量産型リコよ、どうか終わらないで
3期生メンバー・与田祐希ちゃんが主演を務めるテレビ東京系ドラマ『量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-』。何を隠そう、今クール1番の楽しみである。孤独で空虚で無機質で昨日と今日と明日が同じな絶望的生活を支えてくれている大切な作品だ。
とにかくもう、面白い。見ていて楽しい。嬉しい。好き。
プラモデル作りを題材にした作品であるが、それを超えたところに、ともかく非常に"良さ"があるのだ。
いや、プラモ作りを題材にしているからこその良さも当然備えている。まず感じ取ったそれを(4話放送終了頃に)noteに一度書いた。
簡潔にまとめれば、「プラモ作りを題材にしたことで、作り手の手元や顔元にひたすらフォーカスが当たり、その細かな変化を否応なく切り取ってしまうこと」がこのドラマの成し遂げていることと書いた。
リズミカルにパチパチとランナーから切り離されていくパーツ、組み合わされていくパーツ、徐々に出来上がっていくプラモデル。それは各作り手=キャラクターのドラマとシンクロし、彼ら彼女らの表情の変化と共に、人としての変化や気づきをも容赦なく切り取る。そんな感じだ。
だがしかし、8話まで観てみて改めて思った。
この『量産型リコ』というドラマ、キャラクター1人1人がとにかく愛おしくてたまらない! 敢えて言おう、それこそがこのドラマの良さであると!
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それは何も、ビジュアル的に可愛いとかそういうことではないのだ(※与田祐希ちゃんも藤井夏恋さんも石川恵里加ちゃんも可愛い)。
このドラマでは、これまでの8話の放送の中で、それぞれのキャラクターの深い悩み(と解決)が描かれることもあれば、何てことない軽い会話が描かれることもあった。
プラモ作りにおいても、上記の通り、作成中の彼ら彼女らの表情は容赦なく切り取られる。取り掛かる際の「プラモデルなんて別に興味ないのに」的な怪訝な顔つきから、意外と難しい作業の中で徐々に真剣に、徐々に楽しくなっていくところまで。
後述するが、このドラマは台詞(とその応酬)も演出もセンスがずば抜けて高いので、笑っちゃうようなやり取り1つ1つが、作品の質を底上げしている。
そんな、作中で行われるすべての営みによって、キャラクター1人1人の解像度がどんどん上がっていく。
そうして、回を重ねていくごとに、あのキャラクターこのキャラクターの一挙手一投足に「こんな表情もするのか」「こういう事を言うようになるなんて…」「いつの間にか息ぴったりだ」と”発見”を見出してしまう。それによって、不意に感動したりもする。
さなか、気づくのだ。
「俺、コイツらのことめっちゃ好きじゃん!」と。
視聴者の心をいつの間にかそうさせてしまうドラマ『量産型リコ』、なんて良い作品なんだ!
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「人生組み立て記」と言うだけあって、各エピソードにおいて、往々にしてキャラクター達に「変化」が訪れる。
それはプラモ作りを通してもたらされるのだが、彼ら彼女らの「壁」や「悩み」、それらの解決の糸口の、毎度毎度、扱うモデルや制作過程との「重なり具合」が秀逸すぎる。
「量産型」という言葉に引っ掛かっていた小向璃子は、オリジナルの塗装まで行って完成させた『量産型ザク』への愛着をもって、その言葉を前向きに受け止める。
マジメで意識が高いが肝心なところは人任せになる高木真司は、難易度が高い『エヴァンゲリオン初号機』の組み立てを、苦労しながらも1人で成し遂げ、達成感と共に、喜びの雄叫びを上げる。
部内のお荷物になっているのではと内心悩んでいた最年長社員・雉村仁は、璃子が苦戦していた『宇宙戦艦ヤマト』の製作に手を貸した際、熱量や知識が思わず溢れ、失いかけていた情熱を取り戻すと同時に、後輩たちからも一目置かれるようになる。
部署を救おうと一人奮闘していた中野京子は、裏目に出て損害が発生したことを誰にも言えず抱えていたが、璃子や真司と協力しながら『ULTRAMAN』を完成させたことで、仕事のことも2人に助けを仰ぐことが出来るようになる。
このような「重なり具合」である。
