全く関係ない!と言われたらそれまでであるし、どうせ答えは確かめようもないが、楽曲たちが一瞬重なったこの僅かなリンクに望みを託したい。

まとめ

はてさて、ここから先の「僕」がどうなるのかは知る由もないが、まずは「君と恋した夏」の煉獄から無事に抜け出すことを願うばかりである。

彼のような失敗を繰り返してはならないが、そうなってしまう彼の気持ちはわかってやりたい。

しかし、そう思えるかどうかは人に因るような気がする。

もし、気持ちが全く理解できない、という人がいたら、あんま言わないでやってほしい。

そして「僕」の行動に心当たりのある人は、平成最後の夏、彼と同じ失敗をしないように気を付けよう。なんせ、秋はまだ遠い。

以上!




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春
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