毎放送は基本的にドラマパート⇒プラモパート⇒エピローグという構成なのだが、ドラマパートにおいて発生あるいは発覚した「壁」「悩み」は、エピローグにおいてすっきりと解きほぐれている。
なぜなら、プラモ作りを通して何らかの「気づき」を得た彼ら彼女らは、自然と、今までとは違う視点を持ち、出来なかったことが出来るようになっているからだ。
それはフタを開けてみれば案外ささやかなものだが、観ているとなんだか嬉しくなってしまうような、心地よい「変化」である。
まさしく〈モノクロの世界がカラフルになる〉〈新たな自分とリンク〉なのだ。
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「フロー」という心理学用語がある。
「ゾーン」という表現ならば馴染みがあるかもしれない。ざっくり「時間があっという間に過ぎるくらい集中すること」を指す言葉として捉えていいだろう。
プラモ作りにおいても、おそらくこれが発生しうる。
第1話にてリコが『量産型ザク』を完成させた際、矢島模型店の店主・やっさん、バイトのちえみちゃんと共に、リコがプラモ製作を通してフローを体験したことを示す会話が交わされている。
更には、フローを経験することによって得られるメリットもあるという。
参照したのは学術本とかではなくあくまでウェブページだが、専門家の意見を基に書かれているようなので、思い切ってごっそり引用しよう。
200文字前後×4段あるので、こちらで太字にした部分を中心に、大まかに読み取ってもらえれば。
「日常的な充実感」とか「余裕が生まれ」とかが特にキーワードかと思う。フローによってこれらの感覚が得られるということは、プラモ作りを通してこれらを得ることが出来る。なぜなら、プラモ作りによってフローを体験できうる。
つまりは、こうした心理的効果がもたらされたからこそ、リコや真司や中野に「変化」が訪れたのではないか。
それこそ、特に真司や中野は(形は違えど)周囲との関わり合い方のせいで余計に困難に陥っていたが、プラモパートを終えてからは、人に素直に頼ったり、心を開いてチャレンジに挑むことが出来るようになった。
「壁」「悩み」と重ねられているとはいえ、プラモ作りを経ると不思議と解決の方向へと光明が差してくるのが毎回であったが、それはただの不思議や話の都合ではなく、科学的な説明がつきうることだったのだ。
そういった構造が汲み取れるからこそ、この作品は「プラモドラマ」として真摯だなあと思う。捉えていることがあまりに適確なものだから。
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だからこそ、「変化」後のキャラクター達が、なんだか愛らしく思えてしまう。イキイキして、ポジティブだったり行動的だったりする部分も垣間見えたり、あるいは素直になったり。
故に8話のラスト、模型店からの帰り道で、中野が後輩の2人に意を決して「助けて」と打ち明けるシーンが堪らないのだ。
リコが優しい表情で中野の言葉を待つ姿、中野が涙を浮かべながらも真司に対しては強がりの冗談を言う姿を見ながら、こちらが先に涙を流している。
もっと言えば、その前段、プラモ作りに取り掛かる直前のやり取りにて、それこそ何かあることをとっくに察してるリコの優しい言葉がもう、最高なのだ。
まだどこか"閉じて"いる中野と、包み込むように接するリコ。中野が孤軍奮闘している隣で、後輩は大人になり、気づかぬうちに頼もしくなっているのです、、、これまでの視聴体験から、作り終える頃には中野もきっと違う姿を見せてくれると確信できているからこそ、尚更涙腺を刺激するのだ、、、
一方、真司はすっかり「愛すべきバカ」かつ、模型店バイトのちえみちゃんにすっかりホの字だが、当初のズレた感じや取り繕った感じはまるで消え去っている。
個人的に好きな場面が、第5話のやり取りだ。
社内イベントでミニ四駆を取り上げることになり、リコは矢島模型店でいくつかのキットと専用コースを調達、社内の廊下を台車で押して運んでいた。そこに(プラモを買っては積みプラしている)真司が通りがかる。
「話が早い」の天丼も小気味良いのだが、特に好きなのは一言目、真司の「変わります」である。
これ、映像を観ないとわからないのだが、リコが押していた台車をさらっと真司が請け負うのだ。そんな「イイ男」のムーヴをあまりにもナチュラルに行う真司、、、3部に来たばかりのお前には想像できなかったじゃあないか、、、、、とてもイイ!
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なんて言いつつ、まあ実際、プラモ作りを通した「変化」ばっかりが描かれている訳でもない。
それこそミニ四駆回の第5話では、イベント1部所属の堅ブツ仕事人間だと思われていた大石が、懐かしいアイテム達を前に思わずテンションを上げ、少年のような顔を見せる(リコはその意外な一面についホの字になる)。
続く6話では、リコは預かった甥っ子とうまくいかず矢島模型店に助けを求めるが、2人が分かり合うのはプラモを作るよりも前だ(子どもを頭ごなしに子ども扱いしていたことを反省したリコを前に、甥っ子・翔真は心を開く)。
矢島模型店組のやっさん、ちえみちゃんは、どちらかと言うとメンター的なポジションなので「変化」は描かれない。しかし、回を重ねて彼らを理解することで、その幅を広げる愛おしい一面を見せる。
やっさんはちえみちゃんにモーションをかける真司に一々ムッとするし、ちえみちゃんはすぐアレコレと頭の固い解説を始めるやっさんをいなしてリコのリクエストに柔軟に対応する。リコの恋模様が描かれる7話では、ちえみちゃんが女子ならではの視点で大活躍だ。
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最初の方でちょろっと触れたが、そもそも台詞や演出のセンスが非常に良いのだ。テンポが良く、程よい塩梅でずっと面白い。
プラモの箱を開ける時の合言葉「ご開帳~」、完成したときの「ギブ・バース!」には、各回の主人公は聞きなれないので大抵戸惑ってキョロキョロしている(中野は「何なになに」と狼狽する)。
3部の部長・犬塚と猿渡のやり取りはいつも軽快でクスリとくる。
危うく恋のホヘトを教えられそうになったリコは、恋していることを見抜いてきた中野と真司に、その恋を追及される。
この羅列で問う脚本からも絶妙なセンスを感じつつ、そんなことより、選択肢のうち図星のものだけ露骨に肩を上げビクッとするリコ(与田ちゃん)が絶妙に可愛い。
コミカルながら恋のいたいけな感じも感じられて、なんとも面白可愛らしい。コメディエンヌの才能バリバリな与田ちゃん、さすがの見せ方である。
こういう、「あっ、」となる絶妙なラインを攻めてくるのが『量産型リコ』の脚本と演出なのだ。正直、言語化しきれない。観てくれとしか言えない。
舞台演劇ほど大胆じゃないが、しかし通ずるところがある笑いのパターンであると思う。ストーリーやテーマとは違った細かなポイントに、惹かれてやまない"おかしみ"が充実している。
それは、 畑中翔太さん率いる制作チームの作る作家性のようなものかもしれない(同チームの『お耳に合いましたら』でも近しい匂いを感じた)。むしろ『お耳』よりも強調されている気もしないでもないが、それはもしかしたら犬塚を演じるマギー氏、雉村を演じる森下能幸氏、猿渡を演じる与座よしあき氏ら、役者陣によって導かれたものかもしれない。
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という訳で、あらぬ方向に逸れてしまった結果、書きたかったことがあんまり書けなかった(どのみち言語化しきれないけど)。
ともかく、観ていて楽しく、キャラクター達が愛おしいのだということが言いたかった。
8話ラスト、中野がリコと真司に助けを求めた結果、3部全員が一丸となって中野のカバーに取り掛かるあの連携した動きを見た時は、中野が堪えた涙をこちらがあっという間にボロボロ流したものだ。
(プレゼンをすべくクライアントの元へと一同がオフィスを出ていく動きが、1話で見られた、ベルトコンベアのように全員がぞろぞろと並んで退社する動きと重なって、またひとつエモーショナルだった。同じ動きが意味も目的も違って行われたのだ)
今週に放送を控える第9話では、リコに一々突っかかってくる同期社員の浅井がフィーチャーされるようだ。次回予告ではすでに涙を流す様子が映し出され、彼にも「変化」が訪れることを示唆している。こちらとしては、想像するだけで泣いちゃうってなもんだ。
そして翌週には最終回が待ち受けている、、、、いやだいやだと駄々をこねてしまいそうなので、ここらへんで筆を置きます。
以上。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